見出し画像

紅い衣の女



旅人は朦朧とした意識のなかで
傍らの岩陰に身を沈めた...

どの位歩いたのかも定かではない程に
身体と心は疲れ意識が沈み込む感覚のなかで
旅人は目を閉じた...

夢ともつかぬあわいのなかに目覚めた旅人の傍らには
見知らぬ女が座っていた...

身体の感覚が伴わぬ旅人の心の中で
呻きともつかない声とともに

物憂げな眼だけは静かに
そしてはっきりと旅人を捉えていた

旅人の夢のなかに目覚めた女は
不思議な目で遠い記憶を語ったのだった

旅人は女の記憶のなかに身を起こした
女は言った… あなたを待っていたのです
あなたは私を覚えていますか...

旅人は女の記憶の中に迷い込んだ
知らない女の記憶のなかに...

深い記憶の森を抜けると
そこは金色の風に揺れる平原だった

あなたは自分が誰なのかを知っていますか...
女は旅人の目のなかで言った

あなたは誰...その声はもはや女の声ではなく
存在の根源からのような深さと鋭さを帯びていた...

かりそめの名前など突き破る強さを持つその声を前に
旅人は思った… わたしは誰なのだろうか...と

茫漠たる想いが金色の風のなかに消えていった
旅人は思い出した… この風の行方を追って旅立ったことを

これより東に行きなさい...
その声とともに旅人は夢から覚めた

夢だったのかうつつだったのかさえ
覚束ないなかで旅人は我に返った

傍らの岩陰には夢のなかで出逢った
紅い衣の女がおぼろげに映っていた...

あれは夢などではなかった
あなたは誰なのか… という問いはいま

旅人のなかを彷徨いながら
諍い難い意志を持って生きていた...

夢のなかに現れた女の記憶の息吹きはいま
旅人のなかに棲む幻影となった

名付けられし者の名を想い出すために
旅人はまた東へと旅立った

紅い衣の女とともに...











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?