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バイオダイナミック農法のアルケミ― (聖なる農業 第二章の1:地)               Sacred Agriculture         ーAlchemy of Biodynamics by Dennis Klocek より


第二章 〖物質の変容〗の1:地

自然と人の意識

この章では、バイオダイナミック農法の調合剤にまつわる理論や現象論を紹介します。特にバイオダイナミック農法に関連して、ルドルフ・シュタイナーの仕事の背景にある錬金術的考え方を説明します。私の理解では、シュタイナーの世界観は、人間の意識を通して霊と物質が出会えるということです。それは錬金術の世界観に沿った考え方です。

古代における錬金術的思考の核心はこうです。”自然は天界によって創造されたが、人類の堕罪によって、自然と天界は2つの別個の存在に分かれた。楽園からの堕落がこの分裂の原因であるので、人類の任務は、分裂を修復するために自然界と神性との接点を取り戻すことである。” ルドルフ・シュタイナーはこれを、自然を神に返そうとする努力と考えています。そのためにはまず、自然界が神界から切り離されていることに気づかなければなりません。これは大きな課題です。ところで、“人間が楽園から堕落したことによって、自然は神から切り離され訳なので、人が経験できるような神性が、今でも自然の中に存在するのだろうか?”というのが、何千年にもわたる神学的問いです。

この分離と堕罪をめぐる問題の強い側面は、人間が発明したテクノロジーにあります。テクノロジーの力とは、自動車やコンピューターだけでなく、耕すこと、鍬を作ること、掘り棒を研ぐことも含まれます。だから、テクノロジーとしてのコンピューターだけでなく、トウモロコシを植えやすくする掘り棒も、自然の摂理を覆すテクノロジーであり、それが人間を、自然に対して神のような力を持つ生き物にしているということを忘れてはいけません。人が自然界に入り何かを変える時、その変化は自然なものではありません。もしあなたが、ある植物の種子を選び、別の植物の種子を排除するなら、それは自然淘汰ではありません。あなたの選択によりある一定の植物の成長を促進するのは、自然界への人間の介入なのです。そしてそれは、自然と神界との間の原型的なつながりを困難にするかもしれません。

神界のすべての調べは惑星たちを介して、植物の成長サイクル、鉱物の進化、動物の移動と生理、自然界の秩序ある関係すべてに反映されています。自然現象はすべて、神界の反映なのです。しかし、人間は選択を通してブルドッグを作ります。ダーウィンがこのことを語っています。ブルドッグは、自分の鼻水で溺れてしまうほど極端な交配を行うことができます。溺れるのは、頭蓋骨が短すぎて呼吸ができなくなるからで、頭蓋骨が短すぎるのは、雄牛に対処するためにそのように繁殖されたからです。雄牛の首に噛みつくとき、彼らは口を大きく開けなければならないので、鼻がずっと上のほうにないと窒息してしまうのです。それで繰り返された交配の結果、鼻柱がどんどん上がっていって、息ができないほどになってしまったのです。

ボーダーコリーは、ゲートや群れの間を容易に行き来できるように繁殖されました。羊の間を効率よく移動できるように、体格はどんどん細く改良されていったのです。彼らの骨格と頭蓋は非常に狭くなった結果、馬鹿になってしまいました。とても賢い犬だったのが、愚かな犬に繁殖されてしまったのです。これらの例はダーウィンの『種の起源』に載っています。

このように、私たちが自然の中に入るとき、ボーダーコリーに対する神の計画と、動物の肉体を生み出す自然の摂理を引き離す力を持ち込みます。それは私たちが自然界にはないもの、思考の自由を持っているからです。ここでのキーワードは、”アカーシャ”です。サンスクリット語では空、エーテル、あるいは意識の全体性と訳されます。人間はアカーシャの意識にアクセスすることができます。人はアカーシャの意識を操ることができます。人間は、自然界の他の生き物にはない自由度を持って、自分たちの意識を操作することができるのです。

アルケミスト(錬金術師)は、もし人がより深い形で自然の中に入りたければ、意識を働かせる必要があることを理解しています。彼らが“アーティスト”と呼ぶのは、自分の意識を、自然の中のある特定のレベルの意識と調和させることのできる人です。錬金術的アーティストたちは、自然がどのように作用しているか見つけ、自然の働きを増幅させるのに適した時間を選ぶことができます。この方法は、自然界の物質を薬や金属製錬、輪作、除草、特定の地域にしか存在しない植物の栽培などの現象に変えるために必要です。これらのプロセスは自然なものではありません。最終的に、ある区画に特定の作物だけを選ぶことは、単一作物栽培につながります。アルケミストにとって、自然の中に入っていく人の意識は、現象を正確に観察することによって鍛える必要のある道具です。まず自然界を観察し、ある特定の瞑想を実践してから、実際に自然界の現象に触れます。牛の内臓に触れるとき、その人の意識は高まり、ただ牛の内臓の山をいじっているのではなくなります。牛の胃や腸の裏に働く力の網の目全体が見えて、ルドルフ・シュタイナーが“バイオダイナミック”と呼ぶものが理解できるでしょう。レシピを使うだけでもいいし、バイオダイナミック調合剤を買ってきて、それを水に入れてかき混ぜるのでもいいのです。しかし、ルドルフ・シュタイナーが与えてくれた贈り物を受け取り、さらに物質の変容へと願うのであれば、まったく別の方法で意識を変える必要があります。私たちの意識は、この地球の上での最高の道具です。私たちの意識には、変化をもたらす最も強力な力が隠されています。

意識の背後で働く力とプロセスの錬金術は、アルケミストが関わろうとする自然界の営みと調和させる必要があります。これは、個人の意識を自然界のリズムやパターンと意識的に結びつけることであり、まず自然の摂理がどのように機能しているかを理解することです。それが達成されたら、次の課題は、自分がどのような行為をしても、それが自然の摂理の動作原理に反する可能性があることを理解することです。そして、どうすれば自分の行動がその自然の摂理に調和するようになるのか、考えます。自然の摂理を認識し、自分のしていることが自然の摂理に則っているかどうかを認識することと、自由に自分の思考を修正し、自然の摂理と調和させることは別の問題です。将来のバイオダイナミック農法の調合剤を想像する創造性を持つためには、この作業を自由な精神で行う必要があります。

ルドルフ・シュタイナーは、彼自身の錬金術的洞察を通して、このような仕事のモチーフを示しました。私の仕事は、私に解る限り、これらのモチーフがどのように機能するかを説明することです。そうすれば、あなたが何かを操作したり、植物や木や牛の内臓を観察したりするときに、これらのアイデアの記憶が助けになるでしょう。あなたがしていることにあなたが持ち込む意識が、変化の主体です。それこそが変化なのです。あなたが働いている元素界は、あなたの意識のさまざまなレベルを通して、あなたとつながっています。あなたの意識が元素的存在たちとの関係を変化させ、元素的存在たちが彼ら自身の関係を調和させる能力を変化させるのです。あなたの意識がこれを方向づけるのです。特にブルドーザーや原子力エネルギー、などなどと生きる今日、それは恐いことです。私たちには意志を増幅する機械はあっても、意志の中にある動機に気づく力を増幅する機械はありません。私たちには情報を増幅する機械しかありません。認識を変え得るかどうかは、私たち次第なのです。

この本は、ルドルフ・シュタイナーが彼の農業講義を通して何を伝えようとしていたのかを理解するための道具を提供しようという試みです。新しい農業、或いは「聖なる農業」と呼ぶべきもの、つまり単なる資源の操作ではなく、霊的な行為である農業についてです

四大元素

図1

図1を見てください。アルケミストは四元素説と呼ばれる考え方に基づいて探求します。自然界のあらゆる変化や変容は、ある一連のリズミカルな順序を経ます。たとえば、固体から液体へ、液体から気体へ、気体から純粋な温かさへ、物理学者はこれを“位相変移”と呼びます。アルケミストはこれが化学変化だけではなく、すべての事柄に一定の順序の“位相変移”があると考えます。彼らは意識にさえも位相変移の過程を認めます。この章では、さまざまな元素について考察し、元素の位相変移が鉱物、植物、動物、人間の意識のさまざまな領域でどのように作用するかを、地、水、気、火の曼荼羅図上で示します。人間の意識には、学習という独自の位相変移があります。間違いを犯し、それを修正すること、洞察を得ること、プロセスを理解すること、眠りについて夢を見ること、夢から覚めて自分がここにいることに気づくこと、これらはすべて、意識における地、水、気、火の位相転換です。これらの意識状態は、水が空気中から凝結して液体になり、氷となり、また溶けたり、蒸発したりと、逆のプロセスを経ることに相当します。

アルケミストは、自然のさまざまな領域と人間のさまざまな魂の状態との間の共鳴を見つけるための地図として、地、水、気、火の4つの段階の曼荼羅を使います。四大元素の曼荼羅を使うと、特定の反応がどこにあるのか、どこに向かっているのかを判断することができ、たとえば次のような問いを立てることができます:私が使おうとする動物の臓器には何が起こっているのか?それは地の要素なのか、水の要素なのか、それとも気(風)の要素なのか?これはどんな植物か?地の要素の強い植物なのか、それとも気の植物なのか?植物のどの部分が地より気か?火を象徴する鉱物は?気を表す鉱物は?土壌から菌根へ、そして植物の根へと土壌樹液が流れる際に活躍するミネラルとは?植物樹液の位相変移とは?それは何を表しているのか?カルシウムは何を表しているのか?カルシウムは水、火、気のどのプロセスを支えているのか?

四大元素の錬金術的曼荼羅に基き、正確なイマジネーションの科学で、これらの問題に答えることができます。アルケミストは、カルシウムがある元素的性質を持ち、リンとは異なることを理解しています。土壌溶液の問題がある場合、地、水、気、火の曼荼羅で土壌溶液も考えることができます。根域でのガス交換、大気中での葉とのガス交換、種子の油脂形成タンパク質プロセスにおけるフェノールと油脂の形成---これらの要素もまた、地、水、気、火で考えることができます。錬金術の曼荼羅を農業の道具として使うことの素晴らしさは、曼荼羅の特定の場所に位置する鉱物と、その元素的性質を必要とする植物、そしてその元素的性質を促進するために活動する動物器官との間に調和を見出すことができることです。これがアルケミストがもたらしたものの素晴らしさであり、ルドルフ・シュタイナーがバイオダイナミクスの考え方を形成する際に錬金術的な論理を用いた理由でもあります。

先日のワークショップで、最前列にブドウ園のコンサルタントで、大きな農業大学で土壌学の学位を持っている女性が座っていました。私が植物の化学、土壌化学、ミネラルの動きについて講義した後、彼女は私のところに来てこう言いました。「私は土壌学の学位を持っているけれど、この週末にあなたが教えてくれたことで、やっと意味が解りました。」。彼女は聡明な人で、農業コンサルタントなのですが、私がカルシウム、カリウム、ナトリウム、リンについて、地、水、気、火の錬金術の背景を説明したとき、それが図象的に示されたので、突然ピンときたのです。彼女は化学の専門的な内容については、いくらでも知っていたでしょうが、錬金術的曼荼羅が、大学での抽象的な勉強では得られなかった、関係性を図象的に理解する助けになったのです。彼女は言いました。「なんてことでしょう!早く私の記録を見返してみたいわ。」錬金術曼荼羅の図象的な力学は、植物と彼らが育っている土壌、そして動物の残渣から作られた堆肥との間にどのようなつながりを持たせることができるかを理解するのに役立ったのです。このような図像的思考は、より多くの情報を得るためではなく、すでに持っている情報の意味を理解するためのものなのです。

アルケミストにとって、四大元素の曼荼羅は、自然界に存在するもっと難しい謎を解決するための瞑想装置です。例えば、300フィート(100m)のレッドウッドの根元から先端の成長する部分まで水が上昇することができるのは謎です。この水力学について考えて見てください。重力に逆らって水位を300フィート押し上げるのに必要な圧力は、根が幹と接がる部分を爆発させるでしょう。これが自然界でどのように行われているのかは謎です。錬金術的には、水がそこまで移動することを可能にする力は、重力に対抗する力であり、浮力(levity)と呼ばれます。錬金術の曼荼羅では、地と水の元素が重力原理を表しています。

重力原理の影響下では、モノは " 冷たい " ので下降する。この場合の "冷たい "とは、もし対極の "熱い "が500度だとすれば、200度でもあり得ます。重力、または彼らが "冷たい "と呼ぶのは、単にモノが下に行き、密になることを意味します。”水”は“気”よりも密度が高く、2つの気体または " 気 " からなる化合物です。気は冷えると重力の支配下に入り、重力によって水の状態に落ちつきます。水と地は重力の影響下にあり、気と火は浮力の影響下にあります。浮力と重力によって、四大元素の曼荼羅を大きくふたつに区分することができます。図2の左の地と水は重力を表しています。重力はアルケミストが ”コアギュラ(凝固)” と呼ぶ根本的な性質を持っています。重力は凝固作用があり、物質が集まって密度の高い状態に落ちつくのをサポートします。重力の作用によって、流動的な力の集合体は凝集し、落下する過程を経るか、あるいは減速して、不可視の領域から物質が顕在化します。このコアギュラ(凝固)の状態では、分子はあまり振動しません。

ソルベ(溶解)とコアギュラ(凝固)

図2

図2の左側は、ルドルフ・シュタイナーがこれらの凝固力や重力原理を特徴づけるために使っている用語の一覧です。彼は、これらの力は中心的であり、地球的であると言います。図2の反対側は、重力とは対極の上昇する働き、浮力です。彼はこれらの力にいろいろな同義語を使っています。ある文脈では、浮力の力を宇宙的と呼び、別の文脈では、周辺的(Peripheral)あるいは平面的と表現します。これらの用語はすべて浮力原理(levity forces )を指すのです。したがって、彼が農業講義でこのような言葉を使うとき、用語が変わっても、この図を使って彼の考え方を追うことができます。錬金術において、凝固 (Coagulaコアギュラ)は重力原理の極であり、その反対側の極は浮力原理、あるいは溶解(Solveソルベ)です。

Solve にはSol が隠れています。太陽のことです。太陽は地球の遠い周縁にあります。太陽の力は、軽さの極、光、暖かさの作用で特徴付けられます。曼陀羅のこの極は、重力ではなく、溶解(ソルベ)です。この極では、鉱物が溶液中でいきなり浮力の影響下に置かれ、もはや水から落っこちないほど微細になる条件が得られます。溶媒の作用をとおして、溶解するようになるのです。それらは「太陽化」し、宇宙の次元に連れていかれるということです。

地は重力原理であり、それは私たちの重心と地の作用は凝固(コアギュラ)だからです。これはアルケミストが使うある種のメタ言語ですが、それを理解し始めると、特に新しい農業への取り組み方について、ルドルフ・シュタイナーの言っていることが分かるようになってきます。

図2の溶解(ソルベ)側に戻りましょう。可動性、宇宙の力、外惑星からの周縁力、シリカ、花と種のプロセス、カリウムとリン。図2の溶解(ソルベ)側に戻りましょう。可動性、宇宙の力、外惑星からの周縁力、シリカ、花と種のプロセス、カリウムとリン。これは今はまったく意味をなさないかもしれませんが、私がこの図に言及し続けるにつれ、これは錬金術の言葉で同じことを意味するたくさんの言葉のリストであることが分かってくるでしょう。シュタイナーはこれらを互換的に使いますが、性質の大きな区分は2つだけであり、それぞれの新しい言葉がまったく新しい性質を表すわけではないことを知っておくと役に立ちます。彼の用語の選択は一通りではないのですが、様々な用語は、溶解と凝固という2つの大きな極性を指しています。

図1には曼荼羅が描かれており、中心にはアカーシャがあります。左側には重力、凝縮、沈殿、凝固がある。右上には、浮力、蒸発、溶液、溶解がある。ここで、もし私が地から水に行きたければ、矢印が示すように、アカーシャに触れなければなりません。これが錬金術の大いなる秘密なのです。つまり、あなたが扱う位相変移は、あなたの意識と物事の違いを見る能力に関係しているのです:ああ、これはあれとは違う、でもこれはあれに変わりつつある、ああ、これはあれとつながっているようだ。ここに転換点がある。地と水の間でこの転換が起こる場所は、、、水と空気の間のある種の意識は、、、。このような意識は、シュタイナーが元素領域の存在(Elemental beings)と呼ぶものの意識です。

あとで、意識と、自然から得たモチーフを眠りの中に取り込むための瞑想的なエクササイズについて説明します。これは、畑の問題を解決しようとしているときには大いに役立ちます。元素の世界に関して意識の中の表象がどのように作用するかを理解すれば、覚醒した意識から眠りに入るときに、意識の世界を通して元素の世界に正確な表象送り込むことができます。そして翌日、外に出て土に触れるとき、何をしたらいいかのイメージが湧いてきます。重要なのは、イマジネーションに発芽する前に、元素世界の土壌に有効な種子的表象を入れなければならないということです。野菜の種を瓶に入れて棚に入れておいても、春に発芽はしません。種は土に入れなければなりません。土はどこにありますか?それはあなたの睡眠です。どこで種を作るのですか?適切な思考によって、心の中に形成するのです。明晰な思考は、種子的表象を有効にします。眠りという土壌に明確な種子的表象を植えることができれば、それは「想像的思考」、またはシュタイナーが言う「生きた表象の思考」となります。生きた表象の思考があなたの瞑想的な実践になれば、ある朝、あなたの意識の中に小さな緑のものが芽生えるでしょう。それは直感した夢と呼ばれます。

自然を見る能力を高めたいとき、私はこのよう方法で、より深く見ることができるように自分を訓練することができます。自然の中の変容を表象として意識的に眠りの中へ持ち込めば、向こう側にいる元素的存在たちが、私がおかしなことをしているからと逃げ出してばかりいないで、私の大地への働きかけに関心を持ち始めます。

内表面

図3

私たちが取り組むのは "ジェスチャー・モチーフ(身振りの主題) "と呼ばれるものです。私たちの目標は、心臓の知覚器官を発達させることで、自然界の変化やパターンがすべて私の印象に残り、それを覚醒意識に引き上げることができるようにすることです。図3は鉱物中の2つの分子平面の図です。上からも下からも小さなピラミッドが見えます。それぞれのピラミッドは、典型的な珪酸塩鉱物の分子構造です。珪酸塩の場合、分子の基本的な化学形は四面体であり、これは4つの等しい三角形からなるピラミッドでできており、球の中に置いたときに共通の中心を持つように配置されています。図では、4つの三角形の平面を数えることができます。奥に1つ、手前の左に1つ、手前の右に1つ、そして底に1つ。球面内の4つの等しい三角形は正四面体を構成します。正四面体は、コンクリートブロックであれ、水晶であれ、最も基本的な鉱物の形態です。岩石の80パーセントを占める珪酸質のものであれば、科学的には正四面体の分子構造を持つと言われます。結晶学において、正四面体の配置は非常に興味深い研究対象です。正四面体には様々な配置があり、農業に役立つ鉱物の潜在的な力についての洞察を得ることができるのです。

何千、何万の異なる珪酸塩があるけれど、それらはすべてこの正四面体の形に戻るので、すべて珪酸塩です。後で、正四面体の視覚化の瞑想をしますがこの形は実に興味深いもので、原型として非常に重要な力を持っています。原型は、私たちがジェスチャー・モチーフと呼ぶものの源です。つまり、シリカはどこにあっても、ある種の正四面体の分子構造の形をとります。アメジストであろうとトルマリンであろうと、どんな珪酸塩鉱物も正四面体の分子構造を基本です。花崗岩、長石、雲母、玄武岩でさえ、正四面体の分子構造の珪酸塩が配置されています。

図3は、最も一般的な配置のひとつです。点で結ばれた四面体からなる2つの平面が上と下にあり、四面体の点は、小さな犬歯の列のように互いに向かい合っています。その間に空間が見えますが、これは雨水が岩に入り込み、他のミネラルを抽出する分子間の空間を表しています。この風化と呼ばれる過程によって、ミネラルを植物が利用できるようになります。このような分子の隙間がなければ、岩石が風化してミネラルを土壌に取り込むことも、根毛が土壌と相互作用することも不可能なのです。風化のプロセスがなければ、シリカは利用できません。植物の成長には、カリウム、カルシウム、リン、窒素が必要です。これらの珪酸塩がこのような形--正四面体の形で内表面を持つ--を持つという事実は、大きな力を自然界で発揮します。内表面はエネルギーのやり取りが行われる場所です。だから、成長、鉱物の変質、器官のでき方、水の働きなどを理解しようと思えば、表面というものの作用を理解しなければならないのです。シリカという鉱物には、錬金術的要素である地の作用を構成する無限の内表面を有しています。シリカは非常に微細な内表面を配置し、これが生命活動の足場を提供します。

世界鉱物樹

ルドルフ・シュタイナーは農業講義の第3講で、炭素についてこう語っています。「炭素は酸素が生命を引きずり続けるための足場である。」そして足場としての炭水化物について説明しています。炭素と足場としてのシリカに何の関係があるのかと思うかもしれませんが、炭素とシリカは周期表の中で互いにオクターブの関係にあります。彼らは姉妹なのです。一方は有機物であり、一方は無機物ですが、両者は他の発展のための足場として、同じような原型的身振りを提供することで自然に貢献しています。両者とも、他の形態が生まれるように自らを犠牲にしているのです。

錬金術的には、地球がどのように犠牲を払っているかを考えることは役に立ちます。それは詰まる所、霊的存在が受肉できるようにするための犠牲です。可動性のある状態から突然固定化されるのは犠牲です。可能性の状態から顕在化するのは犠牲です。これを体験するには、駐車場に出かけてアスファルトに埋め込まれた岩を見て、その岩を犠牲という観点から考えてみてください。何世紀にもわたって持ちこたえる山の力について、犠牲という観点から考えてみてください。これは興味深いエクササイズです。肉体に落ちることは、霊の究極の犠牲なのです。溶解の代わりに凝固し、何かになる自由の代わりに何かになってしまうということは捕らわれの身になるということなのです。顕在化したものは何であれ、何かになっていく自由を失ったのです。錬金術的には、これらのイメージは地球の鉱物、特にシリカについて考えるために使うことができます。

図4

図4を見ると、薄っぺらなクロワッサンのように見えますが、これは珪酸塩鉱物である雲母の顕微鏡写真です。珪酸塩が風化する過程で、一部のミネラルがイオン交換または陽イオン交換によって放出され、鉱物体から土壌溶液に流れ込みます。解放されたミネラルは土壌中を流れる際に、正四面体の原型を変化させたさまざまな形を作ります。このように、地球の流動性は、溶解(ソルベ)として流れ、凝固(コアギュラ)として堆積する過程にあります。雲母の構造を見てみると、葉を詰め合わせたような身振りの主題(ジェスチャーモチーフ)が見えます。錬金術的にこのことから展開できる想像(イマジネーション)では、雲母は地球体の鉱物の中で葉のしぐさを示しているということです。雲母は、ルドルフ・シュタイナーが "世界鉱物樹(World Mineral Plant) "と呼ぶものにおける葉を代表しています。一片の雲母を開くと、小さく薄い半透明の平板に割れていきます。シュタイナーの錬金術的想像の中では、かつて霊的雛形としてのすべての植物の原型が鉱物体の中に埋め込まれていた時期がありました。鉱物と植物はまだ分離していなかったのですが、葉が形成される可能性が、鉱物自体の中に次々と葉のようなものを産み出したのです。私たちは、雲母の形態的身振りに、この世界的な葉形成過程の活動を見ることができます。

自然科学的な見地からすると、ちょっと突飛な話に聞こえるかも知れませんが、このようなイメージは地質学の専門用語にも見られます。地質学的に、岩石中に雲母が形成される過程は "剥離(exfoliation) "と呼ばれている。剥離の形成は、カリフォルニア州ヨセミテにあるような巨大な花崗岩の塊で起きます。その地域では岩肌から花崗岩が剥離する大きな割れ目があるため、花崗岩のドームが玉ねぎのように見えるのです。花崗岩の層がはがれる過程を剥離と呼びます。ラテン語でexは "から"、foliaは "葉 "を意味します。花崗岩の表面は、氷河がその上を移動する際に剥がれた葉っぱのように見えます。このような地質学的過程は、この鉱物の特殊な構造のために生じます。割れ目に沿って弱い部分があり、そこに水が浸透し、凍って膨張し、大きな岩の一葉を表面から押しはがすのです。春になって氷が解けると、大きな岩葉は崩れ落ちます。これが剥離であり、ヨセミテの花崗岩ドームに見られる植物的現象です。

世界鉱物樹が花崗岩の分子構造に現れているのは、岩石内にたくさんの平面が形成されているからです。このようなプロセスが起こるのは、最小のレベルでは、珪酸塩が内部に四面体の平面を形成し、水が入り込むからです。このように、ミクロレベルからヨセミテの岩塊の剥離というマクロレベルまで、同様の形成過程が働いています。この形態的な原型は、鉱物の塊が無限の内表面に分割されることなのです。この鉱物の内表面が風化を助け、やがて土になる過程を動的なイメージとしてみると、まず鉱物内部でのたくさんの平面の形成に始まり、それらの平面が一体化し、雲母の性質が水との相互作用を可能にします。雲母の性質に由来するカリウム、ナトリウム、カルシウムは、長石の形成に貢献します。鍵となる形態モチーフは、膨大な表面積を内部にもたらす幾層も重なり合った平面の集合です。自然界では、表面こそが変容の場なのです。

図5

図5はグラナと呼ばれる構造の顕微鏡写真で、葉の葉緑体の光合成に寄与する構造の配列です。この葉緑素の小さな板は、光を受けてそれを増幅するように配置されています。この様子は、車のバッテリーの電解液に浸された金属板に似ています。ミクロの方向に見ていくと、まず葉があり、葉の内部には細胞があり、細胞の内部には原形質があり、その中にグラナがあります。グラナの中にある小さな板の層は、世界鉱物樹の葉たる雲母の特質に似ています。雲母が示す原型植物のモチーフは、珪素的な表面形成による花崗岩の四面体分子構造から生まれましたが、葉緑体の構造は同じ形態的モチーフを反映しています。

マクロの方向に見ていくならば、平面である葉(Folia)があり、ヨセミテへ行けば、岩肌に植物のような形態的モチーフが見られます。このような論理は、錬金術では類推法と呼ばれています。珪酸塩の分子形態から始まる形態的あるいは身振り的なモチーフは、一方では植物に、他方では山脈の巨大な岩肌に至るまでずっと展開されていくのです。これらの形態的モチーフや類型の背後には、あらゆるジェスチャーモチーフの大先輩である「表面」というものがあります。農業の目標は表面を最大化することです。表面を最大化することは、植物の生命形成の中心的役割を果たします。内表面の最大化は腐植土の役割です。腐植土には無限の内表面があり、根毛がその中で調達先を見つけ、土壌溶液が干上がったときでも水を見つけることができるのです。しかし、腐植土の構造は、先ほど説明した鉱物の形態に類似しています。

自然界における表面は、さまざまな生命形態や有機体レベルの間で最大の相互作用の場を提供します。植物では、葉の内表面は光を取り込むために使われます。グラナ形成層は光のアンテナのような役割を果たすのです。それは葉緑素の中に配列された太陽電池のようなもので、さまざまな波長の光を取り込み、植物の樹液の中の金属にエネルギーを与えます。これは科学的が説明する機能ですが、形態的モチーフは、地中のシリカから始まり、鉱物の内表面、腐植土の内表面、そして植物構造の内表面へと連鎖していきます。次々と発展していく内表面のジェスチャーモチーフは、生命や有機体内のエネルギーがどのように発展していくかを理解する鍵となります。

コロイド

ジェスチャーモチーフに取り組むとき、役に立つ練習があります。葉っぱを見るということと、葉っぱと一緒に見るということの両極を知る必要があるのです。葉っぱを見るというとき、通常はその表面といくつかの特徴を見るだけです。ほとんどの場合、本当には見ていません。しかし、私たちが内面に表象像を描き始め、私たちのアカシャ(意識)を、形成プロセスの背後にある元素的存在の意識と調和させると、その葉っぱはあなたの意識と交流し始めます。なぜなら、私たちの意識が変容の質を決定するからです。元素的存在たちは、霊の現実に気づいている人間との交流を切望しているのです。
問題はこうです:瞑想的方法として、実際どのようにして、時間を見通せるほどに観るということができるのか?

自然現象を見るのではなく、自然現象とともに観る練習を積むと、その現象と私の意識はリズミカルに同期していき、レーザーのように焦点があってきます。つまり、この作業の第一の段階は、心を現象と調和させることであり、第二の段階は、自分の内なるイマジネーションのリズムをどう合わせていくかです。ジェスチャーモチーフには一種のリズム構造があり、これによって私は、ゲーテの言う「現象がなっていくこと(The becoming of the phenomenon)」と自分の意識を調和させることができるのです。完成された形を見ただけでは、私の意識をそれに調和させることは難しい, しかし、それがどのようにして今の形になったのか、あるいはどのようにして位相変移を経たのか、その過程を自分の内なる目に留めておこうとすれば、私の心が起こす動き、あるいは私の意識が起こす動きは、私が観察している現象の背後にある原型と調和し始めます。そうなると、土に触れたり、移植をしたり、堆肥を作ったり、あるいは出来つつある堆肥の匂いを嗅いだりしたときに、その形が持つ深いレベルの意味が、私の心の中で整理され始めます。ある匂いが引き金となって、私の魂や四肢の構造が反応し、実際に化学的に動くとします。自分の感覚を訓練し、意識をその動きに調和させれば、そこで突然、何かがおかしいと気づくことができるようになります。

古代の人々はこのような訓練をする必要はありませんでした。なぜなら、彼らの頭の中は国税庁や株式市場のことでいっぱいではなかったですから。彼らはただ、想像(イマジネーション)によって自然界と調和して生きていたのです。今日、私たちはそのような深い関わりを失っています。しかし、だからといって霊的なレベルで自然と関わることが不可能というわけではありません。私たちは自然を見通す能力を再び獲得することができますが、それを意識的に取り戻さなければならないのです。かつては、人々は土地のどこにパワースポットがあるのか知っていました。誰かが泉の蓋石を取っ払ってしまって元素界の存在たち(エレメンタルビーイング)が怒っていたら、すぐわかりました。このような想像力を持つことは実用的ですが、それだけでは私が内面で見ているものの概念を形成する助けにはなりません。そのためには、想像の中で受け取ったものの背後にある法則を理解する必要があります。曇りなく明瞭に観察し、リズミカルにモチーフの内なる表象像を描くことを訓練しなければなりません。リズムによってこそ、現象と調和することができるのです。これが特に言えるのは、季節のプロセスを自分の内なる目に視覚化しようとする時です。

季節変化のプロセスは、現象を理解するための瞑想的な方法を発見するのに実際役立ちます。秘教的には、季節というのは自然現象の移り変わりを導く霊的な存在なのです。ルドルフ・シュタイナーは、彼らを「時間循環の精霊」と呼び、最高位の元素的存在だとしています。あなたが植え付けカレンダーなどを使って追跡しているのは、こうした霊的存在なのです。季節と共鳴しながら、自然の姿を時間の流れに沿って内的に表像化し瞑想すると、畑に出たときにいつ何をすべきかという正確な感覚を得ることができます。そのことについては、また後で詳しく述べます。

こうした内的視覚化の方法は、錬金術では類推法(アナロジーの方法)と呼ばれます。類推法では、雲母のような鉱物が植物の類型となりえます。そしてそれは、肉体から生命力、魂、霊への人間の進化の類似形でもあります。これは、似たようなモチーフの層からなる進化のサンドイッチとも呼べます。どの層や界を観ているかによる違いはあっても、ジェスチャーモチーフは同じです。ところで、この種の科学的研究は、いわゆる逸話的証拠に基づいています。実証的な科学者は、2つの逸話は1つのデータにはならないと言います。ここで大いに必要とされているのは、自分が見ているものが本当の類型的事象なのか、それとも単なる思い込みなのかを判断できるように、自分の内なる目を発達させることです。逸話的証拠は非常に明確な思考によって検証されなければ、どんな発見も、科学界で発言力のある人々からは、取り上げられないでしょう。私たちは、バイオダイナミクスの、より直感的なプロセスを受け入れようとする研究者たちとの橋渡しをする必要があります。もし私たちがこの類推の手法に何らかの根拠を示すことができれば、他の研究者たちとの協力を通じて、研究はさらに前進するでしょう。

図の3から5に関して、類推法の内的視覚化プロセスをやってみましょう。例えば、鉱物の基盤の中を流れているカリウムを観てみます。カリウムは、葉の原形質が形成される際にイオンチャネルを作ります。カリウムは葉っぱの中で、鉱物の塊の中でやっているのとまったく同じことをしています。カリウムが岩肌から染み出て土の中に入っていけるように、イオンの移動のための水路を作るのです。土壌溶液中のイオン状カリウムは植物に取り込まれ、葉に移動します。カリウムは、鉱物界でも植物界でも同様の役割を担っています。

科学的に追跡できるカリウムのこうした性質は、類推法の基礎でもあります。ここで科学的事実を視覚的に捉えることが有益で、すると以下のように考えていけます。「ふむ、カリウムを活性化する新しい調合剤を作るための外鞘(さや)には、動物のどのような特徴を探せばいいだろうか?その作用を促進するものを作りたいとして、、、動物の外鞘に何を求めるだろう?どんなハーブがその働きをより強くするのだろう?」さらに、カリウムの作用が魂の中で何を表しているのかまで問うこともできます。類推という内視覚的手法の価値がわかると思います。

鉱物と植物が別物であるということに囚われなければ、とても有益な考え方をすることができるはずです。鉱物は植物の動き(ダイナミック)であり、過程であり、活動なのです。科学的なプロセスとしてこれらの写真を見るとき、臓器の形はその活動の鍵となります。類推の方法は、形と身振りの言語を使って、類似したモチーフを探すのです。地球の領域には、実際の鉱物である地球とその形態的モチーフがありますが、同時にその形態的モチーフに似た植物の構造もあります。グラナの形態、葉の構造、木部と葉茎の構造はすべて膜の形をしているのが分かります。

膜という形態は、レッドウッドの根元から頂上まで水が上がっていくのを可能にします。自然界における膜は、毛細管現象の場です。膜表面において、水の表面張力の変化によって水が移動するのです。水の分子と生物構造の分子の表面張力が相互作用して液体を動かします。樹木の成長部分には微細な膜があります。非常に微細な膜複合体の影響下にある水は、重力に打ち勝って極端な高さまで移動することができるの です。こうして、水は土壌から立ち昇っていきます。考えてみれば、植物の内部で水が300フィート(100m)も上昇するのは、地球の基本的な重力の法則に反しているように思えます。水は別の次元の力と相互作用しているのです。私たちはそれを当たり前のこととして受け止めていますが、これは本当に奇跡的なことなのです。土の中にあった筈の水が育っています。何が育っているのでしょうか?

エネルギーという言葉は、どこにでも使われますが、私たちが理解できない現象に対する言葉です。私たちは何かにエネルギーがあると言いますが、生命エネルギーを追跡することはできません。図4は雲母の写真であり、図3はそれがどのように見えるかの図です。雲母の層の内側にあるたくさんの表面の間には、分子空間があります。互いに非常に接近した表面があり、その表面に水が接触すると、水の中で表面を作る力と物理的な物体の表面の力の間で反応が起こります。物理的な表面が十分に細かければ、水は層の中に引き込まれ、その表面に移動する。これが毛細管現象です。表面が細かければ細かいほど、その作用は大きくなるのです。さて、水が岩の表面に入り込むとき、その動きは、植物がその内表面全体に沿って水分を移動させるのと非常によく似ている。植物と鉱物の両方におけるこの交換作用は、類似した現象です。どちらの場合も、表面と表面のきめ細かさが動きの可能性を生み出すからです。

ところで、もし図4の雲母の中に蒸留水を入れても何も起こりません。水はただ水のままです。しかし、もしその水が動物の死体や 植物を通って浸透してきたか、あるいは大気中の何かを通過して弱酸性になったのであれば、その酸性水がこの小さな表面に入り込むと、酸性水と鉱物の形との間にpHの差が生じます。この作用によって、岩石から他の鉱物のイオンが引き出され始めます。して、地上の岩に含まれる他の鉱物が、水の中の酸素と水素の溶液の性質を変えるのです。カルシウムとカリウムが岩盤から引き出され、再び結合し、さらに水が入ってきてこれらの溶質を洗い出します。こうして変化した水が植物と接すると反応が起こります。ミネラルによって電荷を帯びた水は、イオンに満ちています。イオンは相互作用性を持ちます。土壌中のイオン性液体が植物の根と出会うとき、植物の根は水と相互作用を起こし、内表面が豊富である根は、ミネラルから放出されたものを吸収するのです。

イオン電荷の考え方を説明するために、ちょっとしたドラマを考えてみましょう。友人のデビッドと私が朝起きたとします。私は良い朝を迎え、彼も良い朝を迎え、私たちは地下鉄に乗っています。どちらも電荷も持っていません。ドアが開き、二人は地下鉄から降ります。また翌朝、私たちは起き、同じ地下鉄に乗るのですが、この朝、私は頭痛で目が覚め、朝の6時には冷蔵庫のモーターがショートしたのです。さて地下鉄に乗るのですが、今日は私は帯電しており、デビッドはしていません。彼がちょっと私の前に立っただけで、私は噛みつきます。「おい、俺のスペースに図々しいぞ!」
今の話はイオン化のことです。分子レベルでの引力と斥力の電荷の移動です。錬金術的には、引力はコアギュラ(凝固)であり、斥力はソルベ(溶解)です。”汝、周辺に行け”とソルベは言うのです。“私のスペースから出て行け。あっちへ行け。゛これが斥力です。

イオン化を理解しようとすると、コアギュラとソルベに戻ります。冷蔵庫のモーターがショートした後、私は地下鉄の中で少し酸っぱくなっています。すると隣の人の電荷は中立だったのですが、突然電荷の交換が起こります。電荷自体や電荷の不均衡による移動は、"エネルギー "の動きを生み出します。こうした交換は、実は組織内のあるレベルにおけるある種の意識なのです。イオンは活動的で、岩石から出てきたイオンが突然土の中に入って、植物の根と出会えば、そこには交換が起こります。その交換が生命であり、その動きが生命なのです。これが水の役割です。水は生命の可能性を生み出すのです。水は電荷と不均衡を運び、接するものすべてと交換作用を起こします。水はある種の電荷と動きを運び、その結果、pH、温度、速さが変化します。

私はもう何年も、コロイド構造の研究をしてきました。コロイドとは、鉱物が1~100ナノメートルという小さなサイズになったときに形成されるもので、液体に入れると一種のゲル状になります。このように小さな粒子が液体の中にあると、コロイドと呼ばれます。私たちは、鉱物をコロイド状態にするための研究をしてきました。コロイドの粒子サイズ以下では、鉱物は溶液内にあり、コロイドの粒径以上では懸濁液と呼ばれます。懸濁液では、最終的にすべての粒子が沈殿します。岩石を粉砕することができますが、うまくやれば、その粉は水の中に入り、そのままそこに留まります。粒子が浮遊しているのは、その粒子に電荷があり、他の粒子と反発するからです。粒子は互いに反発し合うので、均等に分散した粒子のネットが形成され、特定の距離で互いにハマってしまいやすくなります。

私は何が粒子を沈殿させるのか知りたくて、目を血走らせてググること2ヵ月半、1902年に簡単な実験をした人物を見つけました。彼は中国粘土の溶液のpHを非常に微妙に変化させてみたのです。単純な材料で単純な条件で行われた実験を見つけるために、私は1902年まで遡らなければなりませんでしたが、その実験は完璧でした。その実験は、コロイドにとって完璧なpHは、中性の7よりわずかに高い塩基性であることを示しました。この実験は、中国粘土を水に7通りの違うpHで正確に混ぜたもので行われました。中性pHの7では粘土粒子は沈殿したのですが、pH7.001では美しいコロイドを形成しました。7.003では再び沈殿し始め、7.006ではさらに沈殿が進み。混合物が7.1になる頃には、懸濁液のように沈殿しました。この実験は、ほんのわずかな酸や塩基でも電荷を変える可能性があることを示しています。この微細な違いが、生体の中で物事がどのように動くかというパターンの様々な可能性を生み出すのです。

しばらくの間、この実験に時間がかかって、(新たな調合剤のために)コロイド状態の宝石を製造する私自身の実験を停滞してしまいました。私の目標は、植物が最も簡単に宝石を取り込めるようなコロイドを作り出すことでした。液中でコロイドを維持するためのpHの範囲はとても狭いのです。そして完全なコロイドは膜を通過できないことがわかりました。コロイド状態は、生体の中でミネラルが液体中を移動する方法です。しかし、ミネラル化されたコロイドが半透膜に接触すると、細胞内の化学的性質が膜との相互作用を通じてコロイドのpHを変化させます。そして、この相互作用によってコロイドが脱落し、イオン化したミネラルが細胞のダイナミクスに利用できるようになるのです。自然は見事にできていますよね。このような相互作用が、あなたの血液や細胞内のミネラルの動きも導いているのです。血液中のミネラルや金属は、植物の樹液や動物の臓器内を移動する同じミネラルの動きと関係があるのです。錬金術的には、コロイドは体内の浮力と重力の力のバランス状態を表しています。私たちはまた浮力と重力に戻ってきましたね。これらの要素が、あなたの体内で相互作用している表面たちの関係を変動させるのです。これらの動きは、錬金術の地、水、気、火の要素でもあります。
図6はファントムとして知られるシリカ結晶です。この結晶は層を形成する際に、岩石中を移動する流体に何かが混入するような分子構造を持っています。

その結果、取り込まれた鉱物が結晶のなかに "ファントム(幻影) "として沈着するのです。このファントムによって、結晶の幾何学的構造が最初からずっと受け継がれていることがわかります。結晶の形成過程では、原型となる結晶の形に外側から層が積み重ねられていくのです。だから追加された外側の層は、最初の正四面体の配置に基づいています。外側の層は表面として追加され、外側から追加された表面は結晶の内側の表面となるわけです。内表面はエネルギー伝達の通路であり、自然が示す秩序の鋳型です。私たちがバイオダイナミクスで行っていることの多くは、内表面に働きかける方法をとります。

シリカと牛の角(つの)は、内表面の足し算と掛け算という基本的なモチーフを共有しています。牛の角はシリカ結晶の類似体であり、両者の内面は同じような方法で形成されるのです。実際の物質という点では、牛の角と水晶は大きく異なりますが、形態的モチーフは非常に近い。これは、それぞれの形成過程が似ているからです。まったく異なる物質でありながら、分子構造が似ているのは、形成過程が似ているからなのです。牛の角のタンパク質構造とシリカの分子構造の顕微鏡写真を見れば、形態的な、つまり形成的なモチーフとしてお互いの鏡像であることが分かります。

これは、ルドルフ・シュタイナーの洞察の多くを科学が裏付けることができる、と私が言ったことの良い例です。とはいえ、私たちは生命体の類似点と相違点を理解する必要があります。アナロジーの方法を用いる場合、形成過程についてよく見極めることが絶対的に必要です。牛の角がシリカでできていると言えば、それは誤りです。しかし、その構造と形成過程はシリカの結晶と非常によく似ているのです。多くのタンパク質は高度に精製されると結晶化することができます。

ジェスチャーモチーフ

錬金術的マンダラでは、地の領域は一般に鉱物の領域を代表すると考えられていますが、鉱物には植物や動物に適用できる原型的モチーフと見なせる身振り(ジェスチャー)があります。鉱物の領域における私たちの仕事は、鉱物(花崗岩、雲母、長石)の内部構造と形成モチーフを理解することです。
501調合剤では、特定の種類の山水晶しか使えないという人もいます。しかし、ルドルフ・シュタイナーは農業講義の中で、"長石も使える "と言っています。ルドルフ・シュタイナーは、この考えを試してみたらいいけれど、水晶以外のものを使う場合は、何をしているのかを理解する必要がある、と言っているのです。斜長石、正長石と、珪石形成の違いを理解する必要があります。それぞれの構造は大きく異なるからです。何を使うかは、カルシウムが欲しいか、カリウムが欲しいかによります。この2つの長石は珪酸塩ですが、その内部の鉱物構造は、電荷の並び方に関しては、非常に異なったジェスチャーを持ちます。このように、鉱物の構造がどのように配置されているかによって、さまざまな植物や動物の臓器のどれが良い鞘として機能するかが違ってきます。 この分野では研究が必要です。長石、アメジスト、トルマリンなどを試してみるのもいいでしょう。どのような鞘が必要で、植物や地面に散布するとどのような作用があるのか?これらの異なる形のシリカの力はどのように動くのか?

地の領域では, 鉱物が植物や動物、そして人間の身振りのあり方の可能性を示します。鉱物はある種の意識をあらわしています。意識として、鉱物は法則的で秩序あるものすべてを表しているのです。鉱物の領域、特に鉱物の内部構造、特に珪酸塩の内部形成過程を研究することは有益です。なぜならこれらは農業や土壌造成に深く影響しているからです。珪酸塩の分子形成的なジェスチャーの他のあり方を研究することも有益です。アメジストの結晶と水晶がどのように違うのか、トルマリンがどのように成長するのかを知る必要があります。これらはすべて珪酸塩ですが、異なる引力や斥力を表すため、地球の生命体における形成過程のジェスチャーはまったく違います。異なる秩序で分子が配列し、それが結晶の形となって現れています。私たちの実験によると、例えばアメジストの結晶を牛の角に入れてスプレーを作ると、水晶を使った場合とはまったく異なるジェスチャーがスプレーされた植物に現れます。

アメジストの特性は抑制的で、外へ向かって突出するのを防ぐ傾向があるように見えます。アメジストのジオード断面を見ると、この後ろに控えるしぐさを見ることができます。それとは対照的に、水晶は長い笏のような形伸びていきます。スプレーを作るために使われる場合、水晶の形成傾向は植物を光の方へ向かわせます。ヨーロッパの冷夏による小麦のさび病の問題に対して、ルドルフ・シュタイナーが水晶を修正剤として処方したのはこのためです。ヨーロッパで冷夏のおこる年には、北から出たジェット気流のループがはるか南まで貫通し、夏の間ヨーロッパを全般的に涼しく保ちます。このため、特に北部では作物の成熟と熟成に問題が生じるのです。ヨーロッパの夏は生育期が寒いため、北部のブドウはカリフォルニアのモントレーで栽培されたブドウとはまったく異なるワインになります。この寒さは、カビやベト病の問題を引き起こします。

冷たく湿ったジェスチャーをやわらげるためには、光の極を象徴する何かを施す必要があります。シュタイナーは、粉砕した水晶を牛の角に入れ、水に混ぜるように言いました。その水を植物に吹きかけると、植物に光がもたらされるのです。シリカは植物を辺境からの光に向けて押しやります。こうすることで、水晶はベト病に対する予防薬として機能します。カビや菌は光との関係をさけるからです。水晶は植物にスプレーすると、上へ外へ押し出すというジェスチャーをもたらします。ただし、7月や8月のカリフォルニアや中西部の夏にこれを散布すると、光が強調されるため、火傷が多発します。光を強化するのが水晶の役目なのです。

何年か前、アメジストを砕いて牛角に入れ、アメジスト調合剤をスプレーしたことがあります。私はシリカの強烈な光ではなく、しっとりとした光を探していたのです。宝石学者の間では、アメジストは "ブラジルの双子 "として知られています。結晶の骨組みとなる四面体が、水晶のように長い鎖状には伸びないのです。結晶が成長するにつれて、右に行ったり左に行ったり、右に行ったり左に行ったりし、その結果、対置的な分子形態がアメジストのジオードに見られるジェスチャーなのです。水晶は抑えられて水平に広がり、支配的な一つの中心があるのでなく、共通の中心の周りにたくさんの小さなポイントが形成されます。この結晶は抑制的で飛び出さないのです。さて、この鉱物のジェスチャーは、スプレーとして、何に有効なのでしょう?どのような植物のジェスチャーを私たちは期待しているのでしょうか?レタスやキャベツなどは、トウが立つのを抑えたい作物です。上に伸び、花を咲かせるよりも、葉をたくさん茂らせたいのです。アメジストは珪酸塩ですが、その分子パターンは水晶とはまったく異なるジェスチャーモチーフを持っています。その結果、水晶に関するシュタイナーの指示のように使うことができますが、その作用は水晶のそれとはかなり違ってきます。

このように、私たちはここでいくつかの概念を確立しました。錬金術的な2つの重要な考え方として、ソルベ(溶解)とコアギュラ(凝固)があります。ソルベは浮力の極であり、コアギュラは重力の極です。浮力と重力から、その組み合わせで様々なジェスチャーが生まれます。この鉱物や植物は、外へ向かって飛び出そうとしているのか、それとも控えて押しとどまっているのか?アメジストは、シリカにはない重力のジェスチャーも持っています。水晶の浮力は、植物をはるかな周縁へと押し出そうとします。次は、地、水、気、火の四大元素の曼荼羅の中の、水の特質を見ていきます。


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