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自分の「好き」が、淘汰されてしまわないように。

好きなものを共有できる人は、強い人だと思う。

私は、自分だけの情報にしたいから、誰かにいうのをためらってしまう。

その良さを伝えるのは良いことだとわかっているけれど、もし自分が手に入らなくなったらとか、そういうことを考えてしまうのだ。

つまらない大人だと思う。

SNSでは今日も有益な情報があふれていて、たくさんの人の目に届いている。もちろん私のところにも届いていて、それをスクリーンショットに残して保存する。その保存用のフォルダまで作っているのだから、私は情報に飢えているのかもしれない。

レシピ、コスメ、ライフハック、イラスト…何でも片っ端から保存している。

でも実際それが役に立ったのかどうか、そして買ったかどうかは私しかわからないわけだけれど、あえて言いたい。

役に立つ場面に出くわさないし、買ってもいない。

ただ、見て満足している。

・・・

自分の発信した好きを、誰かの目に届いて、また誰かの目に…と連鎖的な反応が起こるのは良いことだ。知らないことを知ることも、楽しい。

でもどうして、自分の好きを誰かに共有できないのか。

きっと私の中で「知ってもらう」は「奪われる」の感覚に近いものがあるからだ。

「いやいや、何を言っているんだ」と、思う人もいるだろう。

その中に「なんとなくわかる気がする」という感覚があるなら、私はそれで満足だ。

また、自分の好きなものを否定される怖さもある。

それでも、自分の好きがいつか淘汰されていくのだと思うと、今伝えなくちゃいけないような気もする。

・・・

そう思ったキッカケは、好きなブランドが今は無くなっているのだけれど、そのコンセプトや歴史を調べたいと思った時に、なんの出典も情報もなくて、悲しくなったからだ。

あの有名なWikipediaさえも、載っていなかった。

歴史は記述された部分があったから、今も語り継がれていると言われる。

口頭伝承だったものが、いつかこうやって情報が消えていくのだと思う。

口コミももちろん大事だけれど、良いと思ったものを日記でも何でも発信しなくちゃいけないなと感じた出来事だった。

まだ少し好きを伝えるのは苦手だけれど、自分の好きなものを守れるくらいの強さを手にしたなら、いつかカタチにできると良いなと考えている。

お仕事中のドリンク代にさせていただきます。ちょっといい紅茶を買いたいです。