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「星雲乱破、ナイファス」第二話

「光熱費が払えない……」

太陽系連邦軍の黒と青の軍服を着用したソーヴィは、繁華街であるポラリス・マーケットの一角に備えられたATMで、貧血を起こしそうになった。

(お金がない、どうしよう、お金、来週のご飯も食べられない……)

木星の中央都市ジュピトリスから、惑星メトロ快速に乗って一時間の未開拓地域に、「太陽系連邦軍第08星間飛行隊」は存在していた。開発されて150年、ジュピトリスを囲む土地は巨額費用により整備され、閑静な高級住宅が建ち並ぶ。真逆の飛行隊がある僻地はいまだに地表加工もされず、常に足元は汚水を含んだ泥が流れるまま。

手元には二つの生体認識セルフィアイ。残金は左手には5万デュベ、右手のそれには500万デュベ。しかし、この500万を使えない絶対の理由があった。

「救済申請するにしろ、来年に返済が請求されて火の車だ……。自転車が無い自転車操業なんて……」

裕福層のデザイン・チャイルド、「DC」と呼ばれる優秀な遺伝子配合エリートの人々が、最新型のオートクチュールビルが並ぶマーケット通りを笑いながら歩いていく。平日のランチタイム、「ジュピトリシア」と羨望を独占するブランドファッションに身を包む女性や学生たちが、お洒落な店舗に入っていく様子をぼんやりと眺めるだけしかできない。私立校の制服姿が、ドリンクショップで楽しそうに並んでいる。

「ベレネーゼのヨーグルトベリー、飲みたいな……」

大学卒業後に星間飛行隊へ入隊し一年、25歳のソーヴィ・キャスバリエ少尉は正規軍人扱いではあるが、安普請のプレハブ基地の食堂を利用した事は一度もない。そうでなくとも高値の木星食料事情に加え、首都から離れているせいで運搬手数料を給料から天引きされてしまうから。手取りで毎月12万デュベ、そこから税金が4万差し引かれて、食費が一万半、室内でジャンプすると床が抜けそうな独身寮の家賃が4万デュベ。通信機器の費用で残りはほぼ無くなる。

「基地の補修費がかかるし、バスタブにも入れない……」

濾過しきれていない汚水シャワーのせいで、色鮮やかだったストロベリー・ブロンドは痛んで枝毛が目立つ。長いそれを切ろうと何度も考えたが、故郷の宗教文化に逆らうのが辛かった。

左腕に付けている端末、セルフィアイが小さく鳴って『本日、15時に希望者面接。基地までここから一時間半』と告げられる。

「取り敢えず今できることをやる……。入隊希望者と会って……、それから、それからなんだっけ……」

チャージ金額が三桁を切ったメトロアプリで改札を通過し、不安に押し潰され震えてしまう足をなんとか励まし、地下鉄に乗った。来年、いや来月の自分はどうなっているのだろう。未来が全く見えない。どこまでも続く真っ暗な車窓は人生そのもの。助けてくれる人は、いない。

無人の小さな駅に降りると、基地まで200メートル真っ直ぐな泥道が続く。その建物こそは大きいが、薄いモルタルでただ囲まれているだけの脆弱な自分の職場。泥を跳ね上げて歩いていると、チィ、と足元で何か動物の鳴き声が囁く。軍靴の近くで、まるで古い毛布の切れ端を丸めたような物体が震えていた。おそらく、首都で手に余った雑種ペットが捨てられたのだろう。優生遺伝子配合で生まれたデザイン・チャイルド「DC」のエリート達は、出来損ないの生命としてブリーフィングに失敗した動物、例えば半人半獣であるビースターなどを嫌悪し見下す者が多い。

腰を屈めて、私物のリュックからエコバッグに包まれたパンを出す。ポラリス・マーケットで家畜ビースター用に売られていた、消費期限後商品だ。まだカビも見られないし大丈夫だろう。

「お食べ」

肌荒れし爪が割れている指で、そっと差し出す。何の種類か分からない小さな命は、勢い良くパンに齧り付くと、それを奪われないように走り去った。

「今夜の食事が無くなったな……」

(私はずっと、ここで一人だ)

「初めまして、アルマンゾ・ベリフィールズ伍長です。お忙しい中、お時間を割いて頂きありがとうございます」

確かに、新隊員希望者が訪れると聞いていた。だが対面した長身の青年は年上にしか見えず、またその圧倒的な美丈夫っぷりに驚愕する他はない。ウェーブ癖の強い銀髪は長く、バレットで緩くまとめられている。眉が太くすっと整った鼻筋、端正な深い顔立ちはルーブルの彫刻を連想させた。そして何より、プラチナのまつ毛に飾られる、地球の成層圏のようなプラネット・ブルーの切長い瞳。

(左目の黒い眼帯が無ければ、二つの地球が並んでいたんだな……)

「お会いできて、光栄です」

その声は胸に響く心地良いバリトン。木星訛りが無い、高等教育を受けたであろう美しいキングダム・イングリッシュが綴られる。それに……。

(こんな美しい人を忘れるはずがない、どこかで会っている。私は彼を、知っている……)

その既視感を振り払い、丹田に力を入れ落ち着けと自身に命令を下す。落ち着くんだ、冷静に。

「……ソーヴィ・キャスバリエ少尉です。こちらこそ、よろしくお願い致します。どうぞお掛け下さい」
「失礼します」

ソーヴィより20センチメートルは大きい、190は余裕だろう。スレンダーながらも鍛えられた筋肉で覆われる上腕と胸部、広い肩のシルエットは正規軍の制服だと分かるが、かなりデザインが変わっているし覚えのない認識ワッペンが目立つ。秘密諜報機関か、まさか連邦海兵隊員か。どちらにしろ、実戦部隊の超エリート組である。

「自分の経歴になります。ご確認を」
「はい、お預かり……します」

不安定にがたつくスチールデスク上へ、大きな手がセルフィアイを優雅に滑らせる。長い指には、既に固くなっている剣士特有の胼胝と肉刺。特に人差し指が太く発達しているのは、バルカンやライフルも長年握り慣れているからだ。

(前線勤務を重ねてきた下士官が、何故うちへ入隊希望を?)

可能な限り戸惑いを隠していたソーヴィであったが、中古の情報端末へ彼の最新型セルフィアイをかざした瞬間、そのビジョンに頭の中が真っ白になる。

「…………対テロ遠征軍記章、レジオン・オブ・メリット、シルバーソウル勲章……」

育った実家に飾られているカラーメダルの星々が、思い出の渦に流れ溢れる。ソーヴィは「英雄」や「ヒーロー」と言う呼称に、幼い頃から大きな嫌悪を抱いてきた。自己犠牲を賛美する軍隊に在籍しながら、常に無視し続けたその矛盾。しかし、見窄らしいパイプ椅子で長い脚を組む彼は、まごうことなき英雄だ。どれだけの地獄を潜り抜け、今ここに座りソーヴィへ静かに微笑を浮かべているのか。

「ご立派な武勲ばかりで……敬服の限りです」
「はは、ありがとうございます。お恥ずかしい話、ほとんどが後方処理ばかりですよ。既に鎮圧寸前の所を、私が幸運にも支援していただけです」
「大変、失礼ながら……、あの、伍長はどうして、星間飛行隊へ入隊されたいのでしょうか」

その疑問に、「ハハハ!」と歴戦の勇者は楽しそうに笑った。嫌味でもなく素直な気持ちが伝わってくる。

「ずっと入隊者を募集していたのは、こちらの広報でしょう?」
「そうですが、これほどの伍長の見事なキャリアを……、こんな辺境で無駄にしてしまうというのは」

地球の青い視線を真っ直ぐ受け止めなきれなくなり、ソーヴィはそっとそれを逸らす。

「ここは連邦軍内でも最低の予算配分で、税金の無駄部隊と批判され続けています。ご覧の通りの建物で、エアコンやランドリーさえまともに動かない現状です」

正直に告げるのは、誤魔化しても無意味だから。おそらく確実に、この銀髪の戦士は部隊の現実を全て熟知している。何故、どうして今更情報を聞きたがる?

「星間飛行隊が実戦出撃する機会はほぼ、ありません。辺境惑星の間を、遭難者や船を探しながら救助する建前ですが、この星域を訪れる未熟なフライヤーなどいませんし」
「それはDCの裕福層に限られる話でしょう。実際は貧しいビースターや、ギャングに成り下がったハーフ・ビーストが混在している。でも、太陽系連邦軍の指示で、貴方達は難民連中を救出できない」

部隊の恥部を明確に抉られ、ソーヴィは黙り込んだ。目の裏がガンガンと痛む。空腹とストレスによるいつもの偏頭痛だ。昨夜は冷え込み喘息の発作も出たが、木星の電気代は高額で基地ではヒーターも使えない。

「パイロットの爺捨て場、でしたか」
「はい?」

世間で嘲笑されている呼称に、咄嗟に視線を合わせる。無情なセンテンスだが、発音の中に悪意はまるで無く、純粋な問いかけ。

「失礼、この飛行隊は深刻な若手不足と聞いています。定年直前の、高齢パイロットの終着駅がここだと」
「おっしゃる通りです。お給料も少ないですし、とても伍長のご期待には応えられません」
「でも年若い労働者は必要でしょう? 恐縮ながら、この場所には大規模な補修や改築が不可欠なはず。違いますかね」
「……」
「自分は21になります」
「!?」

イエロー・ダイアモンドの瞳を見開いて、ソーヴィは真正面の長身を凝視する。年下!? しかも四つも!! 

「お払い箱の彼ら彼女達は、試験管やシャーレで生まれたDCではなく、この23世紀には非常に珍しい自然受胎で生まれた人類、つまり全員がナチュリア」
「……はい」
「貴方を含めて、そうですよね? ソヴェアリス・憂・ツタンカーメン少尉」

ソーヴィの脳内に、告げられた名前が突き刺さる。全身の血流が一気に冷め、足元へ落ちていく。激しい心臓の鼓動が破裂しそうで、膝の震えが止まらない。息が、胸が苦しくて。

「……貴官は誰なんですか、伍長」
「アルマンゾ・ベリフィールドですよ。貴方こそ、一体どなたなんです?」

吐き気がして目が回る。気が遠くなる中で、眺めていた風景が歪み視界が暗黒に包まれた瞬間、「姫若!」と懐かしく呼ばれた気がした。

【第二話・木星ヨーグルトベリー、終】




ソーヴィ


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