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電車に揺られながら書いた独白④・愛情の欠損具合と承認欲求の強さが比例するという事実

会社の通勤電車に揺られながら、
ただスマホでひたすら書き連ねた独白です。

今回は「愛情の欠損具合と承認欲求の強さが比例するという事実」。

コミュニケーションの土壌が出来てない人は、優しい人にしか話しかけられない


俺はブラック企業に勤めていた一時期、心療内科に通っていた。

心療内科に行った理由は、カウンセリングの先生のアドバイスで、
「昔、自分のクライアントさんに”発達障害”の人がいたけど、あなたはその人に似てる」
というものがあったからだ。

俺が発達障害かどうかもわからないし、
障害者みたいな感じに言われたことは心外だと思ってたが

その道の専門家みたいな人から
「あなたはれっきとした障害です」とキッパリ言われたら、
それはそれで気持ちが楽になるだろうなとは思っていた。

結論、心療内科に行ってきたのは収穫だった。

この当時、俺は心療内科に行くことを周りの人間に報告したのだが
ことごとく止められる羽目になった。

彼らのいう通り「健常者」である俺にとって
心療内科は全く行くべき場所でないのだが、

苦手な人間を前にするたびに、ビクビクオドオドする性格が
いったいどこから来るのか俺はどうしても知りたかった。

心療内科の先生に言われたことだが、
コミュニケーションの土台ができてない人は優しい人にしか話しかけられないのだそうだ。

そういう経緯があったから、怖い人厳しい人に対して
俺ビビっちゃうんだなってわかったので、すごく楽になれた。

「生きづらさ」の正体も突き詰めると「愛情の欠損」


ある時、家族が出てくる夢を見た。

自分の発言したことが家族の誰にも受け入れられず、ふて寝をするというものだ。

俺は昔から承認欲求が強かった。挫けそうな時が何度もあったな。

家庭にいるときにとにかく自分の身を守るので手一杯だから保身に走って、
愛情不足、あるいは愛情を感じられないままに育った子供が大人になる。
そうすると「生きづらさ」というものを感じ、
承認欲求を繰り出してくるようになる。

「生きづらさ」は愛情の欠損が生み出したものだ。

俺が心底リア充を羨ましいと思ったのは、
そうした「生きづらさ」というものが皆無であり
幼少期にちゃんと両親からの愛情を感じ取れているからである。

周りの連中がなんで「普通」「リア充」になれるのか俺はわからなかった。
俺の知らないことを知ってて普通にできてるんだから俺は知りたかった。

彼らは「生きづらさ」などという、まどろっこしいものは感じてないんだろうなと。


俺はカウンセラーに会うまで、自分の原因を掴めなかったが、俺の症状が
いわゆる世間で「アダルトチルドレン」と呼ばれるものであることは察していた。

そう言った状態になると必要になるのは「癒し」である。


承認欲求の正体は「愛情の欠損」


愛情というものが自分に向けるものも、他者から向けられるものも、
少しでも感じられている成長過程でなかったことが、
俺が「常に誰かに認められたい」という気持ちが強くした。

こうした事象を引き起こしたのは「愛情の欠損」である。


嘘をつきまくってたから行き詰まったんだよな
俺に愛情がないと言われてもまあなんら不思議でないわな

俺が「パパママ!もっと僕のことを見て!」って
承認欲求の塊だったのがあのFacebook。


キッパリいうが、俺はこれまでの人生において今に至るまで
誰かに興味を持ちこそすれ、誰かを愛したことはこれっぽっちもない。

オレの精神には愛がない。あるのは物質としての肉体だけ。
成長過程で育めなかった、未熟な愛情を
どうやって育んでいくかってのを考えていく必要があった。

まず、愛情が欠損している自分を認める。
どうすれば問題解決するのか。

まずは現状の自分に違和感を感じる。
そして調べる、同じ違和感をもって解決した先輩を。
その先輩が何をしたか知る。

俺にはその先輩がいなかったので自力で探し求めるところから始めていた。

そして俺にようやく「カウンセリングの先生」「心療内科の先生」という「先輩」が見つかった。


自分にとって何が幸せかって、本当のことを知って、自分の中で腑に落とさせること。

「孤独」というのは悪いことではない、
自分とどう付き合ってるか、立て直す大チャンスなことに気づいた。

「人生で一番付き合う時間が長い人間は誰か?」

という問いに対してのアンサーが、「自分」だからだ。

親でも恋人でも唯一無二の親友でもない。他ならぬ自分自身である。


転職するたびに苦しい現実に直面していたので
「なんでオレだけこんな辛い思いしてんだ?」って
勝手な思いに囚われていた。

心に傷を負っていることが、現実に投影される。
俺が働いてたブラック企業はまさにそれだった。

今目に見える結果ばかりを変えようとして、
結果を作り出した原因を変えようとしない。


そこに幸せはあるのか?

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