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百田夏菜子ソロコンサート「Talk With Me ~シンデレラタイム~」

2021.10.16-17 百田夏菜子ソロコンサート「Talk With Me ~シンデレラタイム~」に参戦してきました。

初日は現地で。2日目は他のライブに行く予定があって、当初は行かないつもりだったんですけど……1日目を見終えた時点で、「いや、明日も見たい!!!」という気持ちを抑えられなくなり、突発的にライブビューイングのチケットを買いました。
ライビュは途中からしか見れなかったけど、それでも行って良かった。本当に良かった。

幸せの余韻を書き残しておきます。

セットリスト

01. 魂のたべもの
02. D’の純情
MC
03. キミノアト
04. 太陽とえくぼ
MC
05. 愛・おぼえていますか(飯島真理カバー)
06. それぞれのミライ
衣装チェンジ
07. 夢の浮世に咲いてみな
08. リバイバル
MC
09. 強がり(戸田恵子カバー)
10. The Show
衣装チェンジ
11. 赤い幻夜(映画『すくってごらん』)
12. タキシード・ミラージュ
MC
13. ひかり(新曲)
14. 白金の夜明け
本編終了
En0. overture
En1. イマジネーション
MC(じゃんけん)
En2. わかってるのに(新曲)
En3. 渚のラララ
MC

ライブレポ

1日目と2日目の記憶ごちゃ混ぜで書きます。
現地で見た1日目の記憶濃いめ。

初日、会場に入ってまず驚いたのは、いつもの場所にステージがなかったこと。中央に大きな円形ステージ、そして左右には巨大スクリーン。
スクリーンには白い輪っかが映されていて、そこに中央から白いレーザーが当てられてくるくる回ってた。
センターステージにも、上空からレーザーが降りていて、色とりどりの何かの模様が映されて、くるくる回ってた。
もう、入った時点で「コンセプトライブだ」と分かる光景だった。

それから、客席は400レベル・500レベルのいわゆる天空席は使われてなくて、たぶん300レベルも使ってない……かな?
中央の円形ステージ、200レベルまでの座席という、どの座席でも距離の近さが感じられるつくりになっていたのは有り難かった。
「Talk With Me」のタイトル通り、お話できそうな近さ、という配慮だったように感じた。

開演20分前くらいになって、ふとスクリーンを見たら白い輪っかの中に2つの棒が現れていた。長針と短針。時計だ。
時刻は11:40を指していた。本当の時刻は17:10なんだけど。今だけはこの場所だけは、シンデレラタイムだ。

開演15分前、アリーナに謎の白い人たちが現れた。
白い布をすっぽりと被った、おばけ?のように見える。アリーナの通路をうろうろ。20人くらいいるんじゃなかろうか。
なんだか、不思議な空間だ。

時計が12:00に近づいてきて、カチ、カチ、と音が聞こえてきた。円形ステージの周りを照らす光も音に合わせて明るくなったり暗くなったり。
短針の音に合わせて、自然と拍手が起こった。

1曲目は『魂のたべもの』。
白いオバケとか、スクリーンのモヤモヤした映像とか、少し不気味さもあった開演前の雰囲気はこの曲のためだったのか。ゾクゾクと震えるようなカッコよさに鳥肌が立った。

『魂のたべもの』は私にとって、アルバム『MOMOIRO CLOVER Z』の推し曲でもあった。東京キネマ倶楽部で披露された『魂のたべもの』が強烈に好きだった。東京キネマ倶楽部のライブは現地チケットが当たらず後日配信されたものしか見れなかったけれど、それでも。百田夏菜子は宗教だ、そして私はその信者だ、と強く強く感じたライブだった。
それを百田夏菜子がソロで、ソロコンの1曲目に歌っている。その姿は、その歌は、あまりにカッコよかった。
その音を全身で浴びられることの喜びを泣きながら噛み締めた。

続く2曲目『D'の純情』もめちゃくちゃカッコよかったな。生バンドの演奏もカッコよくてその相乗効果が凄まじかった。

私は百田夏菜子の歌声を生で聴くのは1年以上ぶりで、去年のバレイベまで遡る。コロナ前の話だ。
生で百田夏菜子を見たのも映画『魔女見習いを探して』の舞台挨拶で、去年11月のこと。
だから『D'の純情』の歌詞「会えて嬉しいよ」は本当に自分事のように感じて胸がぎゅっと締め付けられた。私も会えて嬉しいよ、って幸せな気持ちになった。

オチサビの歌詞、

好きなことは くるしくたって
努力と感じないよ

は、27歳になった百田夏菜子だからこそその歌詞に深みが出るというか。
だって、絶対苦しかったはずだ。たくさん努力したはずだ。順風満帆なシンデレラストーリーじゃなかった。それでも無我夢中でやってきたんだって、その姿は全部じゃないにしろオタクたちみんな彼女を見てきてるんだ。
それでも、過ぎ去ってしまえば「あの頃は大変だったけど良い思い出だね」と言える日がくる、過去の痛みを忘れて良かったことだけを記憶に留めることができる、それも私たちは経験として知っている。

だから今、百田夏菜子がこの歌詞を歌い上げたときに、そのカッコよさに私はまた泣いた。オタクはすぐ泣く。
乗り越えたからこそ歌える、その強さはあまりに眩しかった。

MCは「Talk With Me」のタイトル通り話しかけてくるみたいな、ゆるい距離感があたたかくて心地よかった。
普段なら4人で話しているMCも今日は1人で話さなきゃいけない、と言いながら、けれどあまり不安そうな素振りはなく、メンバーとのMCを再現したり、誰かが水を飲んでるのを見るとその間はトークを繋ぐようにしてるという話だったりを楽しそうに語ってくれた。

このあと歌う曲の紹介として、初めてもらったソロ曲『太陽とえくぼ』という曲名は川上マネに「どんなタイトルがいい?」と聞かれて自分でつけたのだというエピソードを話してくれた。

「私の合図でスクリーンの映像が変わるらしいんですよ」「(スタッフさんに)準備はいいですか?」とニマニマ笑いながらカウントダウンをする。
パッ、と変わって出てきた映像は……百田夏菜子の写真だった。会場内に小さな笑いが起こる。
「ねえ!」「聞いてたのと違うじゃん〜!」さっきまでカッコよく歌い上げていた人とは別人のような、"いつもの百田夏菜子"の言葉が嬉しい。
もう一度掛け声をかけるが、今度は同じ顔がたくさん、スクリーンに埋め尽くされ、さっき以上の笑いが起こる。
「この映像で歌うの、キツいよ」と百田夏菜子も笑う。程なくしてイタズラ映像はブラックアウトした。

キミノアト』は前2曲とはまた違った伸びやかな歌が胸に刺さった。
その切ない歌声に、いつかの夏のライブでこの曲を聴いてダダ泣きしたことを唐突に思い出した。そのときの感情がぶわっと蘇ってきてしまってもうだめだった。あの夏のようにダダ泣きだった。

太陽とえくぼ』でようやく、泣かずにそのパフォーマンスを見ることができた。
とにかく、あまりにも、ただただ可愛かった。
さっきまであんなにカッコよく歌い上げてた人と本当に同一人物か?って思ってしまうくらい、等身大の女の子、いや10代の頃みたいな少女の愛らしさだった。

2曲ずつMCを挟んで、ゆったりトークタイム。
次に歌う曲は「本広監督が私に歌ってほしいってずっと思ってた曲なんだって」「アイドルが歌で戦争を止める作品の曲だって教えてもらって、本当にそんなことができたらいいなって思って、今回歌わせてもらいます」として、飯島真理の『愛・おぼえていますか』をカバー。

このときだったと思うけど、巨大スクリーンの片方が太陽、片方が地球の映像になってて、会場が宇宙そのものみたいな、壮大な世界観の中にいるような感覚だった。そしてその宇宙の中心で、百田夏菜子が宇宙に平和をもたらす歌を歌ってた。

それぞれのミライ』はMCで「私ってソロ曲が少ないじゃないですか。それで、バレイベのときにせっかくだから新しいものを見せたいねってなって、ボイトレの岡田実音先生がメロディを作ってくださって。その音に歌詞を書いてみようかな?って、私が歌詞をつけたんです」という内容(言い方は正確ではないです)を語ってた。
バレイベの4日前、とか言ってたかな。笑

そんな『それぞれのミライ』はステージに寝転んだところからパフォーマンスが始まって驚いた。
白いふわふわな衣装と相まって、天使のようだと思った。汚れのない、尊い存在が、横たわっている。その存在感、放たれるオーラ。真っ赤な世界の真ん中にただひとつの、真っ白な存在。

昇降機で一旦退場した後、銀色のスーツをカッコよく着こなして再登場した。
スーツの生地には「Talk With Me」の文字が全体にたくさん散りばめられてて、男性アイドルの衣装みたいでめちゃくちゃカッコいい。

そんなカッコいい衣装で5曲目『夢の浮世で咲いてみな』、バチバチにカッコよすぎて興奮した。
今まで見てきた『夢の浮世で咲いてみな』の中で一番カッコよかった。というか、カッコいい曲だとは思ってたけど特別好きとも嫌いとも思ってなかった曲だったのが、今日見てめちゃくちゃ好きになった。

中央ステージの上に小さめのモニタが1台だけあって、巨大スクリーンが百田夏菜子を映してないときもそのモニタだけは常に百田夏菜子を映してる、そんなモニタだったんだけど。
この曲でそのモニタを見てたら、「そしていま 少女は扉を開けた」の後に笑顔ともキメ顔とも違うなんとも形容し難い表情をしてて、その不思議な表情がなんだか堪らなく好きな顔だ、って思った。

リバイバル』もアルバムの推し曲の1つで、あの独特なイントロとか雰囲気とかがすごく好きだから歌ってくれてすごく嬉しかった。
アンナ先生がダンサーとして出てきて、百田夏菜子と握手(身体の下でやるビジネス握手じゃなく、腕を上げて胸元でガッと掴むような固い握手)を交わしてたのがめちゃくちゃグッときてその時点で少し涙目になった。
そして2人が歌とダンスでセッションするみたいにパフォーマンスしてたのがものすごくカッコよかった。
『リバイバル』はめちゃくちゃ楽しくてずっとリズムに乗ってたんだけど、2人の熱いセッションを見ていたら気持ちが昂ってノリながら泣けてきた。

MCで水を飲む度にオタクが声付きペンライトで「かなこぉ〜⤴︎⤴︎」って鳴らすのが愉快だった。
「あ、それで間を繋いでくれるのね、ありがとう」ってケラケラ笑う百田夏菜子は、笑ってるせいで少し水が飲みにくそうだった。

「戸田恵子さんがももいろ歌合戦で歌ってくださったのを生で拝見して、その後別のお仕事でお会いしたときに『本当に素敵でした』って感想をお伝えしたら、『いつか歌ってね』と言ってくださって。今回、この機会に歌わせて頂くことになりました」という話をして、『強がり』をカバーした。

歌詞があまりに良くて、スクリーンに映された歌詞をずっと目で追ってた。
私、「強い女」がめちゃくちゃ好きで。「私、強い女が好きなんですよ」ってオタク友達とかにもよく話すんですけど。
百田夏菜子の「強い女」な部分も当然めちゃくちゃ大好きで、でも、それは「弱い部分」があるから「強さ」がより輝いて見えるんだ、ってこの曲を聴きながら思った。

この曲のとき、ダンサー・重下真由が1人ずっと踊ってて、たまに百田夏菜子とシンメになったり同じ振り付けを踊ってたりした。
百田夏菜子が表現したいものを、百田夏菜子は歌に集中して、残りの部分はダンサーに託して、そうして作り上げられたステージはカッコよくて美しかった。

それから、ライブビューイングでこの曲のパフォーマンスを見たとき、その映像があまりに美しかったことも書いておきたい。
現地で見ていたときは何の気にも止めなかった巨大スクリーンに映された空の映像。
それが、映画館のスクリーンで見ると、空をバックにステージに1人立つ百田夏菜子、という構図が驚くほど美しくて思わず声が漏れそうになった。
百田夏菜子がステージ上から見ている景色をカメラ越しに体感できて興奮したし、その中央に君臨する百田夏菜子はあまりにもカッコ良かった。

そう、ちょうどこの写真だ。たぶん。

続く『The Show』では、『強がり』のカッコいい歌声からまた一変して、透明感のある歌声。可愛らしさだけではない、綺麗で、どこまでも先まで届きそうな優しい歌声で、客席に語りかけるように歌う。

ダンサーが2人、百田夏菜子の周りを自由奔放に踊ってる。時には傘を差し出し、時には階段やブロックを用意して、百田夏菜子の人生を表現していく。
白い階段を上る百田夏菜子を見て、思い出したのは『幕が上がる』の劇中劇「銀河鉄道の夜」だ。あの劇の中でも、ブロックを積み重ねて階段に見立てて、ジョバンニ役である玉井詩織がその上に立った。
今回のライブ演出も、『幕が上がる』の監督も、本広克行だ。偶然ではなく意図的な舞台装置だろう、と思う。
私は『幕が上がる』大好きなので、そんな何気ない演出も嬉しかった。

円形ステージをぐるっと歩いて回りながら、歌詞の一つ一つを丁寧に、歌で、表情で、表現する。
笑顔、悲しそうな顔、幸せそうな顔、嫌そうな顔。くるくると変化するその姿は等身大の少女にも見えたし、「女優・百田夏菜子」にも見えた。
どちらにせよ、「アイドル・百田夏菜子」とはまた違った一面だった。

一つ前の『強がり』も「強がって強い女でいたけど」って弱音を吐露する歌詞で、それに続けて『The Show』のこの歌詞はズルい。

なんだか少し 板挟み
どうしよう 問題ばかり
答えはいつも 見つからなくて
逃げ出したい
落ち込んじゃう時もある
本当は泣きそうでも
心配しないで 流れにまかせ
人生というショー
楽しみましょう

カッコよく歌い上げていた『強がり』とは対照的に、可愛い歌声で歌われる『The Show』にほんのり切なさが混じっていて、それを聴いたら、ワッと涙が溢れてきた。
これまで他人事のように聴いていた歌詞が急に自分事のように思えた。自分の仕事のこととか。いろんな辛かったこととか。
そのときの気持ちが思い起こされて、この歌詞とぴったり重なって、悲しくなった。でも、直後に「楽しみましょう」って、百田夏菜子の声で歌われるとなんだか少し、前を向けるような明るい気持ちにもなった。

ラスサビの

人生はまるで 迷路みたい
愛はね 謎々みたい
がんばってみても もう1人じゃムリ
どうしたらいい?

このパートを、少し駄々っ子みたいな、可愛げのある困った顔で歌う百田夏菜子を見て、私の脳裏に浮かんだのは3人の顔だった。
玉井詩織、佐々木彩夏、高城れに。
きっと百田夏菜子もその3人を思い浮かべながら歌ったんじゃないかって、なんの根拠もないけど、でも絶対そうだって思った。
オタクの勝手な妄想だけど。勝手に想像して、勝手に感動して泣いてた。

一旦退場、からの衣装チェンジ。そこまでは予想通りだったけれど。真っ白なドレスで真っ白なピアノと共に現れたその美しさに思わず息を呑む。

赤い幻夜』の弾き語り。
映画では赤い着物姿で歌っていたから、その真逆とも言える真っ白なドレスでのパフォーマンスは曲の空気すら変えるようだった。
本当に、表現の幅が広い。
あんまり演技のことは分からないけれど、女優としてのキャリアが音楽に対しても良い影響を与えていることは疑いようがなかった。

歌は ほのか 赤く 月の夜
じわりほら 滲んでく
そっと 結ぶ 音色 心地よく
風の中 揺めいて

1フレーズ1フレーズ、跳ねるように区切って歌うこのパートが可愛らしくて好きだった。
可愛らしくて、でもどこか艶やかな歌声に聞き惚れた。

続けて披露されたのは『タキシード・ミラージュ』。この曲がセトリに入っていたことにも驚いたけど、それ以上に歌声の美しさ、大人っぽさ、色気に、度肝を抜かれた。
私の知っている百田夏菜子ではない、と思った。新境地というか。こんなふうに歌う人だったのかと、初めて見る一面だった。

2日目のライブビューイングでこの曲を見たとき、改めてその美しさが際立って見えた。
真っ白なドレス、そのスカート部分のキラキラが白いピアノに反射していて、百田夏菜子を取り巻く全てのものが輝いているようだった。
その中心で歌う、百田夏菜子の歌声もまた、キラキラと輝いていた。

MCで水を飲んでいて、「あ、やば、水零した」と言い出したのは2日目のこと。
タオルで布地を叩きながら「でもまぁいっか、明日はライブないもんね」とあっけらかんと笑う。
さっきまでの神々しいオーラから一瞬で「少女」の姿に戻る、その可愛さのギャップは反則だ。

もう少し弾き語りを続けてもいいですか」と言って、百田夏菜子は新曲『ひかり』について語った。

新曲を作るにあたって、初めにいろいろ歌詞を書いてみたのだけれども、ふと「シンデレラタイムと言えば、新幹線の中で書いたメモがあったな」と思い出して学生時代のメモ帳を引っ張り出し、そこにあったフレーズをいくつかメロディに乗せてみたらしっくりくるものがあった。
そこから歌詞を膨らませてつくった曲が今回の『ひかり』。
学生時代、静岡から東京に新幹線で通っては学業と仕事をこなし、最終の新幹線で帰る。
他のメンバーよりも早く仕事を抜けて帰らなければいけない、その新幹線の時刻が当時の百田夏菜子にとっての「シンデレラタイム」だった、という話。

この話はソロコンの公式パンフレットにも載っているエピソードで、私はそれをライブ前に読んでいた。すごく素敵な話だなって感動してたから、ライブのMCで本人の口から直接聞けたのはとても嬉しかった。

『ひかり』には、百田夏菜子の青春が詰まっていた。
静岡から東京へ、毎日新幹線で通っていた日々の中で、ひとりきりの新幹線で綴った言葉たち。
それを、高校生の頃に戻ったように、あるいは高校生だった当時の百田夏菜子に聴かせるように、弾き語った。

『ひかり』の歌詞が好きすぎたので、17日のライブビューイングで、いくつか歌詞を書き留めた。

「新幹線みたいカッコよく走りたい」
「のぞみばかり大きくても」
「こだまする未来」
「見上げたひかり」
「22時」
「1時間30分離れた場所は別世界」
「ひびき渡るベルの音」

22時は、最終の新幹線の時間のこと。
そして1時間半は乗車時間。
都会のビルを「背伸びしても届かない」と歌う歌詞もあったように記憶してる。

東京というお城を22時に飛び出す。
時計は「ゴーンゴーン」とは鳴らない代わりに、駅の発車ベルがひびき渡る。
「ひかり」に乗って、1時間半かけて静岡に帰る、茶畑のシンデレラ。

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野暮だけど。当時と今ではダイヤは違うかもしれないけど。東京浜松の終電を検索したら一番に出てきたので、貼っておきます。
「257.1km」という数字は、私には想像もつかない世界だ。それを毎日、かぼちゃの馬車……もとい、新幹線で往復していた高校生の女の子がいた、というおとぎ話の歌だった。

それから、最後にあった印象的な歌詞。

「私たちならできる」

これは2日目の最後の挨拶もそうなのだけど。
「(今回のソロコンでは)私1人で何が届けられるかなと考えながらやった」「4人でいると、みんなを笑顔にできるって自信を持ってやれる。だから、また4人のライブに来て欲しい」

"ももいろクローバーZの百田夏菜子"であることへの誇り。
それが垣間見える歌詞が、何よりも嬉しかった。

感動とかエモさとかとにかく幸せな気持ちいっぱいで泣いてたら、またピアノの演奏が始まった。
少し暗い、低音のメロディ。最後にドーン!と堕ちるような音がして、思わず眉間に皺を寄せてたら、

僕の心が今
どんなに地獄でも

白金の夜明け』のイントロに、胸がぎゅっと苦しくなった。

2017.04.22から2018.12.08まで、約2年かけて47都道府県を回ったジャパンツアー「青春」。その中で百田夏菜子が自身の「青春曲」として選んだ曲は、シーズン2までは『モノクロデッサン』、シーズン3からは『白金の夜明け』だった。
そして『白金の夜明け』は、紅白落選の翌日にレコーディングが行われた曲だった。

百田夏菜子にとっての青春曲が2つ、続く。
そこから私が読み取れるものは、百田夏菜子の青春のうちのほんの少しでしかない。
「地獄」「孤独」「絶望」
それらの歌詞に大変だっただろう、辛いこともたくさんあっただろう、ここまでの道のりは平坦ではなかったと、想像するのは簡単だ。そしてそれは事実だろうとも思うけど。
それでも。
この曲の本質は、このライブの本質は、そこじゃない。

それまで静かに歌っていた、バックのバンドも控えめだった演奏が、2サビの「夜明けに生まれかわろう」で一転、爆発したように弾けた。
幸運なことに、その瞬間を、百田夏菜子の正面で見ることができた。

圧倒的な輝きだった。
太陽の煌めきだった。
朝日が登る、その眩しさだった。

心が洗われるような、救われるような、解放されるような、そんな気持ちになって、太陽を見つめながら、ただただ泣いた。

そして、少し不恰好な小走りでピアノの元へ駆けていき、バックバンドと共に弾き語る、ラスサビ。

夜明けに生まれかわろう
正直な自分こそがプラチナ
ワルい夢から覚めたら
サエナイ寝ぼけ顔を
ジャブジャブジャブ洗い流そう
今日が・・・
来る・・・
DAYBREAK・・・

全身で音楽を楽しんでいた。
とびっきりの笑顔だった。

負のエネルギーでさえ、取り込んで。乗り越えて。
長い年月をかけて。
光のエネルギーに変える。
そんな、歌だった。


圧倒的な光を浴びて放心状態になっていたから、本編が終わったことに気づくまでに少しの時間がかかった。
周りから手拍手が自然発生して、アンコールなのだと分かった。
巨大スクリーンに再び時計が現れて、カチ、カチ、と短針の動く音がした。手拍子の音が徐々に大きくなって、短針の音をかき消す。

ステージに人影、と、ピアノ。
おっ、と思ってよく見ると、それは百田夏菜子ではなく宗本康兵だった。
白いピアノ。白いハットに白のソロコンTシャツ、白いパンツ。白尽くしだ、と笑ってたら、その後のMCで「王子様みたい」と言われてて、なおさら笑った。

overture』をピアノで演奏するへいへい。めちゃくちゃカッコいい。普段のももクロのライブで感じる高揚感とはまた違った興奮を掻き立てられる。

白のソロコンTシャツに着替えた百田夏菜子が現れて、へいへいの隣に腰掛ける。イタズラっぽく笑いながら(所謂うひょ顔)、人差し指だけで鍵盤を弾く。ピピピピピン、とメロディに彩りを足していく。
その音も、その表情も、楽しさと可愛さに満ち満ちていて、こちらも自然と笑みが溢れた。

そうして始まったのは、『イマジネーション』だった。
「もしも地球が回ることを止めたなら」……と、メンバーの声が降ってくる。百田夏菜子は椅子から立ち上がって、ピアノの横へと歩いた。ピアノに肘をかけ、たっぷりタメをつくってから。

この世の始まりが アダムとイブなら
この世の終わりは 私と貴方にしたい

恋に落ちた。
そう思った。理屈じゃなく、本能で感じた。
あれで恋に落ちない人類、いるか???
いない。断言できる。

きっとね 神様も 目をね 疑うよ

神様だって恋に落ちるだろう。
可愛さの暴力もいいとこだった。
冒頭の台詞パートのみならず、もうずっとずっと可愛さが止まらなかった。

ディスティネーション ディスティネーション
私をどうして 夢中にさせるの?

こ っ ち が 聞 き た い ! ! ! ! !

オタク、メロメロもいいとこだった。
気が狂いそうになるくらい可愛かった。

Dear My Prince 私は貴方となら
どんな時代 現実も乗り越えられるよ
会いたくても会えない夜は 夢の中で 声を聞かせて
待ってるね

はー、宇宙一可愛かった。
これまで百田夏菜子のこと推してきて、こんな感情になったのは初めてだった。
なんかもっと、節度のある距離感で、わちゃわちゃしてる姿を眺めては可愛い可愛いって愛でたり、パフォーマンスがカッコよくて沸き散らかしたり、語る言葉に胸打たれて涙したり、そういうオタクだったのに。
アイドルに対して「ガチ恋」という感情を抱く日が来るとは思わなかったし、それが長年推してきた百田夏菜子に対して抱く感情になるとは思いもしなかった。


「『イマジネーション』はピアノ1本でしたが、次の曲はギター1本です」
ポップアップで"へいへい"宗本康兵が降りて、それと入れ替わりに"なりなり"石成正人が現れる。
「ナオト・インティライミさんに海外で会ってお話する機会があって、その会話の中で私が『わかってるのに』ってよく言ってたみたいで。それを後日曲にしましたって、送られてきて。『いつか歌ってね』って」
そう紹介した後、歌い始めようかというところで、「……あれ?私、立ち位置どっちでしたっけ?」
急に段取りを忘れてなりなりに確認する百田夏菜子。イヤモニを通して「どっちでもいい」と言われたようで、「逆に困る」とウロウロし始めた。
そして。
じゃんけんで決めよう!
突拍子もないことを言い出した。
さっきまでの抜群のアーティスト感どこいったんだとツッコミたくなる、でも、そんな隙のあるところがやっぱり可愛いのだ。

私のいるブロックとは反対側のオタクと百田夏菜子がじゃんけんをして、オタクが勝てばそっち側、百田夏菜子が勝てば私のいるブロック側で歌ってくれる、ということになった。
「勇者(じゃんけんするオタク)が勝っても負けても、拍手で受け入れてあげてね」と、気遣いも忘れない。
そして、オタクに負けて、こっち側にきて「こっちの人、ごめんね」と謝り、さらには左右のブロックにも「こっち側とこっち側はそもそも選択権もなくて、ごめんね」と三方向に謝るところもプロフェッショナルだった。

2日目も1日目の話題を持ち出して、「今日もじゃんけんで決めましょう」と。
「またこっち側には選択権がないの、ごめんね」「4方向でじゃんけんする方法ある?ん〜でも、やっぱりいいか」と優柔不断にふらふらしながら、女オタクとじゃんけんして、また負けてた。
百田夏菜子、じゃんけんが弱い。

そして歌い出したらまた、豹変するのだ。
わかってるのに』の歌詞のほとんどは「わかってるのに」「わかってるけど」の繰り返し。それをいろんな表情で、切なく歌い上げる。
「もうやめて」「ほんとうるさい」「わかってるってば」
人の手を払い除けるように、何かを拒絶するように、もがいて。最後には。
「本当は、わかりたくないよ」
自分自身すら、拒絶する。そのか細い歌声に胸が苦しくなった。

「これが最後の曲です。最後はみんなで踊りましょう!」
最後は底抜けに明るい『渚のラララ』だった。
バンドメンバー、ダンサー2人もステージに上がってきて、百田夏菜子について回った。
愉快なマーチングバンドだった。へいへいが鍵盤ハーモニカを吹いているのが可愛かった。百田夏菜子が後ろに向き直って、さっちんとセッションしてたのが楽しかった。2日目のときは竹上さんが隊列から外れてしまって、笑いながら真ん中に入れてもらってて愉快だった。
途中の振り付けはとても簡単なもので、ダンサー2人と百田夏菜子が踊るのを見てすぐ真似することができた。楽しかった。
百田夏菜子の歌声にも楽しさが溢れていて、そのあまりの楽しさに自然と涙が零れた。『渚のラララ』を泣き笑いで見ることになるとは、思ってもみなかった。

1日目の最後、マーチング隊がステージを降りてしばらくすると演奏も消えてしまい、百田夏菜子はアカペラで「ラーラーラー」と歌った。
一瞬、戸惑いまじりの歌声になったが、そこからすぐに楽しい歌声、可愛い歌声、と「ラララ」が変化していったのがまた楽しかった。
締めを決めていなかったようで、最後は口頭で「タッタッタタン!」と叫んで終わったのが最高に楽しくて可愛かった。
「終わり方を決めてなかったんですよ。途中で音が消えるんだね。なるほど。明日はどうしようかな〜」なんて裏事情を全部喋ってくれた。
あたかも最初からそう終わる予定だったと思わせておけばいいのに、わざわざ赤裸々に言っちゃうところが百田夏菜子らしかった。
2日目は、ステージを降りた後もマーチング隊が演奏を続けて、「タッタッタタン!」まで演奏してくれた。前日のことを知っていたから、それもまた愉快だった。

1日目の挨拶では、「皆さんの声は届いてるんです。あれでしょ?ソロコンはやってほしいけど、でも夏菜子ちゃんがやりたいって思わないなら〜ってやつ。ちゃんと届いてました。知ってました。……でも、それでもやりたいって思えなかったんだよねえ」と少しおどけてから、「でも、少しずつイメージが膨らんできて、皆さんがどうしたら喜んでくれるかなとか、考えて、今回こうしてやることにしました」と話した。
2日目も同じように話してから、「あれでしょ?もうソロコンやらないんじゃないかって、今回限りだろうから見ておこうって人もいるよね?」「そうなんです。今回限りなんです」とさらに笑った。
「ここで普通だったら次の発表があるじゃないですか?みんな期待してるでしょ?……でも、ないんですよ。本当になにも。発表するものがない
大箱ライブにありがちなラストのサプライズをこんなに軽いノリで否定するアーティスト、他にいる?ってくらい、百田夏菜子は軽やかだった。

私とすれば、ソロコンは今回限りだろうと思ってたし、もしまたやりたくなったとしても、あーりんやれにちゃんのように「来年もやります!」パターンではなくまた時期を開けるだろうと思っていたので、百田夏菜子の言葉は想定の範囲内というか期待通りというか、むしろ「そうなんです」と言われた瞬間に「やった!解釈一致だ!」と喜んだくらいだった。笑

『ひかり』の感想に少し書いたけど、2日目の最後の挨拶で百田夏菜子は「4人でいると、みんなを笑顔にできるって自信を持ってやれる。だから、また4人のライブに来て欲しい」とも言っていた。
そして最後の締めは「ももいろクローバーZの百田夏菜子でした!」。
これまでもソロ仕事は「そこでの経験をグループに持ち帰る」と言っていたけど、こうしてソロコンでもグループとしての誇りや自信を体現してくれるの、本当に素敵だな、カッコいいな、と思った。

昇降台が下がり、ステージから降りていく中、全方位に向きを変えながら笑顔で手を振っていた。
その姿が見えなくなる最後の瞬間までファンに真摯に向き合う、そういう人間・百田夏菜子のライブだった。

おわりに

「私、DDやめて単推しになるかもしれない。百田夏菜子単推しに戻るかもしれない。今、そうなってもいいって本気で思ってる」
1日目のライブが終わって、オタク友達にそう言ったらすごく驚かれた(そりゃそうか)。
でも、それがその時の心からの気持ちだった。
そのくらい、首根っこ掴まれてDD沼から引き摺り出されるくらいの衝撃が、このライブにはあった。

(その後、仲の良いDDオタクと会って「お互いDDで大変ですねえ」「身体がいくつあっても足りないですねぇ」「次はあの現場ですか?」「あ、この現場の前にこっち回せますよ。来ますか?」なんて話をしてたおかげで、どうにかDD沼に戻ってこられました)

なんだかもう、単に「カッコいい」とか「可愛い」とか「美しい」とかの次元ではなかった。
ひとつひとつの歌声・踊り・言葉・表情・全身を使ったありとあらゆる表現によって、百田夏菜子という人間の人生の積み重ねを垣間見たようなライブだった。
そして百田夏菜子の人生を垣間見ることによって、自分自身の人生の記憶ともリンクしていろんな感情が揺さぶられた、そんなライブ・パフォーマンスでした。


水が注がれる器によって形を変えるように、歌われる曲によって姿形を変える、百田夏菜子という人。
見たことのある姿もあれば、初めて見る姿もあった。けれどそのどれもが私の推し「百田夏菜子」であったなと、当たり前のことを思った。

この記事が参加している募集

イベントレポ

私のイチオシ

サポートするより私の推しを見てくれた方が嬉しい。 動画でもSNSでもフェスでもライブでも良いから、私の自慢の推しを見てくれたら嬉しい。 そして、私の推しをあなたも好きになってくれたら、もっと嬉しい。