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事実は小説より奇なりという実例紹介

骨肉相食(こつにくそうしょく)
→ 親子や兄弟など肉親同士が争うこと。

親子や兄弟などの肉親同士が争うことなど、ドラマや映画の世界の中だけだと思っていた。

ところが、事実は小説より奇なりとはよくいったもので、案外身近なところで体験するものだ。

どういった体験なのか、まあ私情が存分に入ってはいるのだが、まあ興味のある人は読んでもらいたい。

家族や親族の定義

そもそも、家族や親族の定義というのは曖昧だ。

というのも、そもそも私が育った家庭は、いわゆる愛情たっぷりのといった家庭ではなかった。

家族を両親、兄弟、甥っ子姪っ子たちまでとするならば、その全員が一堂に会するときは、ほとんどない。

年末年始にあるかないかくらいのレベルだし、集まったとしてもまあいろいろと諸事情はある。

かといって、家族の個々が仲が悪すぎて連絡が取れないといった関係でもない。

なので、未婚の私がイメージする一般的な家族という定義は、そんなにいいとはいえず、むしろ悪い方だと思っている。

家族が集って食事を当たり前のようにするという話を聞いたりすると、私の家族ではまずないなといった具合いだ。

それから、親族というカテゴリについて考えてみると、まあ祖父祖母、叔父叔母、従兄弟くらいまでが入るのだろうか。

幸いにも私はまだ父親側の祖父は随分前に他界したが、祖母は盤石とはいえばいが、まあ健在だといっていいだろう。

一方で母親側の祖父祖母はいずれも長逝している。

それがきっかけとなって、母親側の親族とは疎遠になりつつある。

と同時に、冒頭に述べたとおり、事実は小説より奇なりという経験をした。

幼少期の過ごし方

私の育った家庭では、お世辞にも父親と母親が仲が良いとはいえない状況だった。

会話がないというのは当たり前の光景で、なにかしら会話をしていると思えば、口論になるような状況が珍しくなかった。

母親が父親の実家に行くことは墓参りのシーズンのお盆と年末くらいだったし、それも全員で行くというよりは別々に行ってサクッと切り上げるといった感じだった。

くり返すが、この光景というか状況は当たり前だったので特段違和感を覚えるということもなかったというか、なにも考えていなかったという方が正しいだろう。

ただ、大人になっていくに連れて、一般的に考えたときには普通ではないということに気づき始めるわけだ。

だからといって長年の染み付いた生活はそんなに大きく変わらないというか、そもそも変えたいとか変えないとといった意識がなければ変化などない。

それが、母親側のおじさんが亡くなったのをきっかけに大きく狂い始めた。

おじさんの死が教えてくれた親族の脆さ

おじさんと表記しているが、正確にいうと、母親側の祖父の弟なので叔父ではない。

ということで、おじさんと表記しているわけだが、間もなく亡くなってから3年が経とうとしている。

母親は親族側のことについて、比較的なんでも話しているような印象があったが、こと資産などのお金が絡むことに関しては隠しているわけではないが、話をしないような人だ。

私は知らなかったのだが、このおじさんと資産や金銭のことに関して多少のやり取りがあって、それがきっかけで母親の姉妹や従兄弟も巻き込む形で、おじさんからお金が動くことがあった。

これをきっかけに、とあることが明確になったのが、母親の姉妹および旦那がなかなかの曲者であるということだ。

私の母親の家系は代々、教職という立場の人が多く、祖父祖母、母親、母親の姉妹、つまり叔母やその伴侶のいずれもそうだった。

まあ、ただの公務員ではあるのだが、世間一般的に教職という立場にある人は、一定の信用度のようなものがある。

ましてや、校長とか教頭といった立場までいった人は、第三者からも先生先生と崇められるような立場になる人も多い。

叔母やその伴侶もまさにそういった立場の人で、なんだかんだとウチの家族のことにも絡んでくることがあった。

それは、簡単にいうと私の父親や父親の家系をディスるといったことだ。

根本的に母親が父親の家系と反りが合わないことがあったのは事実だが、そこを煽るような言動をしていたことが少なからずあったのは、本当におじさんが亡くなってから冷静に考えたときに気がついた。

その叔母は母親に父親や父親側の家系が気に入らないのであれば、サッサと別れればいいといったような言動をすることは、しばしばあったと聞いている。

私からすると、父親と母親が離婚することなど、もはやどうでも良かったので、両親の好きなようにすればいいというスタンスだったが、叔母は2人の関係が悪くなるように言動をしていたのである。

その真意は不明だが、母親から昔からどこか姉である私に嫉妬のような態度を取ることはあったと話をしてくれたことがある。

これは私にとっては、結構な衝撃であった。

というのも、父親と母親の関係が悪くなるような言動を取っていたことは少なからず記憶にあり、結果としてそちら側に我々を誘導していたように受け取れたからである。

もちろん、それがきっかけで私の家族は一般的な家族ほど仲が良い関係がつくれなかったとはいわないが、影響はあったと思う。

というのも、私の母親は割りと身近な人のいうことをそのまま受け入れるような人なので、父親や父親の親族のことを悪く言われたら、やっぱりそうだと思い込んでしまうという側面もあったはずだ。

そして、その叔母の行動はおかしいと思えるような言動が人の死を通じて、いくつか起きるのである。

親族の死がもたらした環境の変化

まず、祖父が亡くなった途端、そもそも母親や叔母が住んでいた家をサッサと売り払う手続きをして、その売却したお金を自分のものにした。

母親の実家は広島でも北部のお世辞にも価値のあるエリアではないので、売却することに関しての異論はなかった。

けれども、田舎独特の風習である仏様の移動や墓守的なことをやるということで、その売却して得たお金を一旦自分が持っておくということを平気な顔をして主張してきたという。

その後、祖父の弟であったおじさんが亡くなったときにも、奇行があった。

すでにおじさんから相当額のお金を今までありがとう的な感じで御礼としてもらっていたにも関わらず、おじさんが亡くなったときに遺留分についても、サッサとよこすように主張したという。

これには、おじさんの妻であるおばさんもかなりの憤りをみせていた。

おじさんの晩年は肺を患い病室にいるような状況が続いており、私も時間があるときはしばしばお見舞いに訪れていた。

一方で、叔母は1〜2回程度、短時間だけ会いに来たくらいだ。

もちろん、私はだからといって私が遺産をもらいたいなどという発想は微塵もなかったが、なにもしていないような叔母が亡くなったときに、お金を貰える権利はしっかりと実行しようとするわけだ。

しかも、こういう言い方をすると語弊があるかもしれないが、そんなに大した金額でもないのだ。

それをもらいたいものならもらっておこう的な感覚で、叔母と伴侶が主張している姿が気持ち悪くて仕方がなかった。

他にも、おじさんとおばさんが住んでいたマンションに、独り身となったおばさんが住んでいるのに、そのマンションはどうするのかと聞いてきたという。

また、その家に飾ってある少々価値のあるようなアート作品が欲しいというようなことを主張したらしい。

なんだか、憤りを通り越して、哀れというかさもしい発想にガッカリしたことを覚えている。

こんなことが親族の中でも比較的近くにいて、なんなら良い人側で思っていた人が、人の死をきっかけにお金に目がくらんだ言動を行ったことが、なんともいえない気持ちになった。

まとめ

私の遺産や相続に関する考え方だが、そんなものをあてにしている時点で、その人の人生は充実していないと言い切れる。

人の死、特に身近である人の死を弔う前にお金や資産に目がくらむなど言語道断である。

こういった人物が親族の中でも割りと近いところから出てきて、私の家族の関係が少なからず悪くなるように示唆するようなこともしていたと考えたら、とんでもない叔母だ。

それが、私が40歳という歳を超えたあたりに明確になるというのは、なんとも皮肉というか、事実は小説より奇なりといった言葉がピッタリだと言わざるを得ない。

当然だが、私はどんなに近い人の死が訪れたとしても、決して私の叔母やその伴侶のような言動はしないし、そんな態度を微塵も見せないと思うということを改めて宣言しておこう。

いつどんな形で自分や周りの人の死が訪れても後悔のないように生きることを随分前に決めたからである。


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植田 振一郎 Twitter

株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。