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意味のない苦しみはこの世に存在しない


昔の私にくらべると、想像もできないような穏やかな時間が流れている。

天気がよく、晴れている。
草花が咲いていて、風に揺られている。
それらを美しいと感じられる。

精神的、肉体的苦痛がない。
食事を自由にとれる。安心して帰れる家がある。

大切な人が側にいる。
その人が今日も無事に、息をしている。

これらを穏やかに感じられない時間が、私には長くあった。

とある日々を経験した昔の私と、今と比べたら「なんてありがたい毎日なのだろう」とさえ思う。現実味がなく、別の世界にタイムスリップしているような感覚もある。

そんな風に思わせる「とある日々」とは、3つ。

1つめは、義母からの虐待の日々
2つめは、末期癌の父が亡くなるまでの日々
3つめは、父が亡くなった後の孤独な日々

これらの日々が教えてくれたのは、私はどれだけ不要で、無力で、穴のあいたバケツのようないっこうに溜まることのない空虚な存在、ということだった。

苦しみは前向きさを与えてはくれなかったが、これらの出来事は「ただの記憶」と化し、思い出す機会もへった。

それは多分、よい出会いが記憶を上書きをしたり、過去の経験を他人と共有できたことで癒されたのもあるだろう。

それ以上に苦しみを消化できた理由は、時間をかけて「理不尽な苦しみにも、意味も見出せたから」だと思う。

まさに今苦しみの真っ最中にいて、暗闇を彷徨っているような気分なら「苦しみには意味がある」と言われても、腹が立つはず。苦しみは耐え凌ぐもの。ただ苦しく、それ以上でも以下でもないと。

でも、苦しみから生まれるものはある。
苦しんだ意味も十分にある。

ただ、いつの日か苦しみがなくなり、今度は「苦しんだ過去の記憶」に苦しめられる時。その苦しみから意味や価値をみつけられるのは自分自身しかいない、とだけは言っておきたい。

苦しみを苦しみのままにするのか、恨んだままにするのか。はたまた人生をよりよくするための糧にするのか、経験として生かすのか。

どんな答えを出すかは、自分の手にかかっている。


私が苦しみから見出せた意味の中で、もっともよかったことといえば「幸せを感じられる力」がついたことだ。

ふとした時に思い出す。

義母から食事を与えられず、あまりにも空腹が苦しく、給食のあまったパンを盗んだり、自宅にあった乾燥パスタをそのままかじってみたり。親からお金をくすねては、駄菓子を買ったひもじさを。

まあ、私に自炊できる能力があればよかった話なのだけど。

そんな日に比べれば、今は幸せだよね。自由に食事がとれるだけでもありがたいよね。痛みも苦しみもなく、自由でいられる環境があって、大切だと思ってくれる人ががそばにいてくれるだなんて、思いもしない幸せだよね、と。

そもそも突拍子もない鉄拳をくらうこともなく、罵倒されることもなく、孤独に苦しまないだけでも、十分幸せなのだ。

小さいだけではない、大きな幸せすら日常にころがっている。

それを毎日、何気なく、なんとなく、気がつきもしないくらい当たり前に感じられている。ありがたい日常が当たり前になり、馴染みきっているのにも、少し疑問にすら思う。


先日ツイッターでも呟いたけれど、この記事のテーマ「苦しみの意味」に関連する一文が、夜と霧 (著)ヴィクトール・E・フランクルの中にあったので書き残しておきたい。


しかし、行動的に、生きることや安逸(あんいつ)に生きることだけに意味があるのではない。そうではない。およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。

苦しむことも生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになる

引用元:夜と霧 p.122より


苦しみの中にいた時、あまりにも理不尽な、望まない苦しみに対して、私は確実に「怒り」があった。

でもこの一文は、過去の私を救うような、まるで最後のパズルのピースがぴたりとはまるような言葉だった。

今、途方もない苦しみを感じているなら、その苦しみはきっと、未来の自分に対して重大な意味をもたらしてくれるはず。

人生観や、考え方や受けとり方を変える出来事になるかもしれない。感受性が豊かになり、美しさや尊さを深く感じられるようになるかもしれない。

開けない夜はない
やまない雨はない

わかりやすい言葉で、励ましたくなる。でも、ぐっと我慢しよう。

意味のない苦しみなど、この世に存在しない。

これだけは覚えておいてほしい。


▲夜と霧

夜と霧は、アウシュビッツ強制収容所に囚われていた心理学者が描いた体験記だ。

不衛生な環境、水のようなスープ、わずかなパン、ボロ切れのような服と靴、容赦なく訪れる死、暴力に暴言、凍死するような寒さ、蔓延するチフス、終りのみえない精神的・肉体的苦痛。

苦しみしか与えられない環境で出たのが、あの言葉だ。


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