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たまには写真について

写真について。

そうそう、たまには写真について少し語りたいと思う。
日々、SNSには大量に流れてくる写真がある。何がすごくて、何がすごくないのかなんて人によって感じ方は様々である。それは当然である。写真を始めたばかりの人にしてみれば綺麗に写ればそれだけで素晴らしい写真であるし、少し慣れた人にしてみれば物足りなく感じるであろう。

写真がどうすればもっと上手になるか、いや、人に響く写真が撮れるのか。
このヒントはどこにあるか、日々、写真にハマった彷徨い人たちが溢れかえっているわけだ。

これは中級者以上に向けた話になるかもだけど、ノンリアルな非日常をどれだけリアルに感じさせるかというのは作家の腕次第だ。レンズの性能やボディの性能など関係ない。いや、多少はある。

俺が目指してるのは、記録としてのノンフィクションとしてのスナップ写真。(カッコいいだけのスナップには興味がない)
フィクションの物語から世界観を作り出して人を魅了するノンフィクションのような人物写真と日常の物語。家族写真は素晴らしいと思うし、カップルで写真を撮り合うのも素晴らしい。どれもが真実であり感動を与えるものも少なくはない。ただ、難しくはない。それは真実だから。

俺の予想する限りほとんどの人はフィクションの中で写真を撮ってると思う。だからポートレート撮影会は存在するし、有償モデルや、相互無償での撮影がある。その関係性はフォトグラファーと被写体である。実際の恋人でもなければ、家族でもない。ここで綺麗な女の子を綺麗に撮って世間に発表して満足してるのが初心者から中級者までの人。ある程度いいカメラと、ある程度の撮影する知識があればここまでは誰もが到達できる。

ここで、みんな悩み出す。何かが足りない。なぜかあの人のように撮れない。編集が違うのだろうか。どうやって撮ればあんな表情を引き出せるのか。人の琴線に触れることができるのか?あんな色味が出せるのか?などなど。

一つだけヒントをいうと、俺は映画の世界が大好きで、写真も映画のように作品を作って発表する意味では同じである。1枚の写真、個展などで組写真を並べて観る人に物語を感じてもらい心に残る作品を撮る。それが評価されていく人が中級者から上級者の道へ歩んで行く。もちろん写真作家としての話だ。広告写真やファッション写真やブツ撮りの話ではない。

俺の撮り方はファインダーを覗きながら喋りかけ撮り続け、数センチしか動かない横顔や瞳の角度などをひたすら撮る。まるで映画のコマ送りのように。その世界観に没入しながら撮り続ける。お茶して喋りながらふとした表情があればサラッと撮る。映画のカメラマンも同じだろう。モニターを見ながら前へ後ろへと演者を撮り続ける。演者である被写体にもできれば全力を求める。そういうモデルを見つけるのは大変だ。お互いの利害が一致し、さらに同じ情熱がないと作品を作り続けることは難しい。

ただ、映画と違って写真のいいところは、一人で監督、カメラマン、脚本、キャスティングを全て自分一人で完成させ、写真集や写真展などで発表することができる。もちろん、メイクさんやレフ板持ちの人がいればその時は頼めばいい。

こうやって、映画を見て人が涙して感動して魂を揺さぶられる。全て演者がしていることである。フィクションである。それがどれほどすごいことであるかは、みんなも知ってることであろう。写真もどれだけ相手の内面を引き出してそのふとした瞬間を逃さずに写真におさめることができるか。技術より、内面を引き出す能力が必要であり、話術も必要であり、それはレンズやボディの性能を熟知したところで撮れるものではない。たった1枚の写真で誰かが涙を流すかもしれないし、自分の人生に重ね合わせてくれるかもしれない。そんな写真が打率よく撮れるようになれば、もう誰かを真似る必要もない。自分の感性を信じて作品を撮り続けることを勧める。フィクションをノンフィクションへ、アンリアルをリアルへ。みんなで、切磋琢磨していこう。

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