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【-遭遇-】本名という名の”奴隷紋”。



母との遭遇。

そのときの母は、私を舐め回すような目で、瞬きをしてしないんじゃないかと思うほどの勢いで私を見ていた。もう当たり前のことだが、その目に私が映ることはない。母が納得する”理想の娘”に、そこにいる私が当てはまるか。それを計測されているような感覚だった。
もしくは数年ぶりに見かける”実の娘”の姿を目に焼き付けようとしたのかもしれない。「名前を呼ばれていた気がするけれど、本当にあの子?」みたいな。どちらにしろ、気持ち悪いことには変わらない。

前置きとして、家族との関係だが
絶縁してから、もうずっと会っていない。それは数年の人もいれば10年以上の人もいる。
また、実はこれまで向こうが気付いていないだけで、私だけ相手に気付いているということが何度かあった。
今回はたまたまクリニックで、私の名前をフルネームで呼ばれてしまったタイミングに母が偶然いて、それで気付いてしまったようだ。

しかし、本当に、日本は本名を気軽に呼びすぎじゃないか?
私は結構困っていて、かかりつけの病院とかクリニックとか気軽に行けない。怖い。番号で対応している病院やクリニック、薬局は少しずつ増えてはきたが、まだまだ少ない。

虐待やDVを受けてきた私にとって、自分の本名というものは”奴隷紋”と同じ

古くから本名は真名(まな)とも呼ばれ、”親しい人にしか知られてはいけない”と言われたり、”真名を知ること=相手を支配すること”という意味があるらしい。
悲しいけれど、間違いのないようにっていう正義が誰かの心を傷つけているのも現実だ。

確かに自分の名前って親もしくは家族が勝手に付けて、それってなんだか”所有物”みたいに感じる。私は今の名前を付けていい許可なんて出してないし、子どもであるかぎり、その許可を出すことはできない。

”母が求める良い子であるか”
そんな言葉がずっと首輪のように私の心を縛っていた。




映画「エクソシスト」さながらのホラー

話を少し戻すと、そこはクリニックのリハビリ室。
入り口から一番近いベッドに母はいて、仰向けになりながら頭だけを枕側のほうに下げてきて、頭だけぶらんと下がっている。正確にはほとんど瞬きもせず、私を目で追いかけながら、ベッドから頭だけが逆さまに下がってくる。頸椎(けいつい)どんだけだよ。

まるで、映画「エクソシスト」
階段ブリッジ少女も顔負けである(知らない人は是非観てほしい)

もうさ、人の動きじゃなくない?これはホラーなの?そっちも治療中なんだよね?治療中の合間にやる体勢じゃないわ、それ。
そして担当は何をしてるの?目を離したらいけないわよ、その人。

心の突っ込みは止まらないし、とにかく気持ち悪い。気持ち悪かった。
最初は私も「まさか」と思ったし、人違いかもしれないとも思った。それに私に話しかけることなく、ずっと目で追いかけてくるだけで、それ以上何もされない。

助けを求めるにしても求め方が分からない。
「〇〇ですけど虐待で縁切った親がいて、名前を呼ばないでほしい」って、、この「〇〇ですけど」で身バレ確定やん。




”目立つことはできない、どうする私”

でも母の方が早く終わったし、呼ばれるのも向こうが先かもしれない。
…と、数秒考えていたら、こんなときに限ってリハビリ後に再びフルネームを呼ばれてしまった。なんてこった、同じ待合室には母がいる。

とりあえず私が使っている物とか色とか、母が納得する物を持っているか覚えられるのもめんどくさいし、これ以上、私物や外見を覚えられたくない。
私はバッグから財布を出さずにお金だけ出して会計を終わらせ、足早にそこを去った。こういうときに細かいお金出してスムーズに出られるのは不幸中の幸いだった。この日はバッグと財布の相性も良かった。急げるコーデは私のテーマかもしれない。

また、これまで物理的な距離ごと離れたことは何度もあるが、逃げた先でDV、逃げた先でいじめ、逃げた先で監禁といった二次被害、三次被害がずっと連続して、パワハラとか暴れてる人に巻き込まれるとかストーカーに遭うとか、もう本当に色々あって気付いたら身体がボロボロに壊れていた。どうやら治療が必要らしい。

本当に悔しいが、すぐには動けないので、一旦療養に専念しようと思う。
こうして書けるようになるまで、結構時間がかかってしまったが、書きたいと思ったときに書いていきたい。

また、幸いとも言いきれず大変なことも沢山あるが、今は毒親育ち同士でルームシェアをしている。お互いが抱えている事情を共有できるのは、心強い。




痴漢の相談を、痴漢にできない。

ちょっとまとまらない気持ちでぐちゃぐちゃになりながらも、思い出したことがある。

私は学生時代から大人になっても痴漢や変質者やストーカーなど、数えるのも忘れるほど散々な目に遭ってきたけれど、その相談を母にできることはなかった。したくなかった。できれば知られなくない。気付かないでくれ。

学生のときに、痴漢の被害届を出した警察から電話がきたことがあった。(当時は家電)
「あれから一年経ちましたけど、その後どうですか?」って。
それが原因で母にバレて「お母さん、言われてないよ」って責められたけど、私に対する心配とかはなかったし「痴漢の相談を痴漢にできるわけないじゃん」と心で返した。それに、この警察の対応もどうかと思う。これって普通なの?

彼等と”母の目が同じ”
噛みたい気持ちを抑えきれずに興奮する気持ちとか、可愛いからという理由で、まるで興奮させる身体をしているお前が悪いかのように、母の思考は彼等と怖いほどに共通している。ってことは痴漢?とよぎったこともあるが、親だから虐待になる。




電車で痴漢行為を繰り返す人は”目が違う”

そういえば、電車で痴漢行為を繰り返す人は”目が違う”という。
捕まえるとき、潜入や張り込みのときは、この目にも注意しながら現場を押さえるという。これはきっと電車に限らず、こうした犯罪行為を繰り返す人全員に共通するのかもしれない。

この記事を見たときに、私はなぜか気持ちが軽くなった。
昔から、ずっと母の”あの目”が苦手だった。あの違和感と鳥肌や寒気とか、全身がゾワっとする恐怖。近づかれると離れたい、逃げたくなる、触られたくない気持ちで頭がおかしくなる。

私を舐め回す目、そして私を噛む歯。
ギラついた目に、ねっとりとした唇。

終わった時間が終わらない。
私は、母の気持ち悪さが大嫌いで怖くて、変わってほしくて、安全になってほしくて、それでも、母を好きにならなければいけないと、自分で自分を殺しながら生きてきた。

もう、そんな母を父から守る必要もないし、私が私を殺す必要もない。
そして母の世間体や社会的立場も考える必要もなくなった。

分かっているのに、
”どうしてあの時間は続くのだろう”。




レイプは魂の殺人と言われているが、

それは本番行為がなくても、それに近しい状況であれば、魂の殺人は成立する。少なくとも私はそう思っている。

噛まれるだけなら身体的(肉体的)虐待だったかもしれないが、
噛まれているとき私は”全裸”だった。そして母も。

お風呂の入浴中、浴槽で浸かっているときに、いつも噛まれた。
「肌がすべすべになったから噛みたい」とか「可愛いから」とか「細くて噛みごたえがある」とか、私が何か悪いことをした罰ではなく、褒められる、認められる延長にある行為だった。

”褒められることは危険で痛いこと”だと、私が最初に覚えたのはこっちだ。
だから今でも褒められると、背中がゾワっとする、やっぱり時々怖くなる。

可愛いとか魅力があるとか、
本来であれば”長所”や”才能”であるものを、誰かが個人の性癖や趣向で食いものにする。

”言葉では褒めているのに、やっている行為は正反対”。

私の腕はそこらへんの飲食店で注文して出てくるようなものでもないし、
私が私の腕を与えなければ噛めなかった一点もの。安くはない。

虐待に限らずこういうものは、本当に曖昧な世界のなかで繰り返し行われていて、そのなかで気付いたり判断したり、現実と向き合っていかなけばいけない。

キッカケは自分自身の”違和感”であると思っているが、

その”違和感を説明する言葉”に出会えるか、もしくは
その”違和感を教えてくれる人”に出会えるか。

それもまた運命の分かれ道である。

世界的に報道されたニュースをキッカケに気付く人、発信する人も増えただろう。
私にも、私の活動がキッカケとなり、発信を決意した人がいる。
私が立ち止まったりウロウロしていたら、せっかく動き出したその人にぶつかってしまうかもしれない。

少しずつ、ゆっくりではあるが
私も自分の時間を歩き出そう。




”無銭飲食”をした人間に”対価”を求める。

ここで、私なりの等価交換という考えを書いておきたい。
まず、私が彼等に返すものを差し引いても、私が受け取りたいものは全然足らない。
それに、ヤングケアラーとして長いこと親や家族に奉仕してきた。それを”お手伝い”なんてもので片付けたり、育ててあげてるんだから当たり前みたいに言われることは許さない。安定した年数を一緒に住んでないのに、なぜかこういう言葉ばかり覚えている。

噛みつき料もヤングケアラー代も、
一体どれだけの収入(売上)にできたのだろう。

周りから「よく死なずに頑張って生きてるね」と、すごい褒められ方をされることも増えたが、私が自分から死なずにいる理由って本当にシンプルだ。

私が死んだら”真相”が闇に葬られてしまうから。
だから毒親に限らず、彼等が喜ぶようなことはしない。




最後に

少し脱線しながらもここまで書いたが、
あのとき遭遇したのは母ではないかもしれない。ここまで長々と書いたのに、違っていたらどうしよう。でもね、むしろ違っていたらどんなにいいか。

”そうであってほしいと願う自分と、あの目を間違えるはずがないと思う自分が、ひとつにならない”

ただ、大切なのはそこではないのだろう。
このとき遭遇したのが母であろうとなかろうと、母を思い出させる相手に出会い、私と私たちの心と身体に支障が出た。

この事実が大切で、これからも向き合っていく”変えられない現実”なのだ。


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