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生ぬるいと感じてしまう私は、心が冷たいのかもしれない。

久しぶりの投稿。
色々バタバタしてたり、忙しかったり、でも生きてる。

ここ最近、毒親育ち、虐待を受けてた人の体験談をネットに限らず周りでも聞くことが増えてきたように感じる。

その話を聞いて「生ぬるい」と感じてしまう私は
心が冷たいのかもしれない。

人によって辛さや苦しさを測るなんてできないのに
それでも「自分がどれだけ不幸か」という、不幸マウントをくらったとき

「生ぬるいんだよ」と、
本音が出そうになり、急いで飲み込む。

比べてはいけないと、
私の境遇を基準に考えてはいけないと

頭では分かっているのに
心が追いつかない。そんなときがある。



今日明日生きられるかどうかも分からない。

そんな生活を送ったことがない人の
「もう終わりw」「死ぬw」とか
冗談やネタであっても、どうしても苛立ってしまう。

本気でその状況になったらね、
そんな言葉、言えないよ。

一分一秒だって、
無駄にできない。

他人にマウントできる余裕があって、良かったね。

と、言いたくなる気持ちを抑えて
不幸マウントをスルーした。


本当の自分と、周りから見える自分。

真面目だねと言われるたびに、
冗談を言い合える環境で育ってないから、方法を知らない。

優しいねと言われるたびに、
不機嫌になったり邪魔をされるくらいなら、私が教えて対応した方が早いと思った。

物静かだねと言われるたびに、
無駄に使う時間なんて、私には与えられてないからね。

ドロドロした感情を内に秘めながら、
それを他人にぶつけないように、必死に自分を押さえつけて
もがきまくっている、ただの人間だ。



できることがどんなに多くても

他の人にできないことを沢山できても
人に教える力があると言われても

それでもやっぱり、私は立派じゃないし、強くもない。
死なずに生きてるだけ。

死ななかったことを褒められるのは照れくさい。
そういうことで褒められる経験は無かったから。

最近はドロドロした私を好きと言ってくれる人もいて、
私は「物好きだね」と言いながらも、本当の私を見てくれる嬉しさと心地良さに浸っている。


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