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生き物を飼うということ

先日、友人が飼っていた犬が亡くなった。
大型犬としては長寿なほうであったと思う。
とはいえ15年足らずの命である。

私も過去にハムスター、うさぎ、犬などの動物を飼っていた。
ムツゴロウさんまでとはいかないが、動物が好きだ。
とりわけ犬が大好きで、小学生の頃は図書館にある児童書には目もくれず、犬にまつわる本を読み漁っていた。
犬がテーマの映画が上映されれば親にせがんで観に行ったし、幼少期には盲導犬の育成所か保健所に務めたいと思っていたほどである。

そんな“犬マニア”の私が、無視できない問題がある。
それは、ペット虐待やブリーダーによる過繁殖、捨て犬(猫)問題だ。

近年、インスタグラムなどのSNS普及により、いわゆる“〜映え”が流行している。
そんな中で私が耳を疑った言葉がある。
インスタ映え“ペット”だ。
この言葉をニュースで初めて耳にしたとき、言いようのない虚しさを覚えた。

ペット:一般的には愛玩を目的として飼育される動物のこと。愛玩動物。(Wikipediaより引用)
辞書にはこうある。
ひとえに犬や猫と言っても種類は多く、個人の趣味嗜好により好まれるものは様々だろう。
しかし、ペットに“流行り”があっていいのだろうか、命に“流行り”があっていいのだろうか、と疑問に思う。

私の飼っていた犬は、里親募集のホームページから見つけた雑種だった。
犬を飼うことがずっと夢だった私は、父親が見つけたその犬を見に他県まで走った。
何も里親募集から探さなくとも、ペットショップやブリーダーから好きな犬を飼うことだってできたろう。
しかし、たくさんいた兄弟の中で1匹だけ残ってしまったその子犬を一目見た瞬間、連れて帰る以外に選択肢はなかった。

それからその犬は私の家族の一員として13年の月日を共に過ごした。

ペットの一生は、飼い主によって決まる。
優しい家族の元で安らかに息を引き取る子、野良として必死に生き延び最期を迎える子、保健所の冷たいコンクリートの上で亡くなる子。
みんな同じ命だ。
その最期に、血統書付きも、ブランドも、雑種も関係ない。
等しい命だ。

動物の一生は短い。
どんなに長生きしようと、人間よりも短い。
実際に、犬や猫は人間の約7倍ほどのスピードで歳をとっているという。

私がこの記事で伝えたいことは、何もペットを保護動物や里親募集の中から選べ、などという野蛮なことではない。
自分が選んだ家族、命に責任を持ってほしい。
ただそれだけだ。
自分が今まさに選ぼうとしているその子を、その子が息を引き取る瞬間まで、全力で守り、愛し、受け止めることができるのか。
飼い主として、その責任と覚悟を持てるのか。

保健所。
それは野良、飼い主不明といった動物が一時的に保護される場所。
あくまで一時的である。
保健所に収容される動物の数にも限りがある。
その限られた時間の中で、引き取り手が見つかるラッキーな子は少なく、保健所にいる動物みんながタイムリミットつきの命だ。

暖かい場所で家族に見守られて亡くなる子。
ガス室に押し込められ亡くなる子。
雲泥の差である。

これから新しい家族を迎え入れようとする人。まだ一度も動物を飼ったことのない人。
すでにペットを飼っている人。
色んな人がいるだろう。
もしも貴方が動物を飼う、そんな機会に出会ったとき、このことを思い出してもらえたら幸いだ。
そして、1匹でも多く不幸な子が減ることを祈るばかりである。

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