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僕の分岐点(中学時代)

こんにちは

今回の記事では、僕が中学生になる時に訪れた分岐点についてお話ししたいと思います。今思うと、この決断が僕の今後の野球人生において運命の選択だったのかもしれません。では、早速お話していきたいと思います。

小学校を卒業して僕はこれからも野球を続けたいと思っていました。野球をしてきた人ならわかると思いますが、小学校を卒業すると主に二つの選択で迷うことになると思います。

①そのまま中学校の部活の野球部に入る(主に中学軟式野球と言われる)

②中学校の部活とは別のクラブチームに所属する(主にシニアリーグやボーイズの中学硬式野球と言われる)

主に上記の二つで迷う野球少年は多いと思います。僕も迷いに迷っていた野球少年の一人でした。僕の中学校は、僕が入学する際はピッチャーマウンドもなくバッターボックスもぼこぼこ、そしてグラウンドは雑草に覆われた荒れ地地帯のようなグラウンドで活動していた野球部でした。

部員数も、やっと練習ができるような人数で、一人や二人休んでしまうと試合もできないだけではなく、練習自体が休みになってしまうというようなチームでした。

僕は生意気ながらシニアに行きたい、硬式野球をやりたいと思いました。それもそうです。僕の周りの友達などはほとんどが県内では有名なシニアのチームやボーイズのクラブチームなどに挑戦していきました。僕もみんなと同じように早い時期から、硬球に慣れてスムーズに高校野球まで行きたいと思っていました。その時はなぜか、早くから硬球を扱っていたほうが有利と考えていたんだと思います。笑

そして僕も県内では有名なシニアのチームに挑戦しようとそう決めていました。

しかし、ちょうど入学する何週間か前に僕の進学する中学校の野球部の顧問の先生が変わるという話が入ってきました。もちろん、僕の学校は地元でもとても弱く常に負け続け舐められているようなチームでした。そんなチームに来る顧問の先生なんてたかが知れてるだろうなと僕は思っていました。

だが、そこに現れたのは埼玉県でも有名でとても熱く、熱血な先生でした。その先生は県大会の常連の先生で様々な学校で好成績を残し、その先生が始動したチームは必ず県大会に出場するといわれるほど凄い先生でした。

そこで、僕の気持ちは一瞬揺らぎました。

そして、入学前に中学校の野球の体験に行ってみました。

まだ練習1時間前のグラウンド。もちろん僕の先輩は意識が低かったので誰もグラウンドには来ていません。

だが、そんなグラウンドにひときわ大きく響く芝刈り機の音。そこには、全身を防護服で包み、大きな芝刈り機を持った人がいました。

僕は役所の人かと思い、「こんにちは」とだけ挨拶しました。

するとその人は、「おせえよ、勝つ気あんのか?やるきあんのか?」と僕に言ってきました。僕はその時初めてこの人が新しい顧問の先生だと気が付きました。

まだ誰も来ないグラウンドでしばしば先生の手伝いをし、草を抜いていました。すると先生が歩み寄ってきて「県大会に行こうな」と一言言ってきました。僕はその時に今までにない感覚に襲われました。今まで僕の中学校が県大会に出場したことはありません。それどころか、市内大会で1勝もしたことのないようなチームでした。だが、先生はそんなチームにも「県大会」という言葉をかけたんです。

僕は、この先生についていきたいそう感じました。

あれだけ、シニアに行きたいといってた少年がたった一言の言葉で心動かされたんです。それくらい響きました。

そして、僕の気持ちはシニアに行きたいから、シニアに行った同級生に負けたくないという気持ちに変わり、県大会に絶対行くと決めました。

その日から僕は、その先生を信じその先生を必ず勝たせたいと思うようになりました。

幸いにも、僕と他にも新入部員が5人ほど入ってくれたので廃部の危機は免れました。

だが、待っていたのは過酷で壮絶な日々でした。

その内容は次回の記事でまたお話しできたらなと思います。

僕の記事では何かに迷っている人や決意できない人に向けて少しでも僕の経験談などを通じて後押し出来たらなと思います。また、もう少し知名度も上がったら、僕が野球をしてきて学んだ、技術(主に打撃の上達法、トレーニング方法)について掲載出来たらなと考えていますので、是非皆さん、今後ともよろしくお願いいたします。

では、また👋



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