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親から子へ受け継がれる「遺伝」って、どこまで信憑性があるものなのかね。顔や背格好なんかもそうだけど、病気なんかもそうだよな。 やっぱり腐っても親子だから、本意ではなくとも「似ちゃう」ってのはあるのかもしれないけど、全部が全部、「遺伝」で片付けちゃうのも、なんか違う気もする。 特に性格の部分なんて、ほんとグレーだよな。 周りの人間や、通ってきた環境が親と違うんだから、性格まで似るってのはどうなのかと思うけどね。 でも、やっぱり腐っても親子。 遺伝を認めざるを得ない瞬間があ
自分にとって、その人はどんな人か。 その人との関係性は、自分にとっての影響力と比例する。 でもそれは、あくまでも、「自分にとって」という事なわけで、 そこに世間の評判や、ましてや地位なんて関係ないんだよな。 だから俺にとっては、どんなに立派な総理大臣の言葉よりも、 永ちゃんの言葉の方が響いたりするのだ。 ようは、「何を言うか」ではなく、「誰が言うか」。 同じ言葉でも、乗る力や意味合いってのは全く違うものになる。 「彼女に振られたからって、気にすんなよ!」 と、心から信頼する友
「コスパが良い」って言葉、よく聞くよな。 コストパフォーマンス。 端的に言えば、「かかった費用や作業量に対する成果」。 ようは、「リスクが低く無駄なく」ってこと。 これはこれで、素晴らしいよな。 だって世の中、無駄な事って沢山あるでしょ。 しなくていい報告とか、いるはずのない書類とか。 こんだけやったのに、意味あんの?っていうね。 そんなのバシバシとカットするべきだよな。 人生の時間は限られてるんだから、余計なカロリーをかけてる時間なんて無駄中の無駄。積極的にカットすべき。
どんな結果になっても、誰も幸せにならない事ってあるよな。 勝った方も負けた方も、それなりの不幸が待っている。そんな事ってこの世の中ではたまにあるんだけど、人間はアホだから、わかってるのにそっちへ突き進んでしまう事もある。 だからせめて、そんな結果になったあとは、そこから何かを学ばなきゃならないし、その後に活かさないといけない。 これは俺と息子、ひょっとしたらママも、 家族全員が不幸になった夜の話。 記念すべき30本目の投稿がまさかのちょっとヘビーな話になった。 今回は笑
人を統率するって、マジで難しいよな。 時には優しく、時には厳しくって言うけど、そう簡単にコントロールなんて出来ない。 特に自分の意見を通したり、従わせたりする時っていうのが、また難しい。 「黙って俺について来い!」「はい!!」みたいな世界は、軍隊か、ドラマの青春ものの中くらい。 だから、リーダーと言われる人たちは、あの手この手と作戦をねるわけだけど、とりわけ、この国のリーダーは歴代、そこが超絶下手くそ。頭はいいはずなのにな。 だけど、恐怖でなんとかしよう、と思ってないだけ
こいつ、いつも面白いこと言うなぁということが続いて、 だったら、何かこれをカタチにして残したいなぁ、と思い、 このマガジン「親子漫才」をはじめた。 俺と息子の掛け合いがメインで、文字通り「漫才」 普段のなんてことない会話の中で 「え!?なんで!??」という言葉が返ってくる。 こいつの頭の中はどうなってんだと心配にもなったが、 それがこいつの個性!と納得し、逆にそれを楽しんだ。 この「親子漫才」をはじめたのは、彼が6歳の時。 ちょうど保育園に通っていた頃だ。 今読み返して
どんな高性能な顕微鏡を使っても見えないのが「人の心の中」だよな。 それはどんなに親しい中であってもそう。だからそれを知るために人は話して、伝える。 でも、それを伝えちゃったがために相手を怒らせたりする。人間って面倒臭いよな。 でも、どう考えても人は1人じゃ生きていけない(はずだと思うんだけどな)んで、やっぱり心を知る行動はやめちゃいけない。 とはいえ政治家の心の中なんて知りたくもない。知ったところで、という気持ちがあるのも事実。 そう思うと、こいつの心を知りたい、と思う相手っ
人には良い部分もあれば、悪い部分もある。 まぁそんな事は、当たり前だよな。問題はどっちに目を向けるのか、そのバランス。 良い部分をとことん伸ばすのか、それとも苦手な部分を補う努力をするのか。 実際はこれまた、どっちも必要なんだけど世の中っていうのは、そんなに器用じゃないみたいで、 教育の場面ではなんとなく、苦手な部分を補う方に目線が傾いている気がする。これこそ偏見かもしれないが、実感はそうなのだ。 だけど、当然、良い部分だけを伸ばせばいいのかって言われると、自信満々にうなずけ
チャレンジしなけりゃ失敗もしない。 失敗するから成長する。つまり成長には失敗がつきもので、失敗にはチャレンジが必要だから、結局、失敗もただの失敗ではなく、、、 自分で言ってても、わけがわからなくなってきた。 「チャレンジ無くして成長あらずだよね」という話は色々な場面で聞く話。 もう何万回も聞いたこの言葉だけど、改めて確かにそうだよなって思う。 失敗ってさ、するからわかる事って多いんだよね。 で、それを改善したりして、はじめて次のステップへいける。つまり成長。 失敗しないっての
人に何かを伝えるって結構難しいよな。 要点だけ抜き出し、なるべくわかりやすく伝えてるつもりなんだけど、なんかクドクドしく話してる時があったりする。そこに感情や想いが乗っかってくるとさらにタチが悪い。 理想は、要点は完結に。そして、その上で、気持ちを乗せる。 まさに冷静と情熱の間。 でもそれがまた難しいのね。話しているうちに情熱が勝ってしまって論点がずれたり。かといって冷静に淡々と説明だけしてると、なんか感情が伝わりきれなかったりして。 伝える内容にもよるんだろうけど、理想は、
何が人を成長させるのか。 色々な要素があると思うけど、中でも一番効果があるのが成功体験。 まぁちょっと考えれば、そりゃそうだって感じだよな。 何か頑張ってる事があったとして、それが成功した!って感じると、自信になる。 そして、もっとやってみようって思う。 そりゃそうだ。 失敗から学ぶこともたくさんあるけどね。でもやっぱり成功するってのが一番の伸び薬かもな。 とくに子供たち。 相当入れ込んでるものでもない限り、失敗から伸びていくっていうのは難しい。 褒めて伸ばすってのは、いまい
3月からはじまった休校が今週で終わり、 6月からついに小学校が再開する。 とはいえ、第二波が来たり、 なにかあれば、またすぐに休校になっちゃうんだろうけど、 一旦は再開となる。 子供にとっても親にとっても長い長い休校だった。 来週から分散登校(1日おきにクラスを半分にして登校らしい)。 このやり方が良いのか悪いのか。それはわからないけど。 というか、そこは誰にもわからないよね。今はそういう時代でしょ。 というわけで、今回は、これまでの約3ヵ月間、 二人で過ごした日々
人との距離感って大事だよな。 離れすぎてもダメだし、近づきすぎてもダメなときもある。 実際の体の距離感もあるし、気持ちの距離感もある。 人間はその距離感を自然ととってる場合もあるし、 意図的にとってる場合もある。 絶妙な距離感ってのは難しいよね。 それは家族にも言えるし、親子にもいえる。 今は放って置くべきか、それとも近づくべきか。 かまって欲しそうだから、近づくと、「放っておいてよ!」なんて言われたり。逆になんか近寄りがたいオーラだから放っておくと、「寂しかった」って
前回の回を投稿してから、早いもので3週間がすぎました。 そして現状はといえば、何も変わっていません。 俺のリモートワーク生活は延長に延長をかさね、1ヶ月になろうとしています。 息子も時を同じくして休校から約1ヶ月。 思えばこのエッセイ「親子漫才」は、息子との何気ないやりとりの中から生まれる 彼の個性、面白さ、そして親もドキっとする迷言などを記録するためにユルくはじめたものでした。 それは普段の自然な流れから生まれるもので、今のような異常事態の中では生まれにくいもの。 大人