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神様も仏様も喜ぶはず。 「テクノ大祓」が目指した現代版”神仏和合”とは

6月30日、spodsのバス 1号が、ついに車道を走り、街へくり出した。

spodsは、移動する新しい場の試みとして、浅草神社の「テクノ大祓」に出展し、バスをスタジオにして写真展を開いた。

バスのDIYに足を運んでくれた友光雅臣さんは、東京・品川にある常行寺の副住職で、寺社フェス「向原」の代表だ。「テクノ法要」の発案者である福井・照恩寺の朝倉行宣(あさくら・ぎょうせん)住職とともに、浅草神社で「テクノ大祓」の演出を手がけた。

自動車メーカーの研究者を経て、浅草神社の神主となった矢野幸士さんが、見すえる未来は? 神道と仏教が交差する場所で、どんな新しい場所が生まれたのか。

取材中に「実家がお寺」と明かした、ライターすみさんが見つめた1日とは。

夜の社殿で

夜、浅草寺の一帯は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。境内は、散歩途中の地元住民や、橙色にライトアップされた本堂や雷門の姿を見にきた観光客たちがポツポツと歩いている程度だった。

本堂の東に隣接する浅草神社の一角だけが、人々の賑わいに包まれていた。

触ったり、転がしたりするとボールの色が変わり、子供から高齢者、外国人観光客まで、光に引き寄せられた人々が不思議そうな表情を浮かべて戯れていた。

神楽殿の隣には、1台のバスが、バックドアを開け放った状態で横付けされている。車内は、天井、床、壁面がウッドデッキで覆われており、そこに3枚の写真が展観されている。

真紅の社殿と、淡い光を放つ玉、写真の飾られたモダンなデザインのバス。寺や神社で演奏会や講演会などのイベントが開催されることはよくあるけれど、この日の浅草神社はそうしたイベントともどこか違う。

異様な光景でありながら、空気はどこか平和的。ラウンジのようなリラックスした雰囲気が、人々を呼び寄せていた。

それが正真正銘の神社の祭事であると知っていた人は、どれだけいただろう。

お坊さんが演出する神事

この日、浅草神社で開催されていたのは、「テクノ大祓(おおはらい)」

半年の間に、体についた穢れを落とす神道の行事「大祓」を、テクノミュージックやプロジェクションマッピングで演出したもので、多くの人に、より神道を身近に感じてもらおうと企画された。

「伝統行事を最新テクノロジーで彩る」という試みは、もはや流行とも言えるくらい、色々な場所で行われている。なかには、現代の演出が目を引き過ぎて、伝統文化が持つ重厚さや文化的・宗教的価値を薄めてしまっているように感じられるものもある。

僕自身、正直、テクノ大祓も同じようなタイプのイベントなのかなとぼんやり考えていた。

でも今回の試みは、よくあるビジュアルやインパクト先行の試みとは違った。テクノ大祓は、浅草神社が大真面目に神道について考え、その結果、生まれ落ちた1つの形だった。

興味深いのが、テクノ大祓の演出の体制。

大ざっぱに舞台裏について説明すると、「テクノ法要」で知られる浄土真宗照恩寺の住職・朝倉行宣さん(写真右)が音響を手がけ、日本の伝統文化を体験できる寺社フェス「向源」の主催者で天台宗常行寺の副住職・友光雅臣さん(左)が全体をプロデュース。浅草神社の神主・矢野幸士さん(中央)が大祓の儀式を執り行った、という感じ。映像やライティングは、テクノ法要クリエイトチームが手掛けた。

なぜ神道の行事を、お坊さんがプロデュースし、神社で開催するの? と頭が混乱する人もいたかもしれない。

今回のテクノ大祓の根本にあるのは、「何か新しい形で儀式にアレンジを加えてみたい」というような単なる好奇心ではない。

氏子や参拝者が減り続ける現代に、神社のあり方を再考する必要があるのではないかという、神道に対する危機感を矢野さんたちが抱いていたことだった。

もともとトヨタ自動車で研究開発に携わっていた矢野さんは、広い視野でテクノロジーの進化や人々の暮らしの変化に対応していく必要性を理解していたのだろう。


神仏が手を携えて

仏教界では、檀家や住職の減少によって、手入れが行き届かない寺が増えたり、住職が複数の寺を掛け持ちしたり、様々な問題が指摘され続けている。

一方で、若い僧侶たちを中心に、バンドを組んだり、フリーペーパーを発行したり、新たな取り組みも盛んになってきた。友光さんの向源や、朝倉さんのテクノ法要もその一例だ。

神道界も、同じような問題をずっと抱えている。

矢野さんによると、神社も仏教同様、地方を中心に参拝者が少なくなっており、「おそらく30年後には、30%の神社が機能しなくなると言われている」のだそう。

でも神道界には、新しい動きがあまり見られない。

矢野さんは、そこに対する疑問や危機感を常々抱き、「仏教も神道も、互いのいいところを認め合いながら、手を携えていく必要がある」と感じていたという。

矢野さんと友光さんらは2011年ごろから、互いに意見を交わし、神仏に関する勉強会のような場を設けてきた。寺で巫女舞や雅楽の奉納を執り行ったり、矢野さんが寺で座禅を組んだりもした。

そうして、今年の向源のコンテンツをどうするか、朝倉さんとともに考える中で、「テクノ法要」の神社版をできないかという話になったのだとか。

「神道界には、『我々は神職、神道だ』という考え方が強いのですが、実は、そうした明確な区別は、神仏分離が行われた明治以降のものなんです」と、矢野さん。

「江戸以前は、仏教と神道のくくりが明確ではなく、神様も仏様も分けられたものではなくて、1つの信仰の対象でしたから」

浅草神社も、もともとは浅草寺の境内にあり、寺の僧侶が社僧として管理していた。それが神仏分離令により、社僧から神職へとジョブチェンジがなされたという歴史があるらしい。

そうした経緯もあって、「この神社で神職を務めるのなら、仏教を知らないでは済まされない」と感じ、互いに学び合う必要を感じたという。

厳粛なテクノ

夜8時、矢野さんはじめ神職5人が、ライトアップされた神楽殿に上がり、大祓詞(おおはらいことば)奏上の準備を始めた。

矢野さんが「新しい試みのテクノ大祓を斎行させていただきます。お清めの言葉を、心を込めて奏上いたします」と宣言すると、事情を知らず社殿前に集まった人たちは、「テクノ大祓?」「テクノだって」などとざわめき立った。

社殿周辺の異様な雰囲気に惹かれて興味本位でやって来た人が多かったと思う。でも、いざアンビエントな音楽とともに、神職が大祓詞を読み始めると、境内の空気は一変した。

音楽イベントに来ているかのようにリラックスしたり、笑みを浮かべて社殿上の光景を眺めていた人たちは、浮ついた気持ちが突然どこかに飛んで行ってしまったように押し黙り詞(ことば)にじっと耳を傾けた。

神職たちが、人々にお祓いをするため「ご低頭ください」と呼びかけると、それまでカメラやスマートフォンを掲げ、動画を録画していた人たちも、素直にすぐこうべを垂れた。

神秘的で洗練された空気が、一帯に満ちていた。

親鸞聖人、蓮如上人の教えに基づいて

そもそもテクノ法要を始めたきっかけは、参拝者が年々少なくなっていく現状に対し、朝倉さんが「まずは自分のできることをやってみよう」と思ったことだそう。

「『光の表現などを音でアップデートしたらどうなるんだろう』と考えました。当時、友光君たちの向源がクラウドファンディングで資金集めをしているのを見て、『こういうことをしてもいいんだ』と感じました。若い方が頑張っているのはすごく嬉しく、これからの仏教の未来が見える気がしたんです」

友光さんは、そうした新たな取り組みの根本にも、仏教の教えがあったと語る。

僕は、『本来は仏教はこういうものでこうすべきだ』と言わないのが、仏教だと思っています。諸行無常の考え方だと思うのですが、『これはこういうものだ』と決めつけちゃうと、(本質や大切なことが)遠のいてしまうので」

朝倉さんにとっても、友光さんにとっても、今回、神社で大祓の演出を手がけるのは、決して「新しいことをしたかったから」ではなく、しっかりと仏教の教えを鑑みた上で決めたことだそうだ。

朝倉さんは、「親鸞聖人も蓮如上人も、『ほかの仏様や神様をおろそかにしてはダメですよ』というのが教えなんです。新しいことをしたいのではなく、お互いを大切にするというのが仏教も神道も大事なことなのかなと思い、今回チャレンジさせてもらいました」と、その意図を説明してくれた。

2人の言葉を解釈してみると、今回のテクノ大祓という神事は、友光さんや朝倉さんたちによる取り組みが形になった「仏教にとっての未来」の1つの形でもあるんだろうなと感じられた。

「仏様がテクノ大祓を見たらどう思いますか」という問いに対して、朝倉さんが「すごい喜ぶんじゃないかな」と答えれば、矢野さんも「神様も、今の時代にあった神事ということで喜んでいただけると思います。他を認め合い、融合するというのは神仏和合の真髄です」と相づち。

実家が浄土真宗の寺である僕からすると、その構図がとても新鮮で、興奮した。

「演出を手がけたのが、たまたまお坊さんたちだった」という訳ではなく、「意味があって、お坊さんたちが神事を手がけた」というのが面白かった。

地域に根ざして、新たな感性を

融合という意味で言えば、この日の浅草神社には、もう1つ触れておきたいものがある。それが、僕もDIYを手伝った、手作りバスの存在だ。

このバスは、「『移動する新しい場』をつくる」を合言葉に進めてきたspodsのプロジェクトで、いろいろな出会いや体験を生み出したいという思いの下、多種多様な仲間たちが集まり、約3ヵ月かけて作り上げたもの。

この日は、アメリカ・ネバダ州の砂漠で毎年開催される巨大野外イベント「バーニングマン(Burning Man)」に、朝倉さんたちが2018年に正式出展したテクノ法要の写真を、バスの中に展示した。

広大な砂漠を光を照らすテクノ法要。その幻想的な瞬間を写真に捉えたのは、spodsのコアメンバーでもある光画家の大月信彦さんだ。

神社で参拝を終えた人たちが、展示に気づき、「なんだこれ」という感じでバスに近寄ってくる。頭の上にクエスチョンマークが浮かび、好奇の目で車内をのぞいていたが、それでも多くの人が「面白いですね」と、好意的に受け止めてくれていた。

神事を行う社殿横に、バスを止めて、法要の写真を飾る…。文字にするだけでもヒヤヒヤしてしまう行為だ。でも、矢野さんは快く受け止めてくれた。

「神社は地域に根ざしていないといけません。それが氏神様と言われるゆえん。今回のバスにしても、ああやって来てもらい、神職として受け入れるという流れは必要だなと思います」

「古きを大事にしながら、新しい感性も取り入れていかないと、本当に神社が時代遅れになってしまいます」

もちろん、なんでもかんでも「入っていいよ」という訳ではない。その判断は、矢野さんの中でもまだ難しい。

「神社としてはやっぱり、守らなければならないものは崩してはいけない。ただ、何を崩しちゃいけないのか、どこまで崩していいのかという線引きは、私自身はまだ明確にできているわけではないんです。こういった取り組みをすることによって、いろんな人脈ができ、知識、教養、考えを知り、いずれ線引きが確定していくんだろうなと思います

どっしりとして、優しい神道

地域社会に根を下ろしながら、訪れてくれる多種多様な人たちを温かく迎え入れ、丁寧にもてなす。どっしりとしながら、優しくて、柔軟ーー。矢野さんの言葉を聞いていると、そんな神道の形を模索し続けているのかな、と思った。

これから神社はどうなっていくといいだろうか。矢野さんに問うと、間髪入れずに「早くタッチでお賽銭を払えるようにしたいです」と一言。たしかに、キャッシュレスの時代、海外からの訪問者も多い今、お賽銭のありかたもアップデートが必要だろう。

じゃあ、spodsのバスが神社で何かできることはないだろうか。仏教は、街頭で仏の教えを伝える『辻説法』という形があるし、バスと親和性は高そうだ。そんな話をしていたら、矢野さんが宣言した。

「私もあれに乗って、どこか行きたいです。何かやりたいですね。僧侶も神父も神職もイスラムの方も、そういう人たちが一緒に回れると面白いと思うな」


……….

バスは、大祓の一日に神社の傍らに寄り添い、静かに佇んでいた。

バス作りに携わってきた人や、spodsのプロジェクトに興味がある人、ただなんとなく面白そうだから遊びに来た人。会場に集まる動機は様々だが、彼らにとって、テクノ大祓は新しい体験になったのではないだろうか。

神道や仏教について、そして両者がコラボする意義について、立ち止まって考える時間が生まれたのかもしれない。大祓詞が心に残った人もいるだろう。

spodsのバスが、少しずつ新たな目的地を作っていけたら面白いだろうな。一日を過ごしてみて、そう思った。

.........

photo: Umihiko Eto, Nobuhiko Ohtsuki
text: Hiroyuki Sumi
edit: Kaori Sasagawa

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