ヨガと仏教の違いと共通点&実はヨガ無しでは仏教が成立しなかった
ヨガと仏教の違いと共通点、そして仏教がヨガの影響を多く受けていることについて解説します。また、もし、この世の中にヨガの存在が無ければ、仏教が成立しなかった、というのは大げさな話ではありません。その辺についても解説したいと思います。
ヨガと仏教の違いを知るためには、ヨガの種類から知る必要がある
🔵 ヨガの大分類
⛺ 古代のヨガ(霊性を上げることを目的として極めてスピリチュアル的です)厳密にいえば、古代ヨガは「古代四大ヨガ」に分類されます。
⛺ ハタヨガ(現代の日本で一番主流のヨガ。ポーズなどのエクササイズヨガ。古代のヨガから発展させたヨガの種類の一部に過ぎない)
※厳密にはこの他にたくさんのヨガが存在して違いますが、日本人としては、ヨガには2つの大分類があることを知っておいたほうが仏教とヨガの違いを理解しやすいです。
ヨガと仏教の違いを知るためには、現代のハタヨガではなく、古代のヨガと比較することから始めます。現代主流のヨガ=ハタヨガはポーズなど体操感覚でリラクゼーションをすることが目的で、古代のヨガとは目指すものがだいぶ違います。
🔵 古代のヨガは極めてスピリチュアル的
古代インドで発祥したヨガという教えは、実は「宇宙の創造神・宇宙の原理であるブラフマンと一体(神人合一)になることを目指す」「自己を超越して宇宙の真理を理解すること」「生まれ変わりの輪廻を超える」など、崇高な理念を持ち、様々なスピリチュアル的な目的を持っています。
そして、そのために瞑想を取り入れています。
「古代の四大ヨガ」は4種類ありますので、正確にいえば、それぞれの目的は多少違いますが、だいたいこのようなイメージです。
日本で知られているヨガと、インドで発祥した本来のヨガとはだいぶ様子が違いますね。
宇宙の創造神と一体になるというと、極めてスピリチュアル的な印象があります。
ヨガと仏教の違い① 宗教なのか?否か?
仏教は宗教です。教祖もいて、仏様のような神様のような存在もあり、経典としての教義もしっかりしています。
一方、ヨガはどのような宗教の人でもヨガをすることができます。仏教の人でも、キリスト教の人でも、ヨガをすることは普通にあることです。
そのため、ヨガは哲学やスピリチュアルの一種(宗教でないスピリチュアル)と捉えると良いと思います。
ヨガには、ブラフマンという創造主が存在しますが、宗教ではないのでスピリチュアル的であって自由度が高いです。
ヨガはあらゆる宗教に寛容な、神道に近い存在かもしれません。
仏教を開かれたお釈迦様を導いた「お師匠さん」は、当時インドで広まっていたヨガの瞑想を教えてくれた
🔵 お釈迦様のエピソード
お釈迦様は、お城の東西南北の門から外に出られると、それぞれの門の外で老人・病人・死者・修行者に出会い、衝撃を受けます。
そこで出家を決意します。
お城を出られた後のお釈迦様は、「アーラーラカーラーマ」と「ウッダカラーマプッタ」という2人の修行者に弟子入りします。仙人級のすごい先生だったそうです。
このとき、師匠からヨガを教わって実践されました。この師匠のもとで瞑想や苦行に励まれたそうです。
また、師匠から「この世のものに執着しない」という教えを授かります。このように仏教の「執着しないという概念」は仏教オリジナルというわけではなく、古代インドのヨガの教えに由来しているようです。
この師匠のもとで、お釈迦様は6年間過ごされたそうです。
そのあと、見切りをつけて師匠のもとを離れ、お釈迦様はご自身で悟りの道に進まれました。
このように、たしかにお釈迦様はオリジナルな悟りへと導かれましたが、その過程で2人の修行者の教えを受けて、それが仏教の教えに多大なる影響を与えていることがわかります。
お釈迦様が悟られたのも、ヨガの瞑想によるものと言われているので、「お釈迦様は広義的にヨギーでもある」とも言われています。
お釈迦様が説かれたダンマパダ(法句経)282にヨガについて書かれている
ダンマパダ(法句経)とは、お釈迦様が直接説かれた言葉をたくさんのフレーズに収められた経典です。仏教版の聖書とも言われることがあります。
お釈迦様が直接話された貴重な言葉なので、経典のなかでは古い部類に属します。
このダンマパダには聖書と同じように番号が振ってあり、この282番にヨガのことが書かれています。
ヨガによって大きな智慧が生まれる。ヨガが無ければ大きな智慧は失われる。この2つの道を知って、智慧が増えるように自分の道を歩みなさい。
※ここでいう「ヨガ」とは心を落ち着かせる瞑想を意味します。
なお、ダンマパダ282の原文にはしっかりと「yoga」の文字が入っています。
ダンマパダ282の原文(英語サイト)
https://www.tipitaka.net/tipitaka/dhp/verseload.php?verse=282
なお、上記はyogaの文字を確認するためのもので、正しい日本語訳は、上記の英語サイトを参考にするのではなく「中村元氏訳」など日本語の解説のほうがより正しい翻訳と正確な理解ができると思われます。
ヨガと仏教の違い② 隠れた自我があるか?
ヨガと仏教は共通点のほうが多いですが、やはり違いはあります。その2つ目は、隠れた自我があるか?です。
ヨガでは、普段の自己と思っている自己は本物ではなく、本物の自己は隠されており、その隠された自己をアートマンと言いいます。そのアートマンに出会うことも、ヨガの目的のひとつですが、アートマンとブラフマン(創造主)が同じであることを悟ること、そして創造神と一つになることが究極的な目的と言われることもあります。
いっぽうで、仏教では、自分をふくめてありとあらゆるものは空であり、空だからあるように見えると、教えています。
仏教の目的は、すべてが実体がないことを悟り、あらゆる執着から離れることができれば、悟りの境地である涅槃に入れる、ということです。
ちなみに、仏教ではヨガの「アートマン」を否定しているようです。
何が正しいか?真実か?ではなく、ヨガと仏教はこのように教えている、と捉えて良いと思います。
🔵 私個人の意見
しかし、個人的には、この2つは一見すると矛盾するようで、両者ともに、ある程度まで両立が成立していると思います。
「創造主は存在し、創造主が作られたこの世の中の被造物には実体がない。そして、そこに執着しないことで、悟りと無の境地に達することで、創造主と一体になれる」・・・このような理解をすれば、両者は違う側面から同じ心理を説いていると理解することができます。
仏教とヨガの違い③ お釈迦様は神様を否定されたのか?
ここで、ひとつの疑問が生まれます。仏教は神様を否定しているのか?ということです。
密教では、明らかに仏教的な神様が多数存在しますし、そのほかの宗派でも、多数の如来や仏様が存在しています。たとえば、阿弥陀如来や観音様が良い例です。
そして、お釈迦様は神様をどのようにとらえてらっしゃったのでしょうか?私の個人的な意見では、お釈迦様は神様の存在を知ってらっしゃったけど、あえて教えに入れなかった・・・そう個人的に思っています。
🔵 お釈迦様と梵天の出会い~梵天勧請
お釈迦様は、菩提樹の下で悟りを開かれます。その後、お釈迦様は「この教えを説いたところで誰にも理解できるはずがない」と思い、布教することをやめようとしたのですが、そこで登場するのが梵天(ブラフマン)です。
お釈迦様の前に梵天が現れて、お釈迦様にこの教えを世に広めるように説得します。これを「梵天勧請」といいます。これがなければ仏教自体が成立しなかったといわれるほです。
このように、神様の力を借りて仏教が成立したので、お釈迦様ご自身は神様の存在を認めていたと、私個人一人の予想ではありますがそう思っています。
仏教は梵天勧請があったにもかかわらず、なぜか神様の存在を肯定していません。その辺の理由について、私はよくわかりません。
ただし、江戸時代までは日本で神仏習合でしたので、日本では神様と仏様が同時に存在すると理解するほうが自然のように思いますし、私は両方存在すると確信しています。
このように、ヨガと仏教は非常に似ており、もし仮にこの世にヨガが無ければお釈迦様が「アーラーラカーラーマ」と「ウッダカラーマプッタ」の師匠と出会うこともなく、瞑想の指導を受けることもなければ、この世に執着をしないように教えられることもなく、仏教自体が成立してなかったといえるでしょう。
仏教と古代のヨガ、両方から学ぶことは多いと思います。
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