マガジンのカバー画像

すぴーの考えごと

30
仕事、趣味、家族、社会、哲学などジャンルを問わず、なるべく平易な言葉で自分の考えをまとめていきます。世界は分からないから面白い。
運営しているクリエイター

#考え事

子供が教えてくれる移動のUX

どこかへ遊びに行く時、検索ツールが発達した現代では、所要時間とコストで交通機関を選ぶ人が多いと思う。しかし子供と出かけるようになってから、移動ではUX(User eXperience ≒ 体験の質)が大切な要素だと思うようになった。 今回は移動の方法を選ぶ際にUXを重視してみてはいかが?というお話。 UXはIT業界でよく使う用語だと思うが、ここで言うUXは体験の質、つまり、移動している時間が快適で満足度の高いものかどうかを指す。 例えば私は豊島区に住んでいて、目的地に向かう

noteのコンテストは書き手にパワーをくれる有り難い存在

気づくのが少し遅れてしまったが、コンテスト「#はたらくってなんだろう」の審査結果が発表された。 私はこのコンテストの応募締め切り最終日に以下の記事で挑戦した。こういう、「〜とは」みたいなお題を出されると真正面からその問いに答えたくなる性分だが、今回のテーマはさすがにまともにやりすぎるとハンナ・アーレントとか哲学の話みたいになるので、対象を絞ることにはなるが自分の経験にも多少立脚する形で書いてみた。 それでもいくつか本を読まなければならなかったので期限ギリギリになってしまった

生きるために生きる、それが人生の目的だと自信を持って言えるように

私は健康に気をつけている。お酒もタバコもやらないし、よく寝るし、駅から徒歩10分のところに住むことで歩く距離を確保し、BMIは標準、健康診断や歯科検診も定期的に受ける。健康を保つことが趣味ということに関しては、最近はさほど否定する人はいないのかもしれないが、「何のために生きているのか?」という眼差しで見られた経験が私にはある。 アンチエイジングなども似た立場にあり、この眼差しを持つ人々は「人間は老いて死ぬのが自然なのだ」と言ってアンチエイジング派を蔑む。本記事ではこの眼差し

女性の話が長いってホント?

炎上した森氏の発言に関するニュースを見ていたら、妻が「でも女性の話って長いよね」と言った。妻によれば中国のネットでは、同じように同情的なコメントも多いという。 ふーむ。森氏に女性蔑視の信念があるかどうかは知りようがないけれども、「平均すると女性は男性より話が長い」のような統計データが背景にあるかどうかくらいは分かるかもな・・・と思い、少し調べてみた。 まず次の記事から結論部を引用する。 一般的に男性より女性の方がよく話すと信じられているにもかかわらず、ほとんどの「対話時間

自由意志が幻想だったら何がまずい?

NHKの科学番組「ヒューマニエンス」で、「”自由な意志”それは幻想なのか?」の回を見た。今日はこのテーマについて少し考えてみる。 自由意志が幻想だという話はずいぶん昔からあるが、そうだったら超ガッカリだ!という文脈で言われることが多い気がしていて、ヒューマニエンスの出演者も同様の反応だった。しかし自由意志という言葉が、今からの行動を意識内で好きに決められること、また、無意識に頼らず決めなければならないことを指すのであれば、それは明らかに誰も望んでいない事態だろう。 我々は

優しさを決めるのは動機か、印象か

むかし地元関西に、「厳しさが優しさ」と銘打っている学習塾があった。今ならちょっと問題になるキャッチコピーかもしれないが、子供のためを思って厳しくするのは、子供のためを思わず優しくするよりいいじゃないかという主張が含まれている。実際のところ、動機は優しさを決める要素の1つではあるだろう。 しかし私はもう1つ、忘れてはならない要素があると思っている。パワハラが、それを行った側ではなく行われた側によって認定されるのと同じように、優しさもまた受け取る側の気持ち次第ということである。

挑戦だけを手放しで礼賛する危険性について

「挑戦している君へ」というコンテストが開始されたので、これを機に「ある意味で挑戦を礼賛する記事」と「ある意味で挑戦を否定する記事」の2つを書こうと思う。前者は下記で、後者は本記事である。 まず、世の中で格言とか教訓と言われるものは、人や状況によって真逆の教えが有効となる。例えば、『七転び八起き』という格言を考えた時、これが肯定的に適用されるのは「すぐ諦める人」に対してであり、むやみやたらと頑張る人には否定的に適用されなければならない。だから大抵の格言には真逆の格言が存在し、

自信に関する勘違いは、ある種の同調圧力を生み出す

日本人は集団の考えに染まりやすいとか、日本社会は同調圧力が強い社会であるなどと言われて久しい。しかし例えばアマゾン創業者であるジェフ・ベゾスの本などを読むと、同調圧力との戦いは海外にも普通に存在することが分かる。その本によると、ある会議で偉い人(ベゾス本人だったか?)が出した提案に対して、出席者の誰も反対意見を出さなかったのだという。それをベゾスは叱責したという話だ。 このような同調圧力が生じるのは、偉い人に対する信頼や恐怖、責任転嫁、意思決定を楽に行いたいという気持ちが働

37歳で亡くなった宮沢賢治を思う

Chiaki さんの下記の記事で、私のnoteをご紹介いただいた。このように自分の記事のURLが含まれる記事が投稿されると、「~さんの記事であなたの記事が話題になっています!」という通知が届く。こういうご紹介に喜ぶと、まんまとnoteの仕様にノセられているようでシャクなのだが、喜ばしいものは仕方がない。私も Chiaki さんのように他の方の note をちゃんと読んで、いいと思ったものは面倒くさがらずご紹介したほうがいいのかもなという気になった。 で、Chiakiさんの記

マーケティング用語を日本語で話してくれという話に感じたこと

何の番組だったか忘れたが、最近ちょっと印象的なエピソードを見た。ある人(Aさん)が会社の立て直しか何かをやっていて、組織全体にマーケティングの思想を根付かせるために、会議の場などで専門用語を日本語で話すよう求めたという話。専門用語というのは多分、以下のような言葉だろう。 https://crowdworks.jp/times/marketing/4134 たしかに、マーケティングの専門用語というのはある程度覚えても、早口で数種類を連発されると理解が追いつかないことがある。

結論を予め考えずに文章を書くことに対する憧れ

文章っていうのは普通、結論を考えてから書き始めるものだと思う。自分も常にそうしてきたが、だからこそというか、結論を予め考えずに文章を書くことに対する憧れのようなものをずっと持っている。 結論を考えるというのは、なかなか大変なことだ。何でも良いから結論があって、それに向かっていけばいいだけなら簡単だけど、書いてみた起承転結を眺めたら全然気に食わない主張になっていることは結構あって、その場合はもう全部やりなおしになってしまう。こういうことを防ぐために、ぶっつけ本番で文章を書くん

世代間倫理において純粋な利他行動はあり得るのか?

自分のためではなく他人のためにする行動を利他行動、他人のためではなく自分のためにする行動を利己行動といいます。また、利己主義という言葉がありますが、これには他人のことを顧みないで自分のことばかり考えるという、ネガティブな響きがありますね。誰しも自分のために行動したいのですが、他人のことを考えて行動する人のほうが信頼されるため、多くの人は程度の差こそあれ、利他行動をとっています。 逆に言えば、利他行動をする人は、巡り巡って自分のためになるということを分かって行動しているので、

責任の語源に”責める”という意味はない

哲学の世界では、責任は自由意志と関係があるものと考えられているようです。人間は次に行う行動を自由に選択することができるので、ある行動をした人にはその選択をしたことについて責任があるでしょ、というわけです。正当防衛とかの文脈では、選択の余地がないので責任が軽減されると。 しかしこの、自由意志の存在というのは人類の歴史を経るに従って、そんなものはないかもしれないという論調が多く見られるようになってきました。人間が行動したり考えたりするメカニズムが科学によって明らかにされてきたか

死の教育は生の教育と共に

教育の中でも難しいことの1つに、「死」と「性」があると思います。特に前者については、大人でも分からないことだらけなために、どう説明したらいいか迷います。うちの子はまだ0才なので難しい説明が必要になるのは当分先でしょうが、直前になって考えて整理できるほど甘いテーマではないので、練習がてら記事にしておきたいと思います。 死に関しては、主要な問いが2つあると思っています。1つ目は、死という概念を知らないほどの小さい子供が「死ぬってなに?」という形で問うもの。2つ目は、もう少し大き