マーケティング用語を日本語で話してくれという話に感じたこと
何の番組だったか忘れたが、最近ちょっと印象的なエピソードを見た。ある人(Aさん)が会社の立て直しか何かをやっていて、組織全体にマーケティングの思想を根付かせるために、会議の場などで専門用語を日本語で話すよう求めたという話。専門用語というのは多分、以下のような言葉だろう。
https://crowdworks.jp/times/marketing/4134
たしかに、マーケティングの専門用語というのはある程度覚えても、早口で数種類を連発されると理解が追いつかないことがある。日本語に直せば分かるのか?と言われると疑問があるが(例えばカスタマージャーニーって日本語で何ていうんだろうか・・・分かりやすくなる気がしない・・・)、今回言いたいのはそういうことではなく、「日本語で話してくれ」というカッコ悪いことを言えるのは凄いなぁということだ。
「日本語で話してくれ」ということは、俺は専門用語が分からんと宣言しているのと同じである。まぁ実際にはだいたい知っているし、周りもそう思ってはいるだろうが、カッコ悪いことに変わりはない。偉い立場になればなるほど、そう言うことに対して気が引ける人は多いような気がするが、Aさんはそれを堂々と言っている。
偉い立場になるということは、その下に多くの専門部隊を抱えることを意味する。現場の人のほうが現場に詳しいのは当たり前で、それぞれの現場はそれぞれの専門用語を育んでいる。だから上の人や別の部署の人が、特定の技能集団で使われる(特に最新の)専門用語を知らないのは普通だし、全て覚えることが効率的かどうかさえ疑わしい。
マーケティングなら多くの部署に関わるから、主たる用語については英語のまま使えるようにみんな覚えてくれといってもいい気はするが、一般的な理屈として、頻繁に使わない用語群があるんだったら勉強の効率は低い。だったら無理して覚えずに、分からないことは都度聞けばいい。でもその心理的ハードルも分かるから、専門用語を使う側が専門外の人にも伝わるように話すことを日頃から意識しておくのがいい。Aさんの意図はそんなところだろう。
つまりAさんは、心理的ハードルを理解しながら、自分自身はカッコ悪いことを言うことによって一身に心理的ハードルを引き受けているのである。このようにして偉い人は多くの専門部隊の行動や文脈を理解する。細かい専門用語を理解するのではなく、専門外の人にも伝わるように抽象化・一般化されたレベルでの理解を横断的に揃えることから始め、幹を確立した状態から少しずつ、必要に応じて枝葉を伸ばしていく。
分からないことを都度聞くという恥の上塗りを避けるために、最初だけ大きな恥をかいておく戦略・・・と穿った見方をすることもできるが、少なくとも「分からないことを聞く」覚悟がなければ最初の恥もかこうとは思えないわけで。
人の上に立つということ、年をとるということは、カッコ悪さを必要とするもんだと薄々思ってはいたが、Aさんの話を見て、ああ、やっぱそうだよねと再認識させられたのだった。というか、そういうことをカッコ悪いと思わなくなるのが偉くなるってことなのかもしれない。
しかしなんで覚えてないのかな、つい最近見た番組なのに・・・😓
ではでは。
ちょび丸(1歳)の応援をよろしくお願い致します~😉