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生きるために生きる、それが人生の目的だと自信を持って言えるように

私は健康に気をつけている。お酒もタバコもやらないし、よく寝るし、駅から徒歩10分のところに住むことで歩く距離を確保し、BMIは標準、健康診断や歯科検診も定期的に受ける。健康を保つことが趣味ということに関しては、最近はさほど否定する人はいないのかもしれないが、「何のために生きているのか?」という眼差しで見られた経験が私にはある。

アンチエイジングなども似た立場にあり、この眼差しを持つ人々は「人間は老いて死ぬのが自然なのだ」と言ってアンチエイジング派を蔑む。本記事ではこの眼差しに答えることによって、コンテスト「#自分にとって大切なこと」への投稿としよう。

 私は自分の紹介文において、次のように締めくくっている。

長生きして未来を見て、さらに未来を考えよう。

私の人生の目標は端的に言えばこれである。私は現在42歳、若い頃に比べれば様々なことを勉強してきた。昔分からなかったことが今は分かり、昔世間が勘違いしていたことを今の世間はより正しく理解している。だからどう考えても今のほうが幸せだ。世界はより多様化し、テクノロジーが進展し、様々なことにチャレンジするハードルも下がっている。歴史が蓄積することで、過去から包括的に学ぶことができ、それによって未来を考える材料が次々と生まれつつある。

これから健康的に歳を重ねていけば、上記のロジックをそのまま拡大していくことができる。高齢期の脳や身体をベストな状態にできれば、今より多くの事柄を統合的に考えることができるし、子供が大きくなって暮らしている世界が見られる。私が健康に気をつけたり考え事のマガジンを作ったりしているのも全てそのためだ。

また、SDGsに代表されるように地球の持続可能性が言われるようになって久しいが、そもそも持続可能性が重要なのは何のためだろうか?地球が健康的に持続したとして、惑星や生物種にだって寿命があるのだから、どのみち人類が同じサイクルのまま永久に持続できるわけはない。といって、数十年後に差し迫った喫緊の課題に場当たり的に対処しているだけとも思いたくない。

私の答えはここでも同じで、人は地球を持続させること自体を「さしあたりの」目標としている。さしあたりではない「本当の」目標 ーーー 例えば数千年かけて全人類で成し遂げたい目標、到達したいユートピア ーーー などは今のところ何もない(少なくとも合意されていない)。
仮に人類が頑張って温暖化等による危機を回避できたとしても、その先に設定されるのは「さしあたり」地球を持続させるという目標になり、それはどこまで行っても変わらないだろう・・・SFのようなことが起きない限りは。

人間も地球も、健康で長生きすること自体が目標でいいと、私は思うのだ。試しに、生きる理由を正当化してみれば良い。それが何であれ、人なんか減れば減るほど地球に優しいではないか?地球なんかなくたって、宇宙全体で見れば大した問題ではないではないか?それでも人が生きる理由は、その人が価値のある人間だからか?そうではないだろう。生きていたいというだけだ。生きるには理由が必要だと言った瞬間、その生は状況や認識の変化に対して酷く脆弱なものになる。

私は去年4月から1年間の育休を取るにあたって、責任ある立場でこんなことをしていいのだろうかと自問自答した。その時に考えたのが、「自分は何のために生きているのか」ということだった。私が生きるのは自分のためであり、他人への責任を果たすことを最終目標として生きているのではない。育休を取ることが自分と家族の幸福に繋がり、長生きするための意欲に繋がるのであれば、それは私が責任を果たすべき誰かにとってのロールモデルにもなるのではないかと。

最終目標など簡単に得られるものではない。「生きるために生きる」という大いなる暫定目標を常に念頭に置いて生きるべきだ。そのうちに本当の目標が見つかればラッキーだし、見つからなくたって別にどうってことはない。それが私の「自分にとって大切なこと」であり、幸福とは生きることに他ならない。誰もがそう言える世の中になれば良いと思う。

ちなみに私は、こういうことを考えているだけでも十分楽しい。「何のために生きているのか?」という眼差しを私に向けた人は、私が人生の楽しみを我慢しているとでも思ったのだろうか。私は、長生きする生き方にフィットした趣味のあり方を模索してきただけだ。

人生は有限であり、どのみち全ての楽しみを味わい尽くすことは出来ない。我慢というよりは選択の問題だと思うのだが。私が何か余計なことを言ったのかな?🤔

ではでは。

ちょび丸(1歳)の応援をよろしくお願い致します~😉