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まんなかにあるものが「カレー」である理由。

前回は、スパイスカレー研究部について綴りましたが、今回からは「カレー」である、そもそもの話を綴ります。

新井家は、父、母、弟の4人家族の食卓。
でも、食卓を作る両親の食の好みが基本的に合わず、いつも喧嘩。
そんな両親の共通の好きなものは、カレーと鰻。
このふたつだけは、晩御飯に出て来ると、喧嘩はなく、すごく楽しい晩御飯の時間。
子どもながらに、「鰻は高い」とわかっていたから、「晩御飯、何食べたい?」と聞かれたら、カレーと答える、そんな幼少期の食卓事情が今のカレーに続いていたのかもしれません。
カレー食べるのも好き、つくるのも好き。
でも、もっと本質的なところは、カレーがある時間が、新井家にとって、とてもあたたかい家族の団らんだったから、なのかもしれません。

カレーをきっかけに、あたたかな、幸せな時間を多くの人と。

「カレーは宇宙」そして「人類をすくうヒーロー」だ。
言いすぎるとひかれるけど、これは、今までの活動を通して見えてきたところ。
カレーを嫌いな人は、ほとんどいない。
子どもからご年配の方まで好きなケースもあるし、年齢、性別、国籍まではいれていないけれど、きっと国籍もそうで、日本だけじゃなく、世界中で、多くの人に愛される料理。

どんな食材もツールも、カレーはすべて受け入れる度量の”うつわ”がある料理だと思います。
そして、同じ材料、同じレシピで、同じようにつくっても、みんな違う味になる不思議さ。
3年間、カレーを作り続けられている理由は、ゴールがないからなのかもしれない。
毎回、新しい発見があって、追求のしがいがある。
小さい頃に、プラモデルで遊んでいたみたいに、スパイスで実験して、遊んでいるような。

改めて、いつから「カレーの人」になってきたのかの話。
家族のだんらん、あたたかな食卓の象徴として、カレーはずっと好きだったけれど、自分が作り始めたのは、2015年の夏。
自分のためだけにスパイスカレーをつくったことはありません。
東京に「かれーのいえ」というシェアハウスがありました。シェアハウスを立ち上げた4人のメンバーはそんな場を立ち上げて、カレーが食べたいのに、つくれない。
そこで、月1度、シェアハウスに遊びに行っては自分のカレーをつくってふるまうようになりました。これが、多くの人に「自分のカレー」を知ってもらうきっかけになりました。

いつしか、一平ちゃんカレーと呼ばれるように。
2015年12月6日。
東京で、初めて「一平ちゃんカレー」としてイベントを開きました。それまでに出会った農家さん達の野菜を使って、地域の人の声を代弁して話すような会。ツクリテさんを応援するために始めました。そのイベントは、80名くらいが集まってくれたんです。

まだ、カレーの人ではなかったときの話
きっかけは、2014年に、所属している会社の仕事で瀬戸に訪れたことから。
その会社の入り口になってくれたのが、牧さん。
いつも駅から会社までの送迎をしてくれたり、ごはんを一緒に食べたり。
その道中で、「瀬戸をもう少し盛り上げたい」という話を聞いたことをきっかけに、まず仕事ではなくて、瀬戸のことを知りたいと思い、仕事とは関係なく、休日を使って瀬戸へ行くように。
まずは友達と3人で行き、「どこ行ったらいい?」と牧さんに聞いて、訪れたのが「瀬戸本業窯」の雄介さん。
その出会いをきっかけに、今はゲストハウスとしてオープンした古民家の「ますきち」(↑写真)に泊まるようになりました。それから2週間後、今度はひとりで「せともの祭」にも行きました。
そこでたまたま「瀬戸はどんな町なんですか?」と声をかけたのが、銀座通り商店街にある「ナカイガラス製作所」のナカイさん。そのあとに「瀬戸まちづくり株式会社」の堀江まやちゃんや地域の人たちと繋がり、一緒にごはん食べ始めるようになりました。
そのときは、まだカレーやってないんです、全然。

サポートを頂けると大変喜びます! スパイスカレー研究部の活動にすべて充てますので、よろしくお願いいたします。