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これは冒険か、反抗か。それとも犯行か?

先日Youtubeにてとある動画に出会いました。どこだったのかはもう忘れてしまいましたが、私の世代ど真ん中の懐かしいものがたくさん紹介されている動画でした。

平成初期あたりのものが私にはより心に深く突き刺さります。けれども、今回ピックアップされていたほとんどは前々からX(旧Twitter)などで何度も見てきた光景で、懐かしいと感じてももう目新しいものはありませんでした。

例えばそれはスーパーファミコンやゲームボーイです。他にも昔よく食べていたホームランバーや、みんなで集めていたドラクエのバトルえんぴつなど見たことのあるものばかりです。あとはたまごっちもよく見かけます。

よくガチャガチャにあった謎の剣や、おもちゃのアクセサリーが付属していたお菓子もあります。図書室にたくさん並んでいた「こまったさん」「わかったさん」の料理本も人気だったようです。今回も大体そんなものだろうと思っていました。


ところが、その日は違ったのです。私の心を一瞬にして奪ったものがありました。それは初代プリクラ機の画像です。プリクラの方はまだ手元に残っているものがあるので、実際の完成したシール自体は今でもなじみがありました。

そう、これは「シール」ではなくて「プリクラ機」――つまりは、機械のほうとの思い出がぶわっと湧きだした瞬間だったのでした。

初代ではなく二代目のようです




小学生のころ、どうしてもプリクラが撮ってみたくて友達4人と親の言いつけを破ってゲームセンターに行ったことがありました。

当時ゲームセンターと言えば中高生のたまり場で、小学生が行こうものならカツアゲされるというのが周囲の認識でした。実際に近くの学校でそういった事件があったらしいとの噂が信憑性を増していました。

けれども、私たちはどうしてもプリクラが撮りたかったのです。親と行ってきて撮ってみたという友達が羨ましくてたまりませんでした。そして思いついた方法が4人という多めの人数で行くということでした。


「これだけいればたぶん大丈夫だよね?」
「うん、それに何枚も撮るわけじゃないし」

そんなことを話しつつ、ゲームセンターへと歩みを進めていきます。

「わ、本当にあった!」
「すごい!これがプリント倶楽部かー」
「どうやって撮るんだろう?」

初めて見たプリクラ機はちょっと背伸びが必要ではありましたが、私たちの憧れの気持ちを満たすのには十分でした。可愛いフレームを選び、画面のバランスに合わせて頬を寄せます。

「あとでみんなで分けようね」

顔を見合わせ、笑いあいつつゲームセンターをあとにしました。


週明けに学校に行くと、突然担任の先生に呼び出されました。その人数、実に7人。私たち以外にいた3人は、隣の機械で同じようにプリクラを撮っていた他のクラスの生徒でした。

「お前たち、土曜日にゲームセンターに行ったな?」

言い逃れできそうな雰囲気ではなかったので、みんなで黙って頷きます。なんでも同じ日にゲームセンターの近くを通りかかった保護者にばれていたようで、7人の中に近所に住んでいる子供が数人いたことから芋づる式に知られてしまったらしいのです。

「あーあ、運が悪い……これだけ流行っているんだから、私たち以外にもプリクラを撮りに行っている子たちは絶対いるのに」と私は思いました。

プリクラは没収こそされなかったものの、学校には持ってこないようにと言われました。もちろん、隠れて持って行って友達と交換していましたが。


その後プリクラの人気はさらに勢力を増し、他のメーカーの作った機種もどんどん出現することになりました。するとゲームセンターの外にもプリクラ機が置かれるようになりました。

子供の私たちにとっても撮りやすくなっていったのです。新機種ができたり、新しいバージョンになるたびに教室では話題になりました。

「ねえねえ、文房具屋さんの近くにある機種で撮ってみたんだけど」

「本家の方には実は隠しフレームがあって、コードを入力するとジャックフロストが出てくるらしいよ」

「セピアのプリクラが撮れる機種ができたって!」

そうなればもう学校としては何も言えなくなったのでしょう。教室でプリクラ交換をしていても注意されることはなくなりました。これは私たちの自由を求めた小さな冒険であり、大人たちへの少しの反抗でもありました。

その高揚感が、涙が出るほど懐かしかったのです。


大人になれば周りを見て自分の小ささを思い知ることになります。頑張っても限界があるんだと気付き、現実を見るようになります。そして地に足をつけて歩き始めることができるようになったころを思い出しました。

私は少しずつ大人になっていき、今は等身大の自分と共に一歩ずつ生きています。あのころに比べてなくしてしまったものもありますが、逆に手に入れたものもあります。それは様々なことを乗り越えてきたという経験に他なりません。

あのころの向こう見ずで「なんでもできる!」という根拠のない自信をなくしても、今は積み重ねてきたものが確実にあることを実感しています。それは少しずつ「自分はこのままでいいんだ」という、自分自身を認める心を得ようとしていることです。

やっぱり今の自分にしかできないこともたくさんあるんですよね。大人になった今しかできないこともあったりします。ただひとつ言えることは、これからの未来は私たちが決めていくことだということなのでしょう。


ここまで読んで下さってありがとうございました。




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