「ずっと」を使わない勇気
ずっと前から好きだっただとか、ずっと考えていたんだけどだとか、最近そういったことがなくなってきていることに気付きました。それは米津玄師さんの新曲である「Pale Blue」を初めて聴いたことがきっかけです。
この曲はリコカツというドラマの主題歌です。「ずっと、ずっと、ずっと……」という歌い出しの曲なのですが、冒頭のようなことを思いつくきっかけになりました。
最近私は熟成下書きというタグがやりたくて、記事をいくつかストックしては推敲しています。この溜めている感覚はこの言葉の意味に近いような気がしています。
ずっとというのは、長い間心の中に留めたまま熟成していった末に発生する表現ではないかと思うのです。逆に言えば、心に浮かんですぐに相手に伝えたりとアウトプットできる言葉だったのなら、熟成することはありません。
それが私の今の状態につながっています。すぐに書けるnoteという場所があるので表現したいときに困らなくなったんです。
けれども、ずっとという言葉の重みや切実に心を打つ感じの文章が書けたらとも思います。
もちろん、私自身も心の中に長い間しまってある感情があります。そしてこれは表現しないで私だけのものにしていこうとも思っています。そういったものがないと、自分をネット上に全てさらけ出してしまうことになります。
プライバシー的なこともありますが、どちらかというと私にとってそれは秘密を守りたいという気持ちに近いです。それくらいに大切だからです。
これを読んでいるみなさんにもそういったものがあるのではないかと思います。
ずっとというのは特別な言葉だと感じます。現在はネット上で自分の考えていることを表現することができます。けれども本来は限られた人にしか打ち明けない話ではないでしょうか。
私自身のことを言うのなら、お礼を言いたかった人ときちんと謝りたかった人というのが存在します。どちらももうきっと会えないし、話せないだろうと感じている人達です。それこそ「ずっと」心の中にわだかまり続けている後悔の念です。
何年も何年も降り積もり、なかなかなくなってくれません。他の人にはしないようにすればいいとの助言の通りにしても、何も変わらないのです。
ずっと好きだったとは伝えられたのですが、どうして好きだということよりももっと基本である言葉を言えなかったのだろうと思います。
今でもじくじく痛む思い出です。
そんな中救われたのが、弟による「あのときのことをずっと悪いと思っていた」という言葉です。この人は長い間心の中に私への思いを浮かべてくれていたのだと思いました。
「ずっと感謝していた」という言葉をくれた人もいました。そして私をかつていじめていた人による、「ずっと謝りたいと思っていた」という言葉もありました。
もしかしたら、ずっとという表現を使った言葉を相手に伝えることができる人は幸せなのかもしれないとも感じます。
私にはもうこの先与えられることはないでしょう。何故なら、実際にはあったのにもかかわらずタイミングを逃してしまったからです。恥ずかしいからだとかつい忘れてしまっただとか、勇気が出なかっただとか。人によって違った理由があると思います。
本当はその場で伝えるほうがいいのだと感じます。何故ならそのタイミングを逃してしまったとき、時間が経っても切り出すことができるのかという大きな問題があるからです。おそらく難しくなってきてしまうと思います。
今はLINE、メール、通話といろんなツールがありますが、直接気持ちを伝えられるようなタイミングというのはなかなか巡ってきません。
ここまで読んで下さってありがとうございました。
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