ベストセラー本『ぼくのじしんえにっき』著者による絶版本『ふうせんの日』が衝撃の内容だった
小学生の課題図書に選出されたことがある『ぼくのじしんえにっき』という絵本をご存じだろうか。初版は1989年だが、2023年に新装版が復刊し、今夏の推薦図書に指定している県もある。
大地震が起こった後の街の様子、災害でむき出しになる大人たちの人間性を、子どもの視点でえぐるように描写する同著。大きなテーマを扱いながら、小さな生活習慣で家族がもめる様子や、正しさを振りかざして争う人間関係が生々しく、「災害が頻発する国で、私たちはどう生きるか?」というテーマまで考えさせられる。
この本の作者「八起正道」氏は、秀でた描写力・構成力を持ちながら、インターネット通販で検索すると過去作が、たったの2冊しか出てこない。
『ぼくのじしんえにっき』と、もう1冊は『ふうせんの日』という本だが、現在すでに絶版となっている。
最近、『ふうせんの日』を読む機会があったのだが、児童文学のカテゴリを超越した戦慄の内容だった。
そしてタイトルの意味を知ったとき、背筋が凍るような感覚に陥った。
発行は1992年。まず、出版時期を覚えておいて欲しい。
あらすじは、こんな感じだ。
登場人物たちの名前が『ぼくとじしんえにっき』とかぶっているので、まるでパラレルワールドのようで、余計に恐ろしい。
繰り返すが、この物語が書かれたのは、1992年だ。
原発についてここまでの描写をしていた児童文学は、たぶん後にも先にもないのではないだろうか。
この物語の前半、主人公の男の子は、大人たちの会話を耳にする場面がある。
この場面で不穏なフラグがたち、後半のカタストロフィにつながっていく。
繰り広げられたのは、こんな会話だ。
原発産業には、優秀な人材が必要不可欠だ。しかし、原発産業が過疎産業となったことで、人が集まらなくなったのは、現場の人たちに、先端産業を担っているという誇りと自信がなくなってしまったからだ、と登場人物は語る。
採用難・人材難によって老朽化したシステムを安全に稼働できなくなり、大きな事故につながるのではないか、と登場人物が警鐘を鳴らし、後半でその警鐘が現実となる恐ろしい展開が待ち受ける。
この作者は、児童書と銘打って簡単な言葉を使って破局的な状況を描く。本当は、大人世代の読者に向けても書いていたのではないだろうか。当時、大人の文学でここまで書くことは相当難しかったのではないか、と邪推すらしてしまう。
また、1992年発行の同著の中では、作者は原子炉の老朽化問題に強い警鐘を鳴らしていた。しかし、2023年、GX(グリーントランスフォーメーション)にかこつけて、運転期間は60年超まで引き延ばされている。
過去からの作者の警鐘メッセージを受け取ったあとだと、今後の行く末が恐ろしくなる。
それにしても、30年以上前に地震と原発にまつわる児童文学を世に送り出していた作者は、『ふうせんの日』以降、「八起正道」の名では、本を書いていないようだ。別の名前であっても、何かの文章を書いていてほしいと願わずにいられない。
【参考図書】
『ふうせんの日』著者:八起正道(ほるぷ出版)