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「喪失と再生、希望と夢を胸に…~『石を抱くエイリアン』~」【YA58】

『石を抱くエイリアン』 濱野 京子 著 (偕成社)
                                                                                                 2017.4.02読了
 
 
 2011年3月、八乙女市子(やおとめ いちこ)は中学校を卒業します。
 
茨城県に住む市子は中学最後の文化祭で、受験生だから無理にやらなくてもいいのにグループの一員でもある高浜偉生(たかはま よしお)が理系人間ということもあり、仲のいいグループで原子力発電のことを調べて展示することにしました。
 
グループ内には、叔父さんが原発に勤務していることもありその安全性に絶大な信頼を置いている松浦沙耶がいますが、みんなで話し合って安全と危険性の両方について他のクラスメートにも知ってもらおうと企画したのでした。
 
偉生は特に、宇宙から帰還したばかりの“はやぶさ”におおいに興味を示し、市子とともに展示会にまで行くほどの理系オタクです。
しかし偉生が本当に好きなのは、鉱物。
将来は日本一の鉱物学者になりたいと、恥ずかしげもなく豪語します。

そんな偉生が市子に突然告白をしました。
 
市子は「なぜ?」「なんで私??」と、偉生にはほとんど男性として惹かれるわけではないし、それまでそういう雰囲気になったこともないし、告白されてもどうしていいかわからないのです。

しかし悪いやつではないし、好きな鉱物の話をしているときは話の中身はさほど興味がわかないけれど、一生懸命に話す彼には好感が持てなくもない、くらいの感情でした。
 
そんな中学3年の日々が過ぎていき、卒業式のあとにみんなで集まろうと発案した偉生が3月11日以降、行方がわからなくなってしまいました。
 
偉生は春休みに、福島の海岸近くにある親戚の家に遊びに行ってくると市子に言い残していました。
 
大きな地震直後、偉生のことを思い出すことさえしなかった市子は、突然の喪失感と後悔に悩まされますが…。
 


作者は原発のことをかなり勉強されたのだなという感じはします。
現地から遠く離れていて、怖いけれどいまひとつ原発の存在を身近に感じていない私にとっては、なるほど…と、基本的なことを知らされた思いはしました。
しかしいまだ原発については賛否両論あるわけで、この物語の中の説明で十分なのかはよくわかりません。
でもきっと、作者の思いはここにあるのだなということでしょうか。
 
現在原発についての考え方が以前とは変わってきているような気がします。
エネルギー不足や環境問題で注目を再び浴びているからだと思いますが、一方で廃炉となった施設をどうするのか、処理水の安全性や使用済み燃料の今後など多くの問題も残っており、まだまだ積極的に議論すべきではと思われます。
再生可能エネルギーについても、日本では技術や開発が遅れているような気もします。
 
 
日常が非日常に、一瞬で変わる世界。
それは、誰にでも起こりうるのです。
あの時のつらい体験をした当事者には、おそらく思い出したくないことも抉り出されるかもしれませんので、強くお勧めすることはありません。
個人的にそれを痛感している身として、この物語はいまだ非日常を体験していない幸せなティーンズに、疑似体験してもらうためには良い題材かもしれないと思っています。
 


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