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不信感

表面上、静かな生活が少しの間続いたが、たった1つの出来事から急速に崩れていった。

ある日、預けられ先のお父さんの電話の声を聞いてしまった。
それは、明らかに借金取立てをしているヤクザそのものでした。
勝手に自分の中で優しくて普通の夫婦の家に預けられたんだと思い込んでいた自分が悪いんだけど、なんとなく裏切られたような、いくら、いつも通りの接し方をされても、何もかも信じられない気持ちになっていった。

モヤモヤした気持ちを抱えたまま連絡を絶っていた友達に電話すると、新たな事実がわかった。
急にあたしから離れていった人達はみんな、ヤクザお父さんから脅されて離れたって事。
監禁ヤクザが逮捕されたのもヤクザお父さん絡みだった事。
実家には借金が多くあり、いずれ、あたしをヤクザお父さんの養女にする約束が内緒でされてた事など。

今となれば、大人も色々な事情があったんだしと理解出来るが、当時14歳のあたしには、騙されたような大人は誰も信じられなような反感の気持ちしかもてなかった。

それからはまた、荒れた生活に戻り、預けられた家もなんど連れ戻されても隙をみては抜け出しの生活になった。
何度も警察のお世話になり、ヤクザお父さんにも迷惑をかけてしまったけど、反発心しかその時はなかった。
一瞬考えた高校進学も、それ以降、思ったこともなく、1日も早く卒業して自立する事、そして、早く子供を産んであたしの本当の家族を作る事だけを目標にして生きる。

結局、卒業と同時に、ヤクザお父さんに決別を宣言し、行くあてもないまま家を出た。
昼間は飲食店、夜は歳を偽り、飲み屋で働きながら、アパートを借りれるだけのお金が貯まるまで、知り合いの家を転々としたり、時には地下道で寝たりもした。

ようやくアパートの契約が出来た時は、帰る場所が出来る事に心から感謝した。
この頃に少しずつ実家の母と連絡を取り合うようになったけど、必ずお金を貸してくれと言う内容だった。
それまで寂しいと実感したことはないけど、心のどこかで母親との繋がりを求めていたのかなぁって思う時がある。
お金を用意して欲しいって言われれば、何をしてでも用意しないと!って必死になったから。

結局、お金の要求はどんどんエスカレートしていき、あたしは借金地獄に陥っていた。
よく、昔の苦労とか困難も時が経てば笑い話になる見たいな事聞くけど、今こうやって思い出しながら書いてても当時の絶望感や苦しみがいとも簡単に蘇ってくる。
あたしには、まだまだ笑い話には出来そうにないです。

この後も、嘘みたいな出来事が続いていくんだし…

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