絵画において、色や形態の量・数・位置を自由に移動・増減し、これ以上動かすことのできない全体としてまとめ上げることでをコンポジションという。 その前提として自我の存在がある。作品の姿は、作者の中に既にあり、それ故に飽くなきコンポジションの果てには必ず真理に到達するという信念である。 戦後、コンポジションの概念は批判されるが、現代美術の根底に常に自我の存在を認めることに変わりはない。 かたや「書」における空間とはどのようなものか。 「書」とは文字を書くことで成立する。 当た
明治から大正初期に配布された現在のチラシにあたるのが引札。 引札は美しい。 美しいが故に長い時に耐えて残され、現代の我々の目を引き付けてやまない。 もっと昔、庶民が何を考えていたのか、どういう思いで暮らしていたか、世相がどうだったのか。 そういうのを探るのに広告は都合がいい。 人々が欲しいもの、欲望を映す。 その広告が出た当時、こういう思いをしていたのかと、時代を思い巡らし想像する。
文字の優先性ロゴタイプについて語る前にデザインにおける文字の役割について確認しておくことは無駄ではない。 もちろんその中にはロゴタイプもふくまれている。 デザインを成立させる造形上の要素は基本的には二つしかない。 一つは写真・イラストレーション等を含んだ意味でのイラストレーション。他の一つは、文字つまりタイポグラフィである。 イラストレーションはイメージを伝える役目を、そしてタイポグラフィはメッセージを伝える役目を果たすことで、魅力的で、説得力のある表現が完成する。 サ
細長い物体を垂直に立てる。それらの多くは自立しない。立つことはできても、その状態を長く保つことはできない。自立できないものをいかにして、垂直に立て、安定させるか。 垂直に立てようとはしているが、そのことに格別な意味はない。そもそも垂直に立てることは目的ではない。それが水平であっても、また、それ以外でも、なんら支障はない。これまで同様に制作の都度、選択すればよいことである。しかし、その選択がなければ、何事も始まらない。 それは、目的ではないが、制作の動機ではある。 垂直に立
一本の枝を二つに割る。 それぞれ向きを変える。 次に同じような枝を四つに割る。 やはり、それぞれの向きを変える。 いずれの場合も頂点を結ぶと正方形になる。 それがどうしたと言われても困るし、 くだらないと言われれば二の句はない。 美術家の心の中に美を創り出せる力が秘められていると、疑いもなく信じることのできた時代もあった。 人が自然を無制限に、あるいは反省もなく利用することが傲慢や思いあがりとは思わずにすむ幸せな時代でもあった。 そして今、我々の時代の何人かは個人性の
行為はどこまで減ずることが可能だろうか。 思いを込める量と結果が比例するとは限らない。 二つの枝を手に取り、糸でくくる。 それでも、いつの日にか、 手に取った枝をそのまま自信をもって、 そのまま提示してみたい。 俳句同人誌 景象(No.35) 表紙のことばより
二物体間の万有引力は弾力の積に比例する 均衡する弾力と重力は交叉する 磁場は収束に反応する 石を支える枝を支える円 表面の体積は側面となる 引力は三角点に着地する 交叉は直立する 直列する重心と支点は直交する 従属は螺旋を穿孔する 引力は落下を支える 等分は分割され順列となる 集積回路は交錯する 等分は並列する 1/2+1/4+1/8+1/16+1/32+1/32=1 円柱と四角柱は常に等しい 等分に分散する方形に集中する 散じて円となる
飯田線は豊橋駅と辰野の駅を結んでいる。 全JR路線中、収支ワースト三位という試算もある超ローカル線である。 駅数は起終点駅を含めて九十四。本誌「そう」が取材対象とする豊橋から天龍村間に限ると四十四駅。 その内、有人駅はたった七駅。無人駅は現在三十七駅に及ぶ。 開業時からの無人駅は、辰野方面から為栗、鶯巣、向市場、相月、早瀬、上市場、出馬、池場、柿平、江島の十駅を数える。 これらの駅はその後の過疎などではなく、もともと住民が少なく、その後の人口増も見込めず、駅員配置の経費を
ホームの駅案内標の書体が目に入った。 漢字と欧文が豊橋出身の故林隆夫らによるサイン書体「JNR-L 1」である。 最近、私のJRの利用は殆どが新幹線に限られるため、駅案内標に使用されている書体は、ほぼ「ゴナ」や、「新ゴ」が使われていると思い込んでいた。 JNR-L 1 飯田線で見た「JNR-L 1」は、昭和五十五年ごろに、タイプディレクターに石川忠・佐野稔・林陸夫、デザイナー小芦重行によりデザインされたサイン用書体「サインGB」が、国鉄採用時に角を丸くリデザインされ、東
季刊誌「そう」56号(2017年9月10日発行) 文: 味岡伸太郎 私は平成十二年に東栄町古戸の花祭りを取材し「神々の里の形」を上梓した。この本の主題は祭りを彩る様々な形の美しさだった。 「美」を求める人間の本能 花祭りの祭場は、「切り草」と呼ばれる色とりどりの和紙の切り紙で飾り立てられている。私の関心は、その「切り草」の美しさから始まったが、次第に、色や形という直接的なものだけでなく、祭りには総合的な「美」の存在が不可欠なのだと思うようになった。 つまり、祭りに「美」
私が演出と舞台衣装を担当した「神座」という舞踏がある。 この「神座」は、その頃、形が生み出される原理を学ぶために続けていた「折紙」による習作が元となっている。 それは、四角い紙を無造作に潰したものをプレスし、台紙に定着させるというものである。元は黒い紙を使用したが、その内に、表裏で色の異なる紙を潰しだした。その結果を見ていると、歌舞伎の「暫」の一場面に見えてきた。 そこから、布で正方形の袋を作り、それを衣装として、その中にダンサーが入って舞うという舞踏を思いついた
「面白さ」をことさら求めるのは面白くない。しかし、結果として造形的な面白さがなくては「美術」とは言えない。と常々思っている。 分岐を立方体の内側に持つ12の線分 そこで「一本の枝から枝分かれする細い枝を12本切り取る。 そして、切り取った部分から、それぞれ25センチメートルを残して再び切り取る。 25センチメートルの理由は、それぞれの枝に、枝分かれが必ず一つ残るように切るためである。 その枝を、立方体が形づくられるように順に両端を縛っていく。枝分かれは必ず、立方体の内側に
2012年、正月早々、「現代美術展 in とよはし」の準備に追われていた。 会場の豊橋市美術博物館が建つ、吉田城趾(豊橋公園)の一画には、その歴史を物語る石が多数残る。あるものは石垣の一部、兵舎の門扉と想像できる切石がある。どこで使われたのか蹲や、2頭のライオン像まである。それらを美術館の前庭から裏庭まで約100m、館の中心を貫き、一直線に並べようというプランの作品だ。 芸術は自己表現である。そこで問われるのは独自性であり、個人性である。自ら加工した石はかけらもない。そ
1978年制作の作品である。28歳、35年も前の制作だ。 別々に書いた、約60cm正方のパネル12枚を構成したもの。 長い間、バラバラで保存していたが、豊橋市美術博物館に収蔵されることになり、額装していただいた。美術を意識して制作しだした最初の作品である。 「美術に係わることでデザインが大衆に迎合しない。デザインに係わることで美術が社会との接点を見失わずにすむ。美術とデザインの斜面が造る山の稜線上を歩け。どちらへ足をとられても谷に落ちる」今もデザインと美術、二足の草鞋を
明朝体考明朝体には特別な思いを抱いてきた 印刷物のデザインを通して、グラフィックデザインはコミュニケーションの手伝いをする。伝えなければならないメッセージは文字を使うことになる。文字とどのように関わるかは、デザイナーとしての生き方そのものである。 私は、本文用はもちろんだが、特に見出し用の明朝体には特別な思いを抱いてきた。古い活字の時代の性質を生かした新しい見出し明朝体制作の歩みは、私のデザインの歩みとも重なる。 1975年、郷土の写真家山本宏務氏の「奥三河のまつ
2010-07-14 このところ地方出版の現状についての取材が多い。 昨日も電話も含めて二つの取材を受けた。つい先日も、関西の新聞に私たちの出版社のことが掲載されているとの連絡を受けた。地方出版はどうやら、旬の話題のようだ。 ベストセラーの本で取材を受けたいものだが、残念ながら、頑張っている地方出版の取材か、地方出版の危機についての取材ばかり。地方出版の本は売れないが、地方出版の身を削る頑張りと、明日をも知れぬ危機は売れるようである。 なぜ、地方出版なのか 共通す