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一つの二股を持つ円柱の2等分

一本の枝を二つに割る。
それぞれ向きを変える。
次に同じような枝を四つに割る。
やはり、それぞれの向きを変える。

いずれの場合も頂点を結ぶと正方形になる。

それがどうしたと言われても困るし、
くだらないと言われれば二の句はない。

美術家の心の中に美を創り出せる力が秘められていると、疑いもなく信じることのできた時代もあった。
人が自然を無制限に、あるいは反省もなく利用することが傲慢や思いあがりとは思わずにすむ幸せな時代でもあった。

そして今、我々の時代の何人かは個人性の主張が美を創り出すことができるという考えに異議を唱え出している。
美は創り出すのではなく、すでに自然の中に用意されており、我々はそれに出会うだけでしかない事に気付き出している。
しかし、残念ながらまだ仲間は多くはない。

枝の断面の円が、私のわずかな行為で正方形に変わる。
その上、その枝が一つの枝分かれを持っていたならば、他の何物の介入も必要とせず、過不足なしに、二つに分かれた枝を結びつける方法を示唆している。
まさしく、自然の配慮が行為を美術ならしめている。

この事は私にとっては勿論、美術にとっても意味のあることだろう。


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