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【味明】味岡伸太郎 見出し明朝体

明朝体考

明朝体には特別な思いを抱いてきた

 印刷物のデザインを通して、グラフィックデザインはコミュニケーションの手伝いをする。伝えなければならないメッセージは文字を使うことになる。文字とどのように関わるかは、デザイナーとしての生き方そのものである。

 私は、本文用はもちろんだが、特に見出し用の明朝体には特別な思いを抱いてきた。古い活字の時代の性質を生かした新しい見出し明朝体制作の歩みは、私のデザインの歩みとも重なる。

 1975年、郷土の写真家山本宏務氏の「奥三河のまつり1 黒沢田楽」で、初めて写真集のデザインをした。タイトルは活字の初号明朝とした。
 写真植字が普及しだした頃だが、当時の写植の特太明朝体は見出しに使用するには弱く、初号活字の無骨だが、力強く、直線的な魅力には到底及ばない。

 愛知県豊橋市という東京と比ぶべくもない田舎町では、デザインのために活字の清刷りをする習慣はなく、近くの活版印刷所に無理をいって、印刷の合間に必要な漢字の清刷りを作っていただいていた。

 杉浦康平氏が「季刊銀花」の表紙で、「秀英」初号明朝を使っていたのも、その頃だと思う。その頃の私はデザイン修行時代(この時代は「学ぶ」よりもこの言葉がふさわしかったと思う)で、地元の百貨店の新聞広告を制作していた。務めていたスタジオが購読していた百貨店の新聞広告集成で紹介されていた広告の見出しの多くには初号活字が使用され、仮名は写研の「かな民友明朝」や現在の「游築初号かな」に近いものだった。それが使いたかった。

 しかし、漢字は近いものが手配できたが、仮名は入手できず、桑山弥三郎氏の「レタリングデザイン」(グラフィック社)で「新宿活字」と紹介されていたものを複写し、タイトルを作った。

活字の見本帳を手作りした

 情報も少なく、すべてを独学で学ぶしかなかった。デザイナーになるなら東京が当たり前の時代に、地方で過ごしてしまったため、おそらく、そうとう遠回りしてしまった。まだタイポグラフィという言葉は定着せず、日本タイポグラフィ年鑑も、日本レタリング年鑑として発行されたばかりの頃だった。

 そんな時代だから、私の住む街には書体(活字)の見本帳などどこにもなく、ひまがあれば古本屋に通い、好きな仮名を見つけては、切り貼りして、五十音順に並べ、手作りの見本帳を作った。

 それは今も貴重な資料となり、今回、発表する「味明」の仮名の復刻の多くはそれを参考にしている。古本屋さんで漢和字典を見つければ、必ず入手した。そこにはポイントの違う幾つもの書体が揃って載っている。その上、奥付を見ればその時期や出版社も分かる。この上ない参考書である。
 今回の出版にあたり、旧知の祖父江慎氏と話す機会があったが、彼も同じ趣味を持っているようで、話にあわせて幾つもの古い漢和字典が現れた。

いつかは自分のために明朝体を作る

 数年後、再び山本氏の「【新城】村芝居探訪記」の装幀では、明朝体のタイトルを手書きした。当時としては精一杯の明朝体だが、今みると、まだまだ未熟さが残る。この写真集は「日本の写真集百冊」に選ばれた。装幀も少しは役にたったのだろう。
 その後、仮名書体「小町・良寛」を発表するのだが、その頃には、文字を書くことは日常のことになり、ポスターのタイトル、あるいは名刺の人名なども写植の明朝体が納得できず手書きした。いつしか、私のデザインは必要な文字を書くことから始まるようになった。
 そして、いつかは、自分のための見出し明朝を作ろうと思い続けてきた。その切っ掛けが、写真集「百人百景」だった。

 天地30cmの正方形の扉に一頁一人、大きく氏名をレイアウトしたいと考えたが、やはり、既製の書体に満足するものがなく、自ら書くことを決断する。
 しかし、文字数も圧倒的に多い。一人4文字として、400。重複もあるが、書き直しもあるから、一日10文字として、40日かかる計算になる。それ以上に、400もの明朝体の漢字をまとめて書くことが初めてなのだ。我ながら大変なことを始めてしまったが、それが見出し明朝体に結びついた。おそらく、この400字がなければ「味明」の制作は夢で終わっただろう。

自らが使う書体は自ら制作した

 「百人百景」の人物紹介を執筆した俳人星野昌彦氏は、その後、毎年一冊、句集を発行するようになる。それらをデザインする度に、必要な字種を書いた。

 私が花を生け、星野氏が句を詠み、宮田明里氏が撮影した「花頌抄」や「百人百景」では、タイトルや目次には「味明」、本文には「弘道軒」の仮名と、味岡伸太郎かなシリーズで組み合わせることを想定した「本明朝」の漢字を使った。

 「小町・良寛」以来、私は自らのグラフィックデザインに使う書体のすべてを自ら関わった書体でデザインしてきた。

 「味明」の漢字は、偏ごとに一覧表を作成。無い字種は、偏や旁を組み合わせ、次第に文字は増えていった。10~13頁の図版で使用した「味明」の多くはまだフォント化される以前で、一文字づつ一覧表から選び出して使用したものである。
 まだJISの第二水準を満たすまでにはいたらないが、通常の使用では不足しない文字数が完成した。ここらで一区切りして発表することにした。


味明考

新しい初号明朝体「味明」
縦画は太く、まっすぐに垂直に
さらに新しい見出し明朝体「味明モダン」
筆押さえは不可欠なエレメント

新しい初号明朝体「味明」

 私は、活字の匂いはするが、たとえば「秀英」とか、たとえば「築地」の復刻とは違う、新しい見出し明朝体がほしかった。

 それは、具体的にはどのような明朝体かといえば、欧文フォントの「ボドニ」のように、縦画がくっきりと太く、垂直でまっすぐ、横画は細く水平で、エレメントはしっかりと強く。漢字の画数の差が大きいため、黒味調整は避けられないが、大きなサイズで使用してもその錯視修整を目立たせない。ふところは絞り、縦長、横長、小さく見える文字ができてもかまわず、それぞれの文字の外形はその文字固有の形状とする。

 個々の文字の字画の配置は均等にせず、一文字の中で密度の差があってもかまわない。それよりも文字の勢い、強さを重視する。エレメントは可能な限り統一しながら、古くからの筆押さえ(ひげ)など、近年の明朝体では省略されがちなエレメントは逆に強調する。そんな明朝体である。

 それは初号明朝体を目指したとはいいながら、結果的には、活字時代の明朝体とはまったく違う新しい明朝体でもある。そして、その漢字に合わせた十種の仮名は、平安時代から現代に続く仮名の伝統を踏まえた骨格を選んでみた。
 制作文字数は「JISの第一水準(内、漢字2965)+α」(合計漢字3637)と、当面は考えている。少ないと思われる方もおられるだろうが、書体制作のモットーは「自らが使える書体を、自らが制作すること」。そのためJISの「第一水準+α」があれば、当面困らない。さらに、必要な文字があるのならば素材(エレメント)はすべてその中にある。アウトラインを作って作字すればよい。経験上、それが不可能な文字数ではない。

 私は、文字だけは、人任せにはできず、すべて一人で書いている。そのため、ここまで字種を増やすのに、大変な時間をかけてしまった。その時間を惜しんではいないが、すべての時間を、文字の制作だけに使うこともできない。そのため、これ以上の字種を作るとなると、完成がいつになるのか、未完成で終わる可能性もある。

縦画は太く、まっすぐに垂直に

 これまでの明朝体の縦画は、左右に反りがある。中心部を細く、上部は打ち込みがあるため、下部はより太くデザインされている。多くの明朝体で縦画の途中で横線が交わると、その部分に黒味が生じ、この錯視は印刷されると増長されるため、さらにその部分は細く処理されていた。

 しかし「味明」は、かなり大きく使うことを想定している、その方法では使用時に錯視修整は目に見えてしまう。最近の印刷のデジタル化で、再現度が格段に上がり、文字の劣化も少なくなったため、画数によって発生する黒味調整以外の錯視修整は殆どしていない。横画はすべて同じ太さにしたため、黒味調節はもっぱら縦画によるが、思い切った太さの差をつけることで解決した。

 一部の字画の組み合わせでは、縦画を斜めにしなければ、本来垂直でありたい縦画が傾いて見えるという錯視も現れるが、それらも字画の配置やエレメントを調整することで、縦画そのものは極力垂直にして、よりシャープでモダンな明朝体を心掛けた。

 縦画とのコントラストが強調されるように、横画は可能な限り細く、先端の打ち込みをやや太くするだけで、それも目立たないように、ほとんど直線で、水平に処理し、すべての太さは同一である。ウロコは大きくしっかり打つことを心掛けた。

よりエレガントな味明モダン

 「味明」のエレメントをさらにシャープにしたのが「味明モダン(Modern)」である。欧文書体に「オールドローマン」と「モダンローマン」があるように、二種の明朝体をデザインした。

 実はこの言葉には矛盾がある。もともと「味明」はモダンローマンの「ボドニ」を意識して作ったものだが、それをさらに意識して「味明モダン」を作ってみた。縦画の位置、太さは全く同じである。撥ね、払いの終筆のエレメントも変わらない。違うのは縦画の始筆終筆のエレメントの天地を縮めシャープにしたこと。横画を細く、太さに変化のない線とし、始筆も垂直にカットしている。この処理は「ボドニ」と同じである。終筆のウロコも同様にシャープにした。

 これまでも、言葉だけならば同じようなタイプの見出し明朝は制作されている。しかし、その骨格はもちろん、エレメントもモダンさを求めるあまり、ギスギスする嫌いがあり、私には使うことができなかった。太さ故に黒味の修整に無理、未熟なものも多い。

 しかし、「味明」「味明モダン」ともに、これまでの見出し明朝の中でも、かなりウエイトのある書体だが、柔らかさや優しさを失わず品よく仕上がったと自負している。また、太いにも関わらず、かなりの小ポイントまで潰れずに使用できる。

筆押さえは不可欠なエレメント

 常用漢字では、筆押さえなどの形状に加え、点画が付くか離れるかや長短などという細かな差異を「デザイン差」と呼び、統一する必要のない「差」として、統一を強制していないし、JISでもそれに従うとしていた。
 しかし、JIS X 0213:2004の例示字体の変更により、事実上、統一が強制されるようになってしまった。今後、教育やタイプフェイスの開発の現場では、右にならえの風調が強まっていくだろう。すでに、最近の明朝体では、筆押さえは省略されることが増えている。

味明の筆押さえ

 しかし、「味明」では、筆押さえは明朝体の形を整えるについて不可欠のエレメントとして、むしろ従来よりも増やしている。明朝体のエレメントでは、左右の払いが交差するときは、右払いの起筆が、左払いのそれに比してどうしても弱くなる。それを調整したのが起筆の筆押さえである。それを字形の違いとしてなくしてしまうと、形がとてもまとまりにくく、貧弱なものになる。
 よりシャープにエレメントをデザインした「味明モダン」でも、筆押さえは減らすことなく採用した。

味明モダンの筆押さえ

仮名考

「味明」には10種の仮名

 当然、漢字だけでは文章は組めない。「小町・良寛」を始めとした味岡伸太郎かなシリーズでは五種類の仮名を制作した。今回の「味明」には、それを、さらに増やし、筆記体に近いものから、活字の復刻やモダンな仮名まで、10種の仮名をセットした。

10種の骨格に10種のウェイト

 味岡伸太郎のかな書体10種に、それぞれ10種のウエイト、100種のファミリー完成。これだけのバリエーションが揃えば、すべてのテキストを満足させ、すべての明朝体と組み合わせることが可能です。日本語組版に、これまで以上に豊かな可能性が広がります。

味かな10×10組見本

ひらがなによって組版の表情は決まる


 日本のタイプフェイスデザイナーは、漢字・ひらがな・カタカナに加えて、アルファベットまでデザインしなくてはならない。欧米ではアルファベットだけデザインすればよいのである。

 博文館8ポイント明朝体活字の種字を作り、精興社の活字を完成させ、東京日日・朝日・読売の各新聞社や三省堂などの活字制作を手がけた君塚樹石の言葉として「仮名を書くのはむずかしいが、漢字仮名交じり文において仮名のしめる部分が多くなっている。そこで多く使用されるひらがなの肉付き、ふところなど、ひらがなのスタイルをまず確定し、それを基本にすると漢字のスタイルはおのずからきまってくる。つまり漢字仮名交じり文の場合、ひらがなのスタイルによって、そこに表現される感じはがらりとかわるほど、仮名の影響は強い。」とある。

 活字の種字彫刻時代には、漢字とは別に、特に優れた彫師に依頼して仮名を制作し、組み合わせて使用することは珍しいことではなかったという。
 漢字は、字数も多く、ある程度の分業も可能であるが、仮名には、特に優れたデザイナーが求められた。


「草」

 平安時代中期には、三蹟と呼ばれる、小野道風、藤原佐理、藤原行成が輩出され、現代にまで影響を与え続ける、かな書道の黄金時代を迎えた。
ひらがな、カタカナは、漢字をそのまま使用した万葉がなの草体化や字画が省略されて生れ、万葉がなの草(書)体は「草の仮名」と呼ばれた。

 「草」は、かな書道完成期の書体を、いわゆる明朝体風のエレメントではなく、筆文字の風合を残したまま仕上げてみたもの。「草の仮名」から「草」の名とした。

様式化が進んだと思われがちな明朝体だが、そのエレメントは意外と筆文字と大きく離れてはいない。逆に、活字化(様式化)された活字楷書体の仮名と明朝体の漢字の方が違和感が大きい。それは、組版してみればわかるだろう。


「行」

 藤原行成は、三蹟の一人として和様書道の確立に貢献し、平安時代の仮名書の完成者とされている。行成を祖とする世尊寺流(青蓮院流・粟田流・御家流)から数多くの書流が分派している。
 江戸幕府が公用書体に御家流を採用し、また寺子屋でも御家流を教えるようになったことから、江戸時代の書流はほぼ御家流一系となり庶民にも広まった。歌舞伎の勘亭流や寄席文字などもこの書流から派生した。明治時代になると、築地活版の書体にも影響を与え、日本の書風の原点ともいえる骨格を持つ。

 1984年に行成の書風を味岡伸太郎かなシリーズの一つとして発表していたが、今回、新たに「行」として、「味明」に合わせて、30年ぶりにリデザインした。


「良」

 江戸時代後期の禅僧「良寛」は、唐の「懐素」や「小野道風」の「秋萩帖」などから学び、あたたかく、人間味あふれる自由奔放な独自の墨跡を数多く残した。その評価は現在も高い評価を受けている。写植用仮名書体「良寛」は、その墨跡から骨格を求めたもので、独創的でありながら、仮名本来の伝統的な形を持っている。

 しかし、現在使われているひらがな・カタカナの字体の全てが良寛の遺墨で見つかるわけではなく、字体が異なる、いわゆる変体仮名とされる字体も使われている。それらは、良寛の他の字体を参考にして創作したものである。
今回発表の「良」は、「良寛」を「味明」に合わせて、30年ぶりにリデザインした。


「築」「築C」

後の東京築地活版製造所で作られた活字書体を「築地体」と呼んでいる。秀英舎の「秀英体」と並ぶ活字時代を代表する二大活字潮流の一つである。
 築地活版製造所は歴史の中に消えていったが、その影響は現代のタイプフェイスにも大きな影響を与えている。その築地体から二つの骨格を選んだ。

一つは「築」と今回名づけたもの。写植時代の写研の「OKL」やモリサワにも同様な書体があり、その後も度々復刻が試みられている。


残る一つ「築C」は、さらに古い築地体の骨格を持つ当時の活版印刷物から採字したものから復刻した。「C」は「Classic」の略。築

築C

「民」

 桑山弥三郎氏の「レタリングデザイン(初版1969年)」では、初号活字〈新宿活字〉と紹介されている。その中では「現在活字として売られている書体のなかで最もデザイナーに人気があり、新聞・雑誌広告の他パンフレットなどのタイトルに好んで使われている。この書体にはほとんど同一に見えるたくさんの似たものがある。」と記している。
 そして、佐藤敬之輔氏の「ひらがな上」では、特太みんちょう体見出し用初号、錦精社となっている。写研では、民友明朝の名で発表され、「築地活版の初号活字の系譜である民友社初号活字を写植化した」と説明されていた。
 「民」は、主に新宿活字と呼ばれたものを元に復刻した。


「秀」「秀L」「秀V」

 「築地体」と並ぶもう一つが秀英舎の「秀英体」である。秀英舎は後に大日本印刷となる。「秀英体」からは、三種類の骨格を選んだ。

 「秀」は川村●(金偏に良)太郎設計の太みんちょう体・見出し用初号から。


「秀L」は講談社の大字典の索引に使用されていた(印刷・大日本印刷株式会社)、三号あるいは、18ポイントからの復刻。「L」は「Legacy」の略。

秀L


「秀V」は古い印刷物から集字した手製の活字見本帳からの復刻。おそらく、秀英舎の三号だと思われる。「V」は「Vintage」の略。

秀V

「秀英体」は書的に見れば癖の強いものだが、それがかえって人気の理由なのだろう。


「弘」

 「弘道軒清朝体」は明治初年、東京赤坂区長であった神埼正諠の着想で、文字は書家小室樵山、父型は小山田宗則が鋼鉄に直接彫ったものであると、記録には残されている。

 男らしさと、力強さを持った、日本の活字書体の名作の一つだった。時代と共に使用されなくなっていたが、1984年に写植用仮名書体「弘道軒」として、その骨格を活かし清朝体から明朝体にリデザインして、味岡伸太郎かなシリーズの一つとして発表した。

 それを、今回、新たに「弘」として「味明」に合わせて、再びリデザインした。


欧文考

右から 弘/M(漢字/本明調) 味明モダン弘/EB 味明弘/EB

伝統をふまえた書体は調和する

 「ノイエ・ハース・グロテスク(後のヘルベチカ)」と、活字時代からの一般的な骨格を持つゴシック体は実に良く調和する。

 伝統的なエレメントを持つ明朝体とローマン体が調和するように、それぞれの国の伝統をふまえてデザインされた書体はよく調和する。
 このことは表面的なエレメントの違いよりも、文字本来の固有の形から離れた違和感の方がより抵抗感があるということなのだ。

上から 弘/M(漢字/本明調) 味明モダン弘/EB 味明弘/EB

 明朝体にはローマン体が調和する。本文用には、基本的には「オールドローマン」だろうが、ウエイト調整が適当ならば、「ボドニ」でもよく調和する。見出し明朝にはボドニ系のアルファベットだろう。

 日本文に英文・数字が混植される原稿を頂いた時、日本のタイプフェイスに適正が考えられたアルファベットがないことをいつも残念に思う。

 現在のDTP用のフォントにもアルファべットはセットされている。しかし、使用に値するだけの魅力を持ったものは少ない。多くは欧文のアルファベットを見なれてしまった我々には使用に耐えない。

漢字、仮名、欧文は、別の書体である

 日本語フォントにセットされたアルファベットに魅力がないのは、漢字仮名約7000字の一部として、悪くいえば片手間に、デザインしてきた結果なのである。アルファベットは、その素養を持つデザイナーにまかせるべきである。その総合で日本語フォントを考える時代が来ている。
 その場合、忘れてはならないのは、どこまでも漢字仮名という、日本の文字が主体であり、アルファベットはその使用量からも従の存在であるということである。間違っても、アルファベットに合わせて日本の文字が変形されることがあってはならない。
 「味明」のアルファベットは成澤正信氏にデザインをお願いした。

「味明」の欧文/成澤正信

味明/EB 欧文

 一般的な和文フォントは1000em正方形ボディにデザインされている。その和文フォントにセットされている欧文フォントはその1000emボディの下から120emのベースラインを基準にそれぞれの文字幅でデザインされているため、この120emを守り、和文センターに合わせて欧文大文字を調整すると小さくデザインするほかなく、欧文全体が小さめになってしまう。結果的に欧文は上がって見えることになる。それでも、長文の本文ではそのまま使われてしまうことが多いが、見出しや、厳密な小型グラフィックではベースラインを下げ、ポイントを上げるなど、手を加える必要があるが「味明」ではそのまま使える。

 「味明」用のアルファベットは、縦線が太く、横線の細い明朝体の特徴に良くあうよう、エックスハイトを高めに設定したボドニ系のアルファベットで、大文字のステムは漢字よりわずかに太くデザインした。

※本文明朝体用仮名にはオールドローマン系のアルファベットを同様のコンセプトでデザインした。

本文組 欧文

味明BOOK

味岡伸太郎 書体講座


味明FONT

味明書体


味明物語

祖父江慎

味岡伸太郎さんと文字のこと

白井敬尚

味岡伸太郎造形私観

トークショー

「味明書体」の発売を記念したギャラリー展でオープン記念に行われたギャラリートーク(短縮版)
味岡 伸太郎・白井 敬尚・祖父江 慎・櫻井 拓(司会)

2018年3月26日:ペーパーポイス大阪にて

味明 組見本


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