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人を愛するということ、尊重するということ。人間関係の心地よい境界線についての考察

「自分がされて嫌なことを、人にしたらいけないよ」

多くの人が、幼少期にまわりの大人たちから言われ、自分が親になったときには、子どもたちに言ってきた言葉だと思います。

けれど、この言葉だけでは、本当に伝えたいことって伝わらなくて。


本当に伝えたいこと。どんな人間関係の中でも大切なことは、「他の人にとっては "嫌なこと" は、しない。仮にそれが、自分がされても "嫌なこと" じゃなかったとしても」ってことなのだと思います。


幼少期から、わたしは母と「謝るべきライン」について、何度も衝突をくりかえしてきました。

相手に悪気がなくても、その言動で傷ついてしまうことはある。それは、どんな人間関係においても、起こることです。

「それをされると(言われると)傷つくよ」と伝える。
そのときに「そんなつもりじゃなかった」「冗談じゃん、なんで本気にしてんの?」と返されてしまう。挙げ句の果てには、「勝手に傷ついたのは、あなたでしょう?わたしはそんな意味で言っていない。あなたが勝手に解釈を歪めて受けとって、勝手に傷ついてるだけじゃない。わたしは悪いことをしてないから、謝る必要ない」と、自分の受けとり方が悪かったのだと責められる。

こういったやりとりも、さまざまな人間関係の中で、起こりがちなことなのかもしれません。


でも、自分に悪意や他意、傷つける意思がなかったとしても。自分の言動で、目の前にいる人が傷ついたという事実があるのなら、"相手が傷ついてしまった" という事実に対して、謝罪をする

それは、自分が間違っていたと認めることでも、負けを認めることでもないと思うのです。そうやって「相手が感じること」を尊重してあげられる関係性こそ、リスペクトのある関係なのだと思います。

言い換えると、本当の意味でお互いにリスペクトがある関係とは、「自分には悪意や他意がなかったとしても、相手が "嫌だ" と思った時点で、ちゃんと謝罪をすること」


最近、友人たちからパートナーシップについての悩みを相談してもらうことが増えていました。

自分自身のパートナーシップとも照らし合わせて、漠然と「相手が嫌がることをやめる勇気」と、「相手にすべてをコントロールされている(=束縛されている)」ことの境界線って、どこにあるんだろうって考えていました。


どんな小さなことでも、全部が自分の思いどおりにならないとイヤ。相手のすべてを把握したいし、自分の思うとおりに動いてほしい。そして、それを強要する。

それは、一般的に "束縛" や "支配" といわれる関係性なのだと思います。

けれども、基本的には相手の自由を尊重した上で。「それでも、どうしても、これだけはどうしても受け入れられない。許容してあげられない。認めてあげられない」ということだって、あると思うのです。特に、恋愛のような関係性の中では。

そのときに、そのたった1個のことであっても、相手のいうとおりに行動することが "支配" であったり、 "束縛だ" と感じるのは、どうなんだろうなぁって考えていて。

もちろん、「ひとつのことを受け入れてしまったら、そこから芋づる式に、自分の人生のいろんな分野や領域において、気づかないうちに束縛されていって、気づいたときには人間関係をリセットさせられてしまっていた」となってしまうのが怖い、といった思いを抱えてしまうのも、理解できます。

過去に、そういった関係性を経験したことがあるのなら、なおのこと。


けれども。

「自分がされて嫌じゃなかったとしても、相手がされて嫌なのだとしたら、それは "しちゃいけないこと" として、理解してあげないといけない。そして "相手が嫌がること" は、自分にとっては気にならないことだとしても、やらないという判断・選択をとってあげないといけない。それが、パートナーにコミットすることだよ」という言葉があって。

その言葉も、やっぱり、真実なんだよなあって思うのです。


束縛や支配と、相手のためを思って "相手が嫌だと思うことはしない" という選択をとることは、とても似ているし、その境界線はあいまいだけれど。でも、そこには確実に、おおきな違いが存在していて。

本当の意味で誰かにコミットして、誰かを愛するということは、「その人のために、自分にとって大切ななにかを犠牲にしてしまってもいい」。「なにかを犠牲にしたとしても、この人のことを大切にしたいい、この人と一緒にいる未来を選びたい」という気持ちのことなのかなぁって。


答えが出たような、やっぱりまだ、漠然としているような。

そんなぼんやりとした感覚ではあるけれど。
また少し、「愛する」ということ、「人を尊重する」ということについて、一歩理解が近づいたような気がします。


今日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この記事が、なにかの気づきや発見のきっかけとなれば、とても嬉しいです。

愛を込めて
ねう

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