見出し画像

ひよこクラブVol.21 その席は、誰が決めるのか? 〜席替えする意味(前篇) 〜

 席替えは何のために必要なのでしょうか? 生徒やクラスの雰囲気をリフレッシュするため。もちろんその目的もあります。でもそれだけではありません。
 席替えには主に次のような目的があります。

①授業担当者やクラス内の人間関係の変化に対応するため
②授業への意識の集中を高めるため
③身体の健康維持のため

 これらの中で、①、②については割に先生方が意識しているところですが、③「身体の健康維持」というのはあまり意識されることはないのではないでしょうか。

 席替えの一番の目的は、同じ角度から黒板を見るとか、同じ距離や明るさで黒板を見るといったことから生じる身体の歪みの是正や、視力への影響を是正することです。一見些細なことのようですが、教室で席につくことは毎日のことであり、しかも学校にいる間の大半はそこで過ごすので、生徒の身体に大きく影響します。このため、特に成長が著しい時期である小学校では担任の先生が決める場合が多いです。

 しかし、席替えは必ず不満を残します。全員が満足を得る最適な配置はほぼありません。
 たまに(?)担任の先生に文句を言う生徒が出てきます。あらゆる理屈を並べて、いかにその配置が自分にとって不利益な変更であるかを、時に怒り、時に嘆きながら切々と訴えます。保護者からのクレームすらあります。そこで担任の先生は、その生徒を希望するエリアに替えます。当然その影響で入れ替わらなければならない生徒が新たに出てきます。
 ところが、押し出されてしまう生徒にしてみたら青天の霹靂、「こんなのおかしい。先生ひどい。もう学校に行きたくない」と嘆きます。さて、担任の先生は困ってしまって‥‥‥。

 あとはみなさん想像つきますよね。「例外の一般化」が生まれる瞬間です。

 この話の行き着く先は2つです。

 ひとつは、いつの間にか生徒たちの思い通りの席替えになっている

 もうひとつは、「そんなだったらクジで決めます。恨みっこなしだかんな。後で文句言うなよ」となります。つまり、運が決める席替えです。

 でも前者は、一部の生徒の思い通りになるのであって、「生徒全員の思い通りの席替え」には決してなりません。その理由はみなさんおわかりだと思います。どういう共同体にも先天的にパワーバランスは存在します。その構図が顕在化しないこと、見えないことが大事なのであって、浮き彫りになってしまったら、まるで開き直ったかのようにあっという間にその共同体にいじめや、差別や、支配と服従が生まれます。
 
 後者は恨みっこなしなので現実的だといえます。ただ、前に書いたような、生徒の心身の成長と健康の維持のことを考えての席替えの本来の意味、意義や、教育の機会は失われます。先生にも責任がなくなってしまうからです。意図も目論見もない、ただのレクレーションへと変わります。
「席替えなんてただのレクレーションでかまわない、そんなことまでいちいち教育されてたまるかよ」
と、ノリが命のバブル世代のような生徒か、あるいは、かまってほしくて何でも反対!の反抗期の中学生ばりの生徒にとってはその方がいいのでしょう。正直先生としてもいちいちめんどくさくないので、いっそのことその方が助かります。

 そう考えると、クジで決めるのは、これはこれでまるでWin-Winなのでノープロブレムなんですが、果たしてそうでしょうか?

 席替えで一度でも生徒や保護者からのクレームが起きると、二度と先生の方で熟慮して席を決めることはなくなります。それは何を意味するかというと、ひとつには、クラス生徒ひとりひとりについて、人間関係や学習態度、生活状況を悩みながら考える機会を先生から1回分(席替えが年3回なら3回分)奪ったことになります。もうひとつは、ある目的を持って実践された方法が失策だったということになるので、混乱や動揺のリスクを避けるために、少なくとも同じ年度内に同じ手法を取れなくなるのはもちろんのこと、そのクラスに対して新しい試みをあまりしなくなります。そういう意味ではLose-Loseです。

 たかが席替えと侮るなかれ。

 もちろん席替えに対して生徒は文句を言うなとか、クジで決めるのはダメだとか言いたいのではありません。わがままでない範囲で、心身面でのつらさがあるなら席替えであっても遠慮なく担任の先生に相談するべきですし、クラスの状況を鑑みたとき、クジの方が適切な場合だってたくさんあります。

 ここで一番みなさんに伝えたいことは、「例外の一般化」が始まると、思考停止にとどまらず、自分たち自身にとっての不利益変更を招く、ということです。

この記事が参加している募集

サポートあってもなくてもがんばりますが、サポート頂けたらめちゃくちゃ嬉しいです。