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サービスを「値段」や「品揃え」、「便利さ」や「デザイン」なんかで選ぶことに、もういい加減飽きてきた。

こんにちは、souiです。

早くも安くも便利でもない、選択肢が豊富なわけでもない。それでもここでお金を使いたい。そう思ったお店と店主と仕事のお話です。

つまるところ、私たちは出来る限りムカつきたくない世界で生きています。

早い!安い!選択肢いっぱい!デザインがカッコイイ! は、もう当たり前。たくさんの会社や個人が、ユーザーの要望を叶えに叶え、努力に努力を重ね続けて出来上がった、凄い世の中です。

そして商品・サービスを選ぶうえで判断基準になる「早い」「安い」「便利」「カッコイイ」「快適」「選択肢の多さ」等の“ウリ”は、今や『あって当たり前』状態。

どこまでいっても人の『満足』に追いつかない世界に生きているなー、と感じます。供給する方は大変ですね。


きっかけはブレーキが千切れて

先日、私が自転車を走らせていると突然ブレーキのワイヤが『バチンッ!』と切れてしまいました。いくら面倒臭がりでも、そのままにするわけにもいきません。自転車を押しながら行ける範囲の自転車屋さんを調べ、すぐ対応可能か確認の電話を入れました。

チェーン店A:来店予約がいっぱいで、明日以降の対応になります
チェーン店B:夕方以降でしたら対応可能で、費用は〇〇〇円(高っ!と思える値段)
チェーン店C:うちで買ったもの以外は整備できないんです。もし今後事故が起きたら、うちの責任になってしまうので。

「そんなもんかな・・・」と思いつつ、わりと小さな自転車屋さんの番号も調べ、一応こちらもTEL。

個人商店S:いいですよ。今日営業してるのでいつでも。(少しそっけない)

すぐできるなら良いな、と個人商店Sに向かいました。


個人商店S(いわゆる町の自転車屋さん)で見たもの

大通りから脇道に入り、さらに人通りのない住宅エリアに入ったところに、その店はありました。

店内BGMどころか何の飾り気のない店構え。華やかさと迫力満載の大型チェーンとは別の世界です。(以下は私が垣間見たSという異世界の様子)

【”店が狭い”からよく見えたコト】
最小限の間隔でキッチリと並べられた自転たち。カゴには手書きの値札。
床に張られた分厚い黒のゴムマットに刻まれた、たくさんの傷と摩擦の跡。

一度見たらなかなか視線を逸らすことが出来なかったのが、壁に掛けられた沢山の工具。

有孔ボードの定位置で出番を待つ工具たちは、一つ一つに緊張感が漂っていた。
「自分たちはここで生きてきた!」
「自分たちがここで店主の腕を活かし、支え続けてきた!」という迫力というか、自負を感じさせるような年季。


【”距離が近い”から感じ取れたコト】
店主は基本的に無口で、余計なことを話さない。当然、会員カードやアプリのダウンロードも、まとめ買いサービスの案内もない。
自転車の細部を見る眼差しや、指先の動きが良く見える。
(これじゃないな)(ここもダメだ)という小さな独り言が、壁掛け時計の秒針の音が小さく響く中で時々聞こえる。
目の前の仕事に”全霊で向き合っている一人の人間”を、じっくりと間近で見ることができた。映画のワンシーンのように思えた。

【このおじいさんは忍者? いいえ職人であり、”正しい”商人です】
ブレーキの付け替え作業が終わり、会計を終えて店を出る。最初に言われた通りの値段。あっという間に作業が終わった分、高いなんて思わなかった。

新しいブレーキの感触を確かめるために自転車を漕ぎ出すと、物凄く大きな違和感に気が付く
回転するチェーンの音がとても小さい!
ペダルの踏み込みが軽い!さっきまで確かにあったハンドルの傾きが無い!

私は「ブレーキのワイヤーが切れちゃったので取り替えてください」と伝えただけなのに、取り換え作業後、私が全く気が付かないうちに他の個所の調整も済ませてくれていた。

よく当社はアフターサービスも充実!」という決まり文句というか約束事はあるけれど、最速の”アフター”サービスを受けたと思う。


これからも大丈夫なのかな?こういうお店

少なくとも「うちの責任になっちゃうのでやりたくありません」というスタンスの会社では、こういうことは『無駄』に分類されるのだろうなぁ、と思います。
でもずっと付き合いたい・生き続けてほしいのはこういう店だし、「損して得取れ」どころじゃない『美学』を感じました。

ひたぶるに『凄い』と思えましたし、時間が経つほどに
「あの時、『仕事の正しさ』を通り越して『正しい仕事』というものを見せてもらったんだなぁ・・・」という気がしてきました。

同時にとても凄く気がかりです。
この正しさを持つ人や店は、これからもずっとこの世界を生き続けていけるのかな、と。


「便利」「効率」「デザイン」「価格」は、”共同体感覚”や”他者貢献の意思”までは刺激できない

現在はとても便利で選択肢が多く、快適なサービスも飛躍的に増えています。ですが私たちは相変わらず何かにイラつき、もっと便利になって当然と考えがちです。理由ははっきり言ってわかりません。

ただ、何処までも『満足』に追いつかない世界に生きている、ということはなんとなく分かります。

そんな世界の中で私は今後、自転車のことで困ったらこの個人商店Sに行く、と決めました。調整や部品の交換、新しい自転車の購入も何もかもこの店に頼むでしょう。そして知人にも「自転車のことならあの店に行った方がいい」と言います。

つまり、安くて便利で商品の選択肢が多様なチェーン店が入り込む隙間はほぼ無くなったのです。それは大型チェーン店の弱点によるものでも、小さな個人商店の親しみによるものでもありません。

それは「得するしないはどうでもいいから、どうせならあの店(店主)にお金を払いたい」という思いです。「便利」「効率」「デザイン」「価格」・・・etc そういう”ウリ”は、もうあんまり響きません。
『正しい仕事』を至近距離で目の当たりにしちゃったもので。


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