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あの時選択しなかった選択肢たちへ

あの時選択しなかった選択肢たちへ

拝啓、「#あの選択をしたから」このハッシュタグを見て思ったことは、人生の選択の中で選択しなかった選択肢、君たちのことだ。

何かを選択するということは、他の何かを選択しないことになる。例えば、大学に進学するということは、高校を出てすぐに就職するという選択をしないことになる。

数多くの選択肢の中から、自分の道を選択して選び取る作業。それは、選んだ後の未来について思いをはせ、ワクワクしたり、不安になったり、とても労力を使う作業だと思う。そして、その選択肢から正解の選択肢を選び取る。

ただ、これまでの私の人生の中で、多くの選択肢の中からある選択肢を選び取る時、重要なことは、”正解”の選択肢を選び取ることではなく、その選択肢を”正解”にするという覚悟と意思だと思う。よく、ある考え方であるが、これが真実だと思う。

この考えを大切にするようになったのは大学進学の経験だ。
私は、きょうだい児として愛知県の名古屋市で生まれ、名古屋で成長した。愛知県には、多くの大学や専門学校、就職先があり、高校を卒業しても地元に残ることが8割9割であった。特に、女性が親元を離れるケースは少なかった。

多くの地方の高校生が大学や就職を機に親元を離れる、地方で生まれる誰もが用意されている上京という選択肢がないことに対して、憤りを感じていた。同時にきょうだい児として育った私にとって、県内に残り親や兄弟の面倒を見ることが”正解”の選択であるという若干のプレッシャーも感じていた。

しかし、私は、きょうだい児という呪縛から逃げ出すために、縁もゆかりもない県外の地方の大学へ進学した。当時の私にとってこの選択は、身勝手で、あるべき役割を放棄し、家族から逃げ出した選択だと思っていた。

一方で、大学に進学し一人で生活していく中で、一人の時間を作り、本を読み、自己について考え、これからの人生について考えることが出来た。
今でも、兄弟の面倒を見ることが出来るかと言われれば、できるとは言えないかもしれない。
ただ、大学時代に自己について考える中で、きょうだい児について知ってもらう活動をしていきたいと思うようになった。

今なお、障害をもった兄弟がいるというだけで、親に対してうまく甘えることが出来ず、愛情をもらうことができない子供たちの為にセーフティネットを作りたい。

大学4年間を振り返って、家族から逃げ出した私の選択肢は正しかったのではないかと思う。というか、その選択を正解にすることはできるのではないかと思う。

逆にだからこそ私はこう思う、実際に私が選択しなかった選択肢を選んだとしても、それはそれでよかったのではないかと。それは、「選択できなかった」という後悔ではない。きっと、私ならその選択だって、正解にできるからだ。

私は、選択しなかった未来も愛している。


これからも、私は多くの選択をするだろう。ただ、どんな選択であっても、私は選び取った選択を正解にしていこうと思う。そして、選ばなかった選択肢君たちのことも大切にしていきたい。

あの時選択した選択肢より

#あの選択をしたから

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