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僕は最後の最後で、受験から逃げた

「サイン! コサイン! タンジェント! サイン! コサイン! タンジェント!」

森下が叫びながら廊下を走り回っている。森下は、僕の後ろの席のいつも髪がボサボサでヒョロっと背の高いやつだ。勉強ができて、数学が特に得意だ。三角関数を叫びながら、楽しそうに走り回っている。吉田と川崎がこれに加わって、三角関数の合唱が廊下を行ったり来たりしている。

僕の高校はいつもこんな感じだった。

勉強中心の子供時代だった

僕は昔からわりと勉強ができる方だった。小学校の通信簿は、体育以外だいたい「よくできました」をもらっていた。小学校2年生の時から公文式に通っていて、遊びに行く友達をうらやましく見ながら算数ドリルをひたすらやっていた。小学校5年生になるころに、週2で進学塾に通い始めた。今考えれば、あれだけ勉強させられて勉強ができないわけがない。親になってみて、いかに自分の教育にお金がかかっていたかがわかる。

中学に入ると、テストの結果で順位がつくようになった。クラス全員の成績が発表される訳ではないが、先生が1位から5位くらいまでの人や100点をとった人の名前を呼ぶようになった。僕は勉強が得意だと思っていたが、1番になることは一度もなかった。自分よりできる人がいることに、密かにショックを受け、劣等感を抱いた。

小学校5年生から通い始めた進学塾は、今考えると何かおかしかった。高校受験実績ナンバーワンを謳っているスパルタ塾だった。宿題をやってこなかった生徒は、お立ち台の刑に処される。みんなの前で机の上に上がり、ポスターをギチギチに巻いた根性注入棒で思いっきりお尻を叩かれるのだ。いまだと虐待で一発アウトだが、当時はそれが僕のあたり前の日常だった。

お父さんからは、「仙台二高以外は高校ではない。落ちたら浪人してでも入れ。」と言われていた。当時の仙台二高は、毎年東大合格者を出す宮城県でトップの進学校だった。必死に勉強して、なんとか滑り込んだ。

憧れの高校に入学早々、実力のなさを思い知らされた

高校入学前の春休みに、僕は体調を崩して寝込んだ。重たい体を引きずって入学説明会へ行くと、入学早々に学力テストがあることが発表された。テストの対象範囲は、まだ習ってもいない範囲だった。

学力テストの結果は、張り出されこそしなかったが自分の順位がハッキリとわかる形で帰ってきた。僕は、325人中316位だった。病欠した人がいたはずだから、ほぼ学年で最下位だということがわかった。首筋に冷たい汗が流れた。

「春休みは寝込んでいたんだから当然だ。」と自分に言い聞かせた。僕は頭が良いんだ。ちゃんと勉強すれば順位は上がるはずだ。そう信じて疑わなかった。

1学期の期末考査も、2学期の期末考査も、ほとんど結果は変わらなかった。

高校2年生になる頃には、成績優秀者と赤点常習犯が誰なのかクラス全員ががわかるようになっていた。期末試験の結果がどうなるのかを予想する赤点ダービーなるものが始まり、クラスで盛り上がった。教室の後ろの黒板に森下と僕の名前が書きだされ、森下の数IIの点数と僕の数IIと数B両方の点数でどっちが高くなるかについてオッズがつけられた。

森下は、入学初日にすでに数I、数II、数A、数Bの教科書を終わらせていた奴だ。数学では不動の一位だ。森下が100点をとるのはほぼ予想ができる。クラスメートの関心は、僕が数IIと数Bで合計100点をとれるかどうかだった。僕はそれでも森下に敵うことはなかった。

本当につまらない高校生活だった

僕は、高校生活はもっと楽しいものだと思っていた。高校生になったら、観月ありさみたいな彼女ができて、放課後にバンド活動をするのだと思っていた。

でも現実は違った。まず当時の仙台二高は男子校だ。女性は年配の女性教師以外見当たらない。軽音部は無かったから、僕は仙台FMの「飛び出せ!高校生諸君」に出演したくて放送委員会に入った。一年に3回まわってくる「飛び出せ!高校諸君」の収録は楽しかったけど、それ以外は特に活動らしい活動はしなかった。

やっと高校受験が終わったと思ったら、進学塾が予備校に代わっただけで、今度は大学受験へ向けた勉強が始まった。僕はお父さんの後を継ぐべく公認会計士を目指していた。目指すべきは慶応・早稲田・中央大学など会計士試験に強い大学の商学部だ。

僕は学校の勉強にすらついていけていなかったので、模試の結果はいつも散々だった。高校3年生になる頃には、自分は1,2年は浪人するのだろうと思い始めていた。それでも遊ばずに毎日勉強をしていた。それ以外、何もなかった。

最後の最後で、僕は受験から逃げた

高校3年生の年末、僕は隣町で私塾をやっているという先生を紹介され会いに行った。アメリカの大学で言語学や教育学について研究した経歴を持った人だった。先生は、「受験勉強なんてする必要ない、自分の興味のあることを徹底的に勉強してみなさい。」と教えてくれた。そして、留学を勧めてくれた。先生は、僕がずっと抱えていた受験勉強に対する強い違和感と嫌悪感を言語化してくれた。

僕はセンター試験に向けて自習の時間が増えていた高校を去り、先生のところで住み込みで勉強する生活を始めた。僕はセンター試験を受けなかった。クラスメイトは、僕が受験から逃げたと思っただろう。実際に、当時の僕は受験勉強から解放されてホッとしていた。

3年後、アメリカに留学した。

あの違和感は正しかった

今年で、アメリカに留学してから18年だ。受験勉強に振り回された高校卒業までの人生と同じだけの時間を、海外で過ごしてきた。あれから本当に色々あったけど、留学して本当に良かったと思う。

当時のことを思い返すと、高校生の時に感じていた違和感は正しかったと思う。テストのために暗記をしたり、答えの決まっている読解問題を解くだけが勉強ではない。自分が興味を持っていることを徹底的に突き詰めるというのが、本当の勉強だと思う。学校で勉強する内容を否定するつもりは全然ない。ただ受験だけを想定した勉強法では、それぞれの教科の本質的な部分が学べない。そんな勉強に学生時代の大事な時間を使ってしまうのは、凄くもったいないことだと思う。

最近、日本での優良企業での大量リストラや副業ブームなどのニュースをよく見る。プログラミングなどの新しいスキルを勉強している人も多いようだ。大学生になって勉強をやめてしまった社会人たちが、人生に行き詰ってあわてて勉強を始めたのだろう。

それでも日本人が一か月で読む本は、平均0.6冊だと聞いた。ほとんどの日本人は本を読んでいない、勉強もしていないということなのだろう。中学高校と強制的に詰め込むだけの勉強をさせられてきた人が、その強制が終わったとたんに勉強をやめてしまうというのは、ある意味当然のことなのかもしれない。

本当に勉強が必要なのは、社会に出た責任ある社会人たちなんだと、僕は思う。受験を想定した詰込み型学習が、勉強の全てだと勘違いさせてしまう今の日本の教育の仕組みは、どうなんだろうか?

当時の仙台二高の大学進学率は、99.9%だった。僕のクラスメイト達は、それぞれ優秀な大学に進学し、優秀な企業に就職したのだろう。僕は高校の同窓会に出席したことは一度もない。クラスメイト達がどうしているのか、僕は知らない。数学が得意だった森下は、その後どうなったのだろう?


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