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完璧主義の私が屋台をやる理由

私は完璧主義だ。
完璧な丸で居たいし、完全でありたい。

私は物心ついたときには、
既に「長女」「できる子」「頼れる子」だった。

頭脳や運動では、他にできる子が沢山居たけれど。
私は規則通りを守ることや、何かと1人でこなすことが出来た。
「1人で完璧を求めてやれること」は、私の武器だったと思う。


武器「完璧主義」の限界

完璧にやることは今も好きだ。
でも、同時にそんなことは不可能だと感じるようにもなった。

なぜなら、私が考える限りの完璧というのは、所詮自己満足でしかないし、
人間1人が出来ることなんてたかが知れているから。 

加えて、社会に出てみて、正解の存在しない問題が多すぎることを身をもって経験したから。

それなら誰かと一緒にやったほうが効率よく、1人では出来ないようなことができる。
そもそも物事に完璧なんてことは、大方あり得ない。

そろそろこの性質はアップデートした方が良いと思う。

頭では知っているのに、心は受け入れたがらない。

わかっていても、1人で完璧ぶる方が楽だと思ってしまうのは、
自分を守る意味もあるけれど、それ以上に、
人に頼る方法がわからないからだと気付いた。


自分を変えたいから、環境を変える

「人に頼ることは、申し訳ない・マイナスなことだと思う。」
「嫌だったらどうしよう。」
「頼った分をどうお返しすれば良いのかと考えると気が引ける。」

実は、それは私が思い込んでいるだけなのかもしれない。

そう思い始めて、最近は恐る恐る誰かに頼ってみるけれど、
まだ慣れないので勝手に罪悪感を覚えるような始末。笑

そんな自分を変えたい。
誰かと力を合わせることを体感して、もっと遠くへ行けるようになりたい。
それが今回の決意の根底にある気持ち。

そんな思いもあって、誰も知り合いのいない、言葉も通じない、海外に放り込まれてみることにした。

私はその瞬間に、1人では何もできない子どもみたいになる。

そしたら、誰かを信じて頼ってみるしかない。
人を食べ物を住む場所を、信じるしかない。

自分が圧倒的に何もできない状況に追い込まれたら、誰かに頼って助けてもらうしかない。

その状況で品物を仕入れて、お店を開けて、品物を売って、稼ぐ。
それくらい鮮烈な経験をすれば、長年の固定観念も少しは変化すると思えた。


完璧じゃない私を心から愛せるように

これまた思い込みの1つだけど、私は自分の身をもって体感することで物事を理解する人間だと思う。

なんだって、やってみないとわからない。
実際に自分が経験してみないと、本当のことはわからないと思っている。

だからこそ、私のゴリゴリに凝り固まった考え方は、このくらい荒療治じゃないと変わらないんじゃないかなって。

完璧になろうとしなくて大丈夫なんだよって、
自分に言ってあげられるようになりたい。

人は頼ったり頼られたりしながら支え合って生きてるんだよって、
自分に言ってあげられるようになりたい。

そのために、屋台をやりたいと思った。


完璧主義は、私の大切な要素

これまで、完璧主義の欠点を取り上げたけれど、
一方で私はこの性質に沢山助けられている。

私からこの性質を取り除いたら、もはや私では無くなるというくらい。
使いようによっては、やっぱり強力な武器なのだ。
矛盾しているようだけれど、それを捨ててしまいたいとは思ってない。

でも、武器は使い方を誤ると自分や誰かを傷つける。

私が知りたいのは、良い塩梅の使いこなし方。
上手く使う分には、私の助けになってくれるから。


あとがき

カンボジアへ出発まで、あと1週間。
日本で準備していけることなんてそんなに無いんだから、あとは実践のみ。

やっと正気になってきて、実際不安なこともあるけど。
せっかく掴んだチャンスなら、どうなったとしても楽しみたい。

色々書いたけど、お店をやること自体も楽しみ。
どのくらい大変なのか、大変じゃないのか。

生きて帰ったその後、やりたいことも定まってきたし。

あと少しの間、日本でソワソワしておりますが、
これからも温かく見守っていただけると嬉しいです。

ご清聴、ありがとうございました。

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