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「移住」と「農業」そして「定住」

この記事に辿り着いていただきありがとうございます。

私は2022年1月に大阪府和泉市から和歌山県田辺市へ
移住をしてお隣のみなべ町で新規就農した梅農家です。

今日で27歳の誕生日を迎え移住して約1年半が経ち
これまでに感じたテーマのリアルをお伝えします!

昨年は自分を表現するには切っても切り離せない活動
休止中の「審判人生」について初めて振り返りました。

本題へ入る前に移住をした理由について・・・
それは「南紀オレンジサンライズFC」と言う

サッカーだけでなく移住をし農業をして地域に根差す
ことを目的とした前例のない社会人サッカークラブの
マネージャーになったこと。これが全ての始まりです。

残念ながら早々にクラブを離れ個人農家さんを経て
現在は農業法人で農園部の一員として働いています。

この後の内容をよりイメージしやすくするため新規の
立ち上げメンバーとしてクラブの裏方スタッフになった
経緯について後編もご一読いただければと思います。


前置きが長くなってしまいすみませんm(__)m

いよいよ本題に入りますがここからは
以下のテーマに沿って話を進めて行きます。

・なぜ、今の地域に移住したのか?
・なぜ、数ある農業の中で梅を選んだのか?
・地域に貢献するとは何か?
・地域の課題とされている後継者不足の実態とは?
・移住した今の地域に定住するのか?

※またこの記事は一部の方に不快な思いをさせてしまう
表現が含まれている恐れがあります。その場合はすぐに
読むのを中止しそっと閉じていただけますと幸いです。


なぜ、紀南地域で梅農家になったのか?

よそ者の移住者なので自己紹介をする機会が多く興味
を持っていただいた方から先ず聞かれるのはこの質問。

理由は「サッカークラブの拠点が紀南だったこと」と
その地域が「日本一の梅の名産地であったこと」です。

拘りがないとも取れますが移住や就農について先入観
がなく、たまたま和歌山県みなべ町と田辺市の空気感と
人生初農業で梅が自分に合っていたのも大きいですね。

とは言いつつそのクラブが違う地域を拠点にしてたら
そこを気に入っていた可能性は十分あり得ます(笑)

私の場合いきなり移住した訳ではなく1年間の準備期間が
あり和歌山の名産である梅(6月)とみかん(12月)
の1ヶ月間を農業体験として実際に現地で過ごしました。

この体験は有意義なもので実際にみかんで生活をした
御坊市と日高川町よりも、みなべ町と田辺市の方が
自分に合っていると比較できたことも良かったですね。

こればかりは感覚(インスピレーション?)なので
言葉で説明することはできませんが1年半経った
今でも快適に過ごせているので合ってると思います。

余談ですが梅とみかんの他にもう一つ山椒の収穫を
和歌山県かつらぎ町で援農と言う形で体験しました。

援農とは農繁期の人手が必要な時期に期間限定で
各地域に住み込みで働く農業版の季節労働のこと。

梅が終わって移住するまでの間にもっと農業をしたい
気持ちがあり、当時流行っていたクラブハウスで縁が
あった方に紹介をいただきワクワクして訪れました。

しかし、私はここで2週間の予定を1日で帰ることに…

理由は農園の雰囲気や園主の方からの絶句してしまう
ような発言や態度にかなりショックを受けたからです。

また初めての古民家での共同生活に適応できなかった
ことも大きく農業で挫折を知る良い経験になりました。

なので山椒が初めての農業だったら就農はしてなかった
と思います。当然ですが移住して農業だから上手く行く
のでは無く関わる「人」が全てだと再認識できました。

よそ者を受け入れて「梅」の仕事が最高だと思わせて
くれたみなべ町の農家さんには本当に感謝しています。


地域貢献と後継者問題について

これらは脱サラをして農業してみたいと興味を持ち
調べると良く出てくるワードではないでしょうか?

最近ではアマチュアのサッカークラブがスポーツで
地域貢献をしてプロスポーツクラブを目指す=Jリーグ
参入を掲げて町おこしをするクラブが増えています。

タイトルの写真は2年前の農業体験時に初めてみなべ町
で梅の収穫体験をした際に撮っていただいたものです。

当時は本気でこの町の方々にサッカーを通じて応援する
楽しさやスポーツの魅力を伝えたいと思っていました。

しかし梅農家との二足の草鞋で活動する中で自分の実現
したい理想とはかけ離れているなと素直に感じました。

私が移住をし就農して手に入れたかったのは農的暮らし
の中でサッカーがあり、そのクラブが勝つことだけでは
なく地域の方に応援される活動を日々することでした。

ただこれは選手ではない審判の立場でスタッフになった
サッカー人の感覚で、実際はどうしても試合に勝つこと
が重要視され地域に貢献するとはほど遠いものでした。

もちろん1年そこらで叶うなんて思っていません・・・

ですが他のクラブと差別化された「農業」をすること
において「スポーツ」と両立させることは現実的では
ない。と言うのがクラブを離れ農業1本で生活をし始めて
から強く感じるようになった梅農家としての答えです。

理由としては「農業」を仕事にすると言うことは
土日に関わらず畑に出向き、収穫の最盛期には
1ヶ月間休みなく働き続けることが求められます。

それを練習・試合で抜けてしまうことがどれだけ
農家さんにとって信用問題に関わるかと言うこと。

週1日や土日だけのお手伝いを「農業(=地域貢献)」と
するならば可能かもしれませんが、果たしてそれが
後継者不足の問題解決や地域に根差すことに繋がるのか
と言うと地元の農家さんから見ると「?」でしょう。

現地に来て感じることは現実的に「後継者不足」は深刻
ですが、後継者が必要な農家さんの後継ぎがいない場合
自分の代で終わりと考えていることが非常に多いです。

【後継者不足問題】最大の矛盾点は・・・
必要とされているのは育てなくて良い「経験者」で
後継者になりたいのは素人の「未経験者」であること

解決するには移住を受け入れてもらう側の覚悟と
もっとハードルの低い補助金制度だと私は思います。

また移住してからずっと考えていた地域貢献とは何か?
の自分なりに導いた答えは、その町にしかない飲食店
や娯楽施設に出向いて行きつけ客となりそこで出会った
方と世間話をしまたその先のご縁が繋がっていくこと。

これが出来れば結果的に消費が生まれ地元の方との交流
が生まれ、自分の活動の認知が広がる近道にもなって
そこからまた新しい何かが始まる可能性があるのです!

実際に先日、行きつけの定食屋さんで隣だった方と
お話しし最後は名刺をいただきSNSをフォローして
いただきました。繋がる話も多く楽しいひと時でした。


移住した今の地域に定住するのか?

現在は和歌山県南部(紀南地方)の田辺市に住み
お隣のみなべ町の職場に通い移住生活をしています。

海が近く山もあって川も流れて自然が好きな私に
とっては申し分ない景色でとても気に入ってます。

大阪出身とは言え最寄駅までバスで15分、近くのコン
ビニに行くのも徒歩20分かかる場所に住んでました。

それに比べると今の環境は徒歩圏内に駅もコンビニも
あって、車で5分圏内に大体の施設が揃っているため
地元よりも住みやすく便利だと感じることが多々ある。

俗に言う田舎暮らしではないのかもしれないけど
田辺市の中心地だからこそ住めているなとも思う。

ただ、この先ずっと田辺市に住んでみなべ町へ仕事に
行く生活を続けるかと聞かれると即答はできない(笑)

なぜならこの1年半で紀南地方の中でも更に南部地域の
滝や川などの大自然に魅了されてしまったからです。

特に古座川町は初めて訪れた際、何とも言えない高揚感
と自分が求めていた自然がそこにある様なそんな感覚。

「あっいつかここで半農半X的な暮らしをしたい。」
まだ1日も過ごしてないのにそう思う自分がいました。

しかし、これから手に職をつけようとしている「梅」
の生産はされておらず、何十年後かに新たに違う農業を
始めることも現実的ではないのでそこが問題になるな…

と想像を膨らませている時に移住を機に先輩から誘われ
趣味の一つとなったトレイルランニングのレースで
三重県熊野市(古座川町の隣の新宮市の隣)に訪れた際
飲食ブースに梅干しがありこれは!と思い話を聞くと…
なんと小規模ですが梅林があると教えてくれました。

まだまだこれから田辺市を拠点にしてやりたいことは
たくさんあるので何十年も先の話かもしれませんが
将来的に目指す場所ができた事は良かったと思います!

時間をかけて足繁く通い繋がりを築けたら最高ですね。

それもこれも前述したサッカークラブの存在があった
からこそなので感謝すると同時に、これまで浮き沈み
が激しかった人生からようやく落ち着き始めた現在の
恵まれた環境を維持できるよう一歩ずつ夢の実現に向け
これからも頑張り過ぎない程度に頑張ろうと思います。


さいごに

気づいたら過去最長の4,000字を超えていました(笑)
大事なことを伝えれてなかったのでもう少しだけ・・・

よく「若いのに決断して凄い」とか「勇気があるなぁ」
と言われることがあるのですがそんなことありません。

自分の感覚は抱えていた色々なことから逃げ続けた結果
辿り着いた場所がたまたま農業でそれが梅だっただけ。

こんなこと言うと誤解を招きそうですが農業をするため
に移住したのではなく、特別な審判の世界に戻るための
あくまでも「手段」で生活の土台を作る上での選択肢。

その結果、当然しんどいこと泥くさい仕事もたくさん
あるけど、移住前のストレス環境に比べると圧倒的に
精神衛生上とても良い状態で日々を過ごせています。

現在の農業法人に入社してからの変化として手段だった
はずの「梅」が仕事として好きになり「審判」中心の
生き方から何を優先すべきかを考えられるようになった
ことはこの約1年半で最も成長できたことだと思います。

もしここまでお付き合いいただいた方がおられましたら
非常に嬉しいです。最後までありがとうございました!

2022/2/25(マネージャーとして空気入れ中)
2022/12/4(今年も参加予定のトレランの大会)
2023/2/12(ホテルシーモアでのマルシェ初出店)
2023/6/20(梅の収穫時期に撮影した集合写真)

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