私は、変人になりたい。そして育てたい。~時間と心の余白~
題名はおかしな事を言ってるようだが、中身は至って真面目なもの。
変人とは、変(化を起こせる)人という意味。
レールにがっつり敷かれたような人生を送ってきた自分にとっては、自分の人生を否定するような生き方になってしまうんだが、
レールに敷かれた人生だったり、考え方をしてきたからこそ、それがあまりにも無意味(言い過ぎかもしれないが)だったことに今さら気付く。
おそらく、機械的な事をやらせてもらえるなら、まぁ人並みにはできると思ってるが(答えがある事を突き詰めてきたから)、
そんな与えられるだけのやらされる事には時間を使いたくない。
ただのわがままじゃなくて、やるべき事はやらないといけないが、必要以上にやる事はできるだけ避けないと、自分自身の価値は落ち続ける一方と思っている。
信頼を得るための手っ取り早い方法は、従順に従う事なのかもしれないが、そんな価値観は、これから将来の自分にとって危機感でしかない。
だから、早く今までの自分から脱却して変人にならないといけないと思っている。
そのために必要な事は、「時間の余白」と「心の余白」をどれだけ持てるかどうかにかかっている。
また、「時間の余白」と「心の余白」は自ら作り出さないといけないと思っている。
好きな事に情熱を注いで、やるべき事がやりたい事になってる人達は、この2つを持ち合わせているように思う。
その余裕が「余白」の有効活用に繋がっているんだと思う。
とは言っても、組織に属している限りは、現実問題として、それはトップ(決定権がある者)の特権みたいな感じで、
その下にいる自分は、やるべき事をやって信頼を得るというスタートラインに立たないといけない。
それが、変人になるための第一歩。今から歩みを進めよう。
まぁ、自分の事はこれくらいにして。
これから変人の需要は高まると思う。むしろ、変人でなければ生き残れなくなると思う。
だから、子ども達を育てる立場にある自分はどうあるべきかを考える。
自分の人生を振り返って言えるのは、教科書通り・従順なだけ・縛られる
こんな状態は非常に良くない。
だから、できるだけ自由な発想・自主性・主体性・自ら考える力を育てないといけないと思っている。
それが、「時間の余白」と「心余白」作りに繋がる。
そのためには、そんな機会を与える事が必要じゃないかと思う。
また、価値観の見直し(柔軟性)というのも必要だろう。
言うことを聞く子が素晴らしい。(確かに聞ける子は素晴らしいんだが、ちょっとニュアンスは違う)じゃなく、
自分を持ってて、しっかり考えを持ってるなと認めてあげるとか。
これは、1つの例えにすぎないんだけど、言いたい事は、
凝り固まった価値観で、その子達と接していては、自主性・主体性を育ててるつもりが、知らぬ間に、実は動かぬ価値観で縛り付けてしまっているというリスクがあるという事だ。
どんな考え方をしていて、何でその行動に至ったのかをコミュニケーションでも取りながら知る努力が必要になるだろう。
変人になる事も、変人を育てる事も難しい。
自分にとっては、それが大きなパラダイムシフトになるくらい、未開拓の場所だから。
だからこそ、今さらなんだろうが、チャレンジしないといけない事だと思っている。