「育てる」という言葉に真剣に向き合って出てきた答え~学ぶ事をやめてはいけない理由~

子ども達を「育てる」と言ったとき、

この「育てる」という言葉を捉える際の、幅をいつも考えさせられる。

しっかり手取り足取り教えてあげて成長させていく
というのも「育てる」という事だし、

敢えて、手から離し自由に伸び伸びとプレーさせてあげる事も「育てる」事だと思う。

色んな教育書をあさったり、インターネットで調べたりすると、

どちらかというと、「育てる」の意味は、後者の考え方に寄ってきてると思うし、

より個人がフォーカスされる時代になっていこうとしている中で、

「自由」と「発想・想像力」は大きな関係性があると考えている自分にとっては、

後者の考え方に納得する部分が多い。


だが、実際の指導現場で子ども達と向き合ってると、
それだけではいけないという部分が多々あることにも気付く。

「自由」と引き換えに、子ども達は、わがままになったり、あるいは、「自由」の使い方が分からず、膠着という状態になったりする。

わがままになる原因は、

枠や型がない「自由」を与えてしまうからだろう。

トレーニングにおいて考えると、

練習メニューだけ与え、テーマも目的もなくただやらせている状態がこれに当たる。

一見、「自由」な発想を大事にしてるように見えがちだが、

それでは、「育てる」とは言えない。

「自由」を与えて膠着してしまう状態も同じ事が言える。

テーマや目的がはっきり分からないから何をすればいいか分からず、膠着してしまう状態になってしまうはずだ。


話しを少しとばしてみるが、

勉強する事において基礎学力を高めておく事は大切だ。

基礎学力がしっかりしているからこそ、応用問題への対応ができる。

基礎学力というのは、勉強をしていく上でしっかり固めておかなくてはいけない土台のようなもの。

土台を固めるには、コツコツ同じ事を積み上げていく事が大切で、それは、ある意味

手取り足取り言われた事を忠実にこなしていく事に似ている。

だから、「育てる」の幅を考えると、

しっかり教え込む事から、「自由」にチャレンジさせるために手を離してあげる事まで大きな幅があって、

その幅の中で、指導をしていかないといけないと思っている。

それは、時と場合にもよるし、子ども達それぞれに対して柔軟に使い分ける事も必要。

「育てる」事の難しさは、まさにこの解釈の幅にあるし、

対個人だけじゃなく、対集団を動かさないといけないチームスポーツは、

「育てる」というテーマに対して、チャレンジと失敗を繰り返しながら、子ども達とともに成長していかなければいけないと感じる。


こうなってくると、「育てる」の答えなんてないというのが正解になってしまう。

敢えて今、自分自身が「育てる」を言語化しようとしてみても、

「育てる」の幅を意識しながら、「自由」と「規律(教え込む)」を使い分けるというくらいしか言いようがない。

言ってしまえば、それだけ「育てる」事は難しい事であり、難しいからこそ「育てる」にかかる責任も重いと思う。

「指導者は学ぶことをやめてはいけない」

という有名な言葉があるが、

学ぶのをやめてはいけないのは、サッカー界が変化していくからだけでなく、

「育てる」が答えのない難しいものだからこそ
という解釈もできるんじゃないかと思う。

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