正当化の裏にある知らない事に対するリスク~大人の役割とは~

知らないと嫌いの感覚は似ているという事を聞いた。

いまいちピンとこなかったんだが、言わんとしようとしてる事は何となく分かる。

誰しも知らない事には、 とっつきにくさから躊躇した経験があると思うし、

もし、何かにチャレンジしようとするなら、色んな事を知ってた(分かってた)方が、知らないで踏み込むより断然安心感がある。

知らない事で、色々な事を理由にチャレンジせずに、 自分を正当化してしまう事があるはずだ。

人は、何かと何かを計りにかける時、知らず知らずのうちに、良し悪しの判断をするように思う。

正当化してしまった自分を良し(好き)とするなら、正当化されなかった方は悪(嫌い)。

正当化される時は、既存の枠組みの中で考えが構成される事が多く、

逆に、正当化できない理由として、自分の考えが及ばないから(知らない)という事が考えられる。

だから、知らないと嫌いの感覚は似ていると感じる事があるんだろう。

むしろ、

知らないと嫌いの感覚はリンクしているという事が言えると思う。

だが一方では、知らない事に対するリスクも分かっている。

知らない事により、自分の知見は狭くなるだろうし、視野は広がっていかない。

知らない事に対して受け入れる勇気さえあればいいのに。。。

本来、知らない事を知る事は楽しい事だ。

好奇心旺盛だった小さい頃を思い出して欲しい。

知らない事(分からない事)を知る(分かる)喜びを味わった事があるはずだ。

それが、いつしか歳を重ねていく事で、考え方がどんどんブラッシュアップされてきて、

知らない事を受け入れられなくなってきてしまう。

いや、受け入れる努力をしないようになってくると言った方が正しいのかもしれない。

そんな人は、過去の経験や感覚に縛られている。

自分を正当化する材料は、未来にはなく過去にあるものだ。

過去にすがっておく事で自分を正当化でき、好きな自分でいる事ができる。

だが、そのような思考でいると、当然前に進む事はできない。

もの凄い速さで時代は進んでいってるのに、どんどん取り残されて行ってしまう。

それでも、頑なに我を突き通すならそれでもいい。

それが、自己責任の範疇にあるなら。。。

だが、大人には子ども達を育てる重要な役割がある。

サッカー指導者として子ども達と向き合ってるから、なおさらその責任を感じてしまう。

そんな時、

知らない事を見過ごして(無視して)子ども達の前に立つことができるだろうか??

未来ある子ども達に過去に縛られた考え方を押し付ける事ができるだろうか??

自己責任を越えたところで、自分自身を見直す必要があると思う。

導くべき立場であるからこそ、知らない事を知る勇気を持つべきだと思う。

だから、指導者(大人)も子ども達とともに成長なければいけないという自覚が必要だ。

知らない事を知る楽しさを子ども達とともに追っかけていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?