認める「素直さ」から感じる自己成長
人を認めるという行為は、特別なパワーを要する。
それは、自己否定という側面もあるし、自己の敗北を意味するようなものだから。
自分が信じてる信念を曲げないっていう行為は、すごく大事なんだけど、
自分の信念を覆すようなすごい人物が目の前に現れた時に、認めざるを得なかったら、
自分の信念さえねじ曲げられそうな感覚になってしまう。
それが、自分の信念と全く違う価値を見せられた時には、自己否定になって、
自分の信念と似通ってて、さらに上積みされたものだったら敗北した気分になる。
簡単に言うと、そんな事を感じるって事は、まだまだ自分の器がちっぽけっていう事なんだろうけど、
今の自分は、認めるという行為にすごくストレスみたいなもんを感じる。
ポジティブに考えると、受け入れる柔軟さが少しは残ってるという事なんだろうけど、
そこに素直さがない事で、こんな解釈になってしまうんだろう。
さらに、ポジティブに考えるならば、負けたくないっていうエネルギーが少しはあるって事だ。
なんか、すごい守りに入ってる気もするけど。。。
人が成長していく上で、「素直さ」は大事な要素だと思う。
指導者の立場から、子ども達を見ると、
「素直さ」がある子には成長の可能性を大いに感じる事ができる。
逆に「素直さ」がなくて、自分の殻に閉じこもったままの子には、成長の限界を感じてしまう。
ちょっと視点を移すと、そんな事当たり前と思うんだけど、
自分の事になると、「素直さ」が欠けてしまうのは何でなんだろう。
客観視できる能力の必要性を感じてしまう。
そう考えると、指導者は、客観視できる立場の人間だから、
言葉や振る舞いで、子ども達の「素直さ」を引き出してあげないといけない。
もちろん、自分自身が「素直さ」を持ち合わせてる人間として。
自己否定や敗北を感じさせる事なく、受け入れる事ができる「素直さ」を身につけさせてあげたい。
むしろ、「素直さ」って自己否定や敗北を意味する事じゃないんだよって。
指導者が子ども達とともに成長できると感じるのは、こんな振り返りができる事にある。
まだまだ自分も成長できる余地があるのかなと気付かされた今日。
今後も子ども達としっかり向き合いながら、ともに成長していかないといけないと思った。
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