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エッセイにもドラマが必要なのではないか。


とある方のブログを読んだ際に書いてあったこと。

楽しいことが書きたいのに、アクセス数が伸びない。だったらブログを書いていても仕方がない。伸びるのは辛いこととか悲しいことを書いているブログばかりだ


その人の記事は、こんな風な内容だった。

たしかに、そうかもしれない、と思った。あえてブログと書いたが、これはnoteのことである。noteに書いてあった文章だと思うと、また印象が変わるかもしれない。


noteは自由であるし、無料で簡単にできるブログのようなもの、である。おそらくブログとは似て非なるものなのだろうが、私は文章に特化しているというだけで、アメブロやはてなブログとそんなに大差はないと勝手に思っている。


ただ、その人のいうことは事実だと思う。楽しいことを書きたくとも、あまりそれを読みたい人がいない、だったら書いても仕方がないというのは、もっともである。

実際、私自身エッセイを読んでいると思うことは、皆何かしら辛いことや悲しいことを明かしていることが多く、そういう記事が伸びている印象もある。


私が書いているものも、辛い過去や今のままならない状況のことを書いているものが多い。あまり幸せなことを書いた覚えはないし、楽しかったことを書こうと思ったことがなかった。


そもそも、私は楽しいことを面白く書けるような人間ではない。ただブログは楽しいことを書いている人も多いと思う。

旅行やグルメ、美容、娯楽など、楽しいことが世の中には多くある。


ただその人の言いたいことは、自分の経験として楽しかったことを純粋に書きたいということだろうと思う。旅行やグルメ等の記事を書くなら、それなりにその場所のことをきちんと紹介する必要がある。そういうのを面倒くさいと感じる人もいるだろう。


私もたまにそういう記事を書こうとすることはあるが、結局は書かないことが多い。特にnoteではあまり需要がないように感じる。そのせいか、わざわざ旅行やグルメの記事を書きたいとは思わない。

もし書くのであれば、個人ブログを開設した時だろうと思うけれど、未だに開設ができないのは、毎月サーバー費用をかけるのが不安で、嫌だからだ。


お金を稼げるかもわからないことに投資して、そして一生サーバー費用を払い続けないとなくなってしまうようなものは、私には荷が重いと感じた。だから私は今ここでしか書いていないし、あくまで自分が感じた負の感情を基に書いている。


もちろん、幸せなことを書いても良いと思う。楽しいことをたくさん書いて相手を幸せな気分にすることができたらそれでいい。

ただ私の原動力は負の感情の方で、私が読みたいのもそういう記事だ。


例えば小説では、主人公には何かしらの劇的な出来事が必要である。それは何も殺人事件が起きたりクビにされたりと言ったことでなくても良い。ただ、そういう展開がないと面白くするのは難しいのは確かである。


三浦しをんさんの『マナーはいらない 小説の書きかた講座』にこんな一節があった。

主人公が心身ともに居心地のいい状態のままでは、「劇=ドラマ」は生じません。


劇的な出来事というワードも、この本から引用したものだ。もちろん小説とエッセイは別物であるが、私は今の状況はある意味好機だと感じたから、今このnoteを少なくとも週一更新で書いている。


前は毎日投稿している時期もあったが、毎日投稿するのがストレスになるのであれば意味がないと感じたし、どの記事も自分が愛着を持てるものにしたいと思っている。だから続けるのが難しく、毎回何かしらの『展開』を付けるのも難しかった。


私がいま置かれている状況は、会社を辞めてコロナで決まらず派遣になり、一カ月で適応障害で辞め、現在は就労移行支援施設に通っている。今年に入り発達障害の診断を受けて手帳の申請をしたばかり。今は手帳が届くのを待っているところだ。


自己紹介にも書いているが、端的に説明したのは初めてかもしれない。また、他者に対し恋愛感情も性的欲求も抱かない人間(アロマンティックアセクシャル)でもある。

結婚にもあまり興味がないし、実家に頼りながら生きている私は、たぶんnoteの中でも珍しい人種だろうと思った。

そういうのをさらけだして生きていこうと決めたのである。


身バレを避けるためにぼかして書くこともあるけれど、私は無職だから不幸とは思っていないし、自分の経験が誰かの役に立てば良いくらいの気持ちで書いている。


もし楽しかったことや嬉しかったことが誰かの糧になると思うのであれば、書けばよいと思う。ただ私がここに書きたいものはそういうことではなく、同じように悩む人や、全然別の考え方をする人にも、自分の考えを知ってもらい、もう少し生きやすくなればよいなと思う。


今はひどく生きづらい。皆辛いとネット上で愚痴をこぼしている。


無知は罪だと言われる。実際、無知により人を傷つけることもある。

知ってほしい。結婚したくない人もいるし、恋愛感情のない人もいるし、真面目に働いていても無職になる人もいるし、他人の言葉に酷く傷つく人もいる。


こういう人もいるんだなと、知っていれば、もう少しだけ他人は人に優しくできるかもしれないし、そういう目的がなければ、ここに何かを残そうなんて、私もしなかっただろう。


エッセイにもドラマが必要なのではないか。

ただ、そのエッセイを読んで相手が何かを得られるのであれば、たとえ劇的な何かがなくとも、それで良いのではないだろうか。



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