守られる弱者と無視される存在
可愛らしい犬や猫、ハムスター、インコ、兎など。
人にその見た目と愛嬌で好かれているペット達は、庇護すべき存在として飼われているものが多い。
その割に平気で捨てる人がいるのも問題になっているものの、道ばたのアリのように踏まれても気づかれない存在とは違うだろう。
――読んでいた小説の中でそういう表現を見つけて、それだけで儲けもののように思えた。自分が面白いと感じる物は、やはり無意識に日々抱いている感情を言語化してくれているものなのかもしれない。
恐らく私がその考えに共感できたのは、自分が弱者側にあると考えているからだ。少なくとも、発達障害の診断を受けている以上、強者にはなりえない『弱さ』をもって生まれてきているといえるだろう。
それは、生まれつき身体が弱くて運動ができないような人にも似たところがある。私自身、おそらく発達障害の特性の一つでもある運動音痴のせいで運動はできなかったが、私が言いたいのはそういうことではない。
(※発達障害者のなかにも運動能力には個人差がある)
身体が弱い人と同じように、発達障害の人間も目には見えない弱さを持って生まれている。そして、見えにくい分気持ち悪がられてしまいがちだ。
見かけ上『普通』に見えるせいか、生まれつき身体の弱い人と比べて嫌われがちではある。
個人的には、認知症の人が介護する側にとって厄介なのと同じように、脳に凹凸がある発達障害者が煙たがられるのも仕方がないとは思っている。
そういう諦めはあるものの、私は『守られる弱者』が身体の弱い人で、発達障害者が『無視される存在』とは全く思っていない。
だから発達障害者は無視されていると声高に言いたいわけではなく、寧ろ守られていると個人的には思う。
私が障害者枠で雇われており、ある程度の配慮を受けて働かせてもらっている現状、守られていると感じやすいのかもしれない。
ただ、障害者枠には限りがあり、給料や働き方の差異も大きいため、一概に誰もが守られていると感じることはできないかもしれない。
障害者手帳を交付されれば、ある程度の福利厚生を受けられるが、それだけでは生きてはいけない。障害者年金も申請にはお金も手間もかかり、通るかどうかも分からないものだ。そして仮に申請が通っても、いつ打ち切られるかは分からない。
だから発達障害者が守られているとは厳密には言えないかもしれないが、少なくともアリのように踏みつけられても気にも留められない存在とは思えない。
差し伸べられている福祉の手に気づけるかどうかは自分次第で、私自身就労移行支援施設に通っていなければ、障害者手帳や障害年金の存在すら知らないまま、生きていただろう。
※障害年金は貰っていませんが、障害者手帳を持っているため、障害者雇用枠で雇ってもらうことができました。
※私はLITALICOには通っていませんが、分かりやすいHPなので貼っておきます。就労移行支援施設は、実はかなり数が多く支援の仕方も様々なので、自分に合った場所を探して見学すべきだと思います。ちなみに私は入所当時、障害者手帳をもっていなかったですが、代わりに診断書(適応障害の)を提出して通えました。
福祉制度にかんしては、一度も学校で習った覚えはないため、自力で調べねばならない。就労移行支援施設の存在も、ネットで調べて辿り着いたにすぎず、学校はそういう大事なことは教えてくれないのだ。
発達障害者が無視されているとは思わないものの、制度を活用するにはネットや頼れる他者の存在が不可欠だ。
『自分はここにいる』と自ら声を上げなければ、誰も助けてくれない。そういう意味では、無慈悲な世の中と言えるかもしれない。
もし適応障害で派遣を辞めたあの日に、就労移行支援施設に助けを求めなかったら、今の自分はいなかったろう。
気づかれないまま踏みにじられる前に、自力で探し出して助けを求められるかどうかが、弱者が生きていくためには必要なのかもしれない。
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P.S.就労移行支援施設は相談に乗ってはくれますが、仕事の斡旋はしてくれないので自力で探す必要はありました。とはいえ、一人で悩むより心強かったですし、通っているおかげで書類審査や面接に通りやすかったと感じます。
※こちらの記事はコメントを求めておりませんが、お読みいただきありがとうございました。
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