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人と関わればかかわるほど、きらいになる。


人と関わればかかわるほど、その人のことを嫌いになる。

そう感じたことはないだろうか?


私は数年前から、SNS上で同じセクシャリティーの人と直接会ったり通話したりの交流をしている。ちなみに私はアロマンティック/アセクシャルを自認しているので、基本交流相手も恋愛や結婚に興味がない人ばかりだ。
※アロマンティック……他者に恋愛感情を抱かない人、
 アセクシャル……他者に性的欲求を抱かない人のことを指す。


ただ、交流をしていて、特定の人と何度も話しているうちに、段々と寧ろ心が離れていく感覚があった。

通常なら、相手と沢山通話したり会ったりすればするほど、相手のことを理解でき自分の価値観や考えも共有できるはずだと思う。
だから、仲良くなりたい相手とは多くの時間を共有した方が良いのだろうと漠然と思っていた。
特に恋人同士なら、よく毎日のようにLINEや電話で連絡を取り合ったり、週末に出掛けたりしているイメージがある。
カップルのなかには、それを辛いと考える人もいるはずだが、世間的には『愛がない』『冷たい』といった印象を抱かれがちだと思う。


ただ、私は違うのかもしれない。

自分にとって触れられたくない芯があり、この人なら晒せるのではないかと期待していたら、相手の反応が思っていたよりも悪くて気持ちが急激にしぼむ。
そんなことが、つい最近あった。


私はその人相手に腹立たしいようなガッカリするような、身勝手な感情を抱いた。その人にしか話していない趣味があり、そしてその人も話を聞きたいと言ってくれていたのに、いざ話したら相手の声のトーンは低くてあまりノリ気ではなさそうだった。


それ以来、その趣味のことについては話す気力がなくなってしまったのだが、そういう自分の隠している本音を相手に語るとき、相手に受け入れられるかどうかの不安は常に付きまとうと思う。

そういうのも曝け出せた方が、相手と仲良くなれるのかもしれない。お互いの秘密を共有しているというのは、なんとも親密そうに見える。
とはいえ秘密を話すということは弱みを見せるということで、あまり不特定多数には知られたくないし、詳しく話しているのはその人だけだった。

家族にさえ話していないことで、この先墓場まで持って行こうと思ってさえいる。それぐらい、あまり人には言えないことを話していたが、それだけに相手の声のトーンや反応の違いに敏感になってしまう。

話せば話すほど、仲良くなれるかと思っていたが、実際はそんなことはない。たとえ人に言えない秘密を共有していたとしても、相手と自分の心の距離は縮まらないし、寧ろ段々と離れていく感覚がある。

ある一定の距離感まで縮まったら、段々と離れていく。今がその段階に感じている。

私は、定期的に『特定の』誰かに会ったり話したりするのが、元々苦手だ。その人とは定期的に通話をしているが、だんだんと『やらなければいけないこと』になっていっている気がした。

楽しいのに、疲れる。人と必要以上に関わることは、私にとっては少し頑張らないといけないことだった。しかも弱みを見せるということは、相手に弱みを握られているのに等しい。

別に言いふらされてもかまわないが、やはり相手に気を遣うのは精神的に辛いのかもしれない。
それでも、いつかは他人とパートナーになり暮らしていきたいと思っていて、今は人と関わるために手探りをしている状態だ。

――今の実家を失ったら?いつまでも親が生きているわけでもないのに。

どれだけ頑張っても、恋愛感情抜きで内向的(発達障害でASD&ADHD併発)な私が、他人とパートナーになるのは無理なのかもしれない。

それでも、実家という名の安息地が消えてしまえば、私はいつか一人になる。関わればかかわるほど、その人の嫌な側面が見えるし自分の嫌な側面もバレる。それを上回るだけの魅力が自分にあるだろうか。
ただ時間を共有すれば良いというわけでもない。

それでも、恋愛抜きの特別な相手をつくるにはどうすれば良いのだろうと、今日も考え続けている。


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