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べぼ【そらりんご】
2024年11月4日 14:34
入院中、最初の頃は基本的に絶食なのでごはんは当然出てきません。まあ出てきても多分食べられないので、気にはなりませんでしたけども。そんな中の栄養源は「点滴」でした。点滴って、なくなると血が逆流するんですよね。最初ビックリしました、管が真っ赤になってるので。そんな時は慌ててナースコールをしていました。夜は看護師さんが何度かマメに様子をみてきてくれていたので、逆流は多分していないと思います。
2024年10月20日 17:28
私が大学病院の産婦人科にかかったのは、ちょうど2020年のいちばん最初の緊急事態宣言の頃でした。あの頃はありとあらゆるお店がクローズして、とにかく何もできなかったのを覚えています。本当に異常な事態でしたよね。そんな私が入院したのも、この緊急事態宣言の真っ只中。面会は当然、謝絶でした。洗濯物などはすべて看護師さんに預けて、看護師さんが夫に会って荷物の交換を行い、それを私が受け取る……といっ
2024年10月13日 07:45
病院へつくとすぐさま尿を取られました。なんかみたことのない、茶色い色をした尿でした。臭いもいつもと違ったような気がします。(ごはん中の方、ごめんなさい)そして尿を提出し、しばらく待っていると診察室へ呼ばれました。 Y先生いわく「ケトンが多く出てますね」とのこと。ケトンとは、身体の糖が足りなくなると脂肪がエネルギー源として分解され始めた時に出てくるものだそうです。簡単に言うと「飢餓状
2024年10月6日 20:17
大学病院の産婦人科では、最初にまず本当に妊娠しているかの確認が行われました。その時の医師いわく「あ、してますね」と。してなかったら来てないぞ、と心の中で思いました(笑予定日は「11月25日」とのことでした。すごいですよね、ダメもとで聞いただけですぐに逆算してしまうので驚いてしまいました。色々な本や資料をもらい、午後の精神科でそれをH先生に報告し、帰宅しました。 翌日行ったのは「母子手
2024年9月30日 19:06
やってきた運命の日。採血をして、夫と待合室でボーっと過ごしていました。鞄からハンドタオルを出して、泣く準備もしていました。もうなんて言われても怖くないぞ、と。だけど、もしだめだって言われたら、次はどうしよう……と、ふと考えました。補助が出るとはいえ、お金がかかる。精神的にも体力的にも削られる。これにいつまで耐えることができるだろうか。次もだめだったら?そう考えると、この先どうして
2024年9月22日 08:30
気持ちを新たに、また「Long法」をイチから始めることにしました。この頃私はアルバイトとして働いていましたが、「Long法」のつらさと、毎日の注射などの負担により、2回目の「Long法」を始める頃に退職をしました。一度経験していることだったので、2回目はどの作業もそんなに怖くありませんでした。(最初は経験がなかったので、どれもかなり怖かったです)勝手知ったる、というのでしょうか。最初は
2024年9月15日 17:30
胚盤胞を身体に戻してから数日後、夫とともにクリニックを訪れました。採血をして、結果が出るまで30分ほど。そわそわ、ドキドキしていました。そうしているうちに時間が経過し、呼ばれて診察室に入りました。 A先生から告げられた言葉は「ホルモンの値が低いです」と。胚盤胞が着床……いわゆる妊娠状態になると、ホルモンの値が一定数に高くなるとのことでした。私には残念ながらその高さがなかったということ
2024年9月9日 14:29
採卵した後、精子の受精方法についてどうするか検討しました。卵子にどばーっと精子をかける方法(人工授精)と、卵子にプスリと針を刺して精子をひとつ入れる方法(顕微授精)のふたつの方法があります。(多分、どばーっとはかけないと思いますが笑)私の場合は10個ほど採卵した結果、5個の卵子に卵胞があることがわかったので、半分を人工授精、残りを顕微授精にしました。そうして、5日くらい培養して様子をみます
2024年9月1日 21:44
私の通っている産婦人科は、体外受精などのいわゆる「高度生殖医療」が専門のクリニックでした。ただ「高度生殖医療」に進むにはクリニックからの説明を受けなくてはなりません。クリニックではそういった方向けの説明会を行っていたのです。私たちはその説明を受けに、後日予約を取ってクリニックへ行きました。説明会では「高度生殖医療」とはどのようなものなのか。これをこういう順番でこうする、費用はだいたいこ
2024年8月25日 07:43
今日は久しぶりにひとりでの精神科の通院でした。H先生も「今日は旦那さん、いないんですね」と。もしかしたら今の私の症状的にはいた方がよかったのかもしれません。だけど、忙しそうにしている夫を連れてこようとは思いませんでした。これ以上無理はさせたくない、と。診療のなかで「私自身ずっとストレスフリーに生きてきたと思っていた。だけど、妊娠のこととか、夫の仕事のこととか……本当はずっとつらかったの
2024年8月18日 21:45
姉が遊びにきた。姉がいる間はできるだけ「元気な私」でいようと、がんばったつもりでした。でも、そうしている間は不思議とつらくはありませんでした。むしろ楽しかった。がんばらなくてもいいのかなって思えた気がしました。久しぶりにたくさん笑った気がしました。しかし、姉が帰ったら明らかに身体がおかしいのがわかりました。無理をして明るく振舞っていたのだろうと思っていたのかもしれません。「姉が知
2024年8月11日 21:52
久しぶりに夢をみました。夫が体調を崩す夢でした。それも、風邪とかそんなレベルではなくて、救急車を呼ばなくてはならないレベルの。私は、ただただ正夢にならないことを祈るばかりでした。目が覚めたら、冷や汗をかいていました。本当にこわかった。そのくらい夫は忙しくしていたのです。翌朝、久しぶりに食欲があったので朝ごはんをちゃんと食べたら、気持ちが悪くなってきました。嘔吐恐怖症なので吐きはし
2024年8月4日 14:17
この頃の私の日記にはこうありました。「ごはんはやっぱりおいしくない。笑いたくない。人混みにいきたくない。」やりたくないことのオンパレードでした。いま思い返すとどんだけだよ、と思います。ごはんがおいしくないのは、相変わらずペレットを食べているように感じていたからでした。(うつ病の方だとよく砂を噛んでいるみたい、と言ったりしますよね)笑うのがつらいのは、楽しいものを見たり聞いたりし
2024年7月28日 10:03
この日は夫も早引きしてくれて、クリニックのある駅で待ち合わせていました。しかし、そんな夫に私は事前に伝えていました。「クリニックに行きたくない」と。もともと持病である「うつ病」のせいもあってか、私は性欲がほとんどありません。そのおかげで、毎月の妊活がかなりの精神的負担になっていました。妊娠は奇跡だと理解してはいたものの、どの検査結果も危惧する程の数値でなかったためにもっと早い段階で妊