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「KIGEN」第七十一回


 


 二人は相談の末、本来ならば部屋預かりで垣内部屋へ留まらせて自分たちの責任でもって基源の謹慎期間を支えるべきであると、重々承知の上で、人を頼る事に決めた。入門以来寝食を共にしながら暮らしているからこそ、平時は根本を忘れて同じ人間同士と思いがちだが、基源の中身には別の基盤があって、人と完全に一致する進化と成長を続けているわけではない。人工知能の管理にせよ、メンテナンスにせよ、凡そ自分たち素人に理解できない高度な技術と知識が必要なのだといよいよ思い知った。だから尚更基源に相応しい労り方と再起の方法があると考えた。素人なりに判断したものを奏のいる研究チームへ打診すると、チームは一も二もなく賛成し、早速動き出した。


 垣内親方に呼び出された基源はとぼとぼと親方の部屋を訪ねた。
「基源、まあ座れ」
「もう座っています」
「うん――あのな、今日は話があってな」
「はい」
「俺はまどろっこしい説明が苦手だ。単刀直入に言う。源さんの元でやり直せ」
「え、いつからですか」
「明日から」
「急だな」
「源さんとは話をつけてある。JAXAの研究チームの皆さんも賛成してくれた。後は行くだけだ。わかったら部屋へ戻って荷造りしておけ」
「私に選択権はないのですか」
「ない。もう決めた。これは親方の厳命だ」
「―そうですか。わかりました」
 基源が返事して立ち上がろうとすると、親方が更に口を開いた。
「俺は正直怒り心頭なんだよ」
「申し訳ありません」
「お前にじゃない、世間にだ。手の平返しが気にくわん。乱暴を許容して言うんじゃないぞ。よく知りもしないで勝手にころころ風任せに意見を変える。そういう風潮とか大衆思考が嫌いなんだ」
「はあ」
「だからお前にはもう一度原点に立ち返って欲しいんだよ。相撲道を志そうと思った日の気持ち。伸び伸びとした自分を思い出して欲しい。わかるか?」
「――」
「いいか基源、稽古だけは怠るな。まあ、源さんがいるからその点は問題ないと思うが、自分が培ってきた物だけは蔑ろにするなよ。それで今よりうんと強くなって戻って来い」
「―」
「返事は」
「―はい」
「あ、そうだった、今の会話、オフレコだからな、他言するなよ」

 親方らしからぬ発言だからな、それこそ世間様に叱られるからなと独り言ちて垣内親方は不敵に笑った。すっかり落ち込んで真面な思考など暫く働かせていないにも関わらず、基源はこの時心の中で、存外冷静に親方がおじいの弟弟子である事へ想い馳せている自分が居るのを発見した。それは基源にとり初めて己を俯瞰した瞬間であった。


 取り敢えず相撲を辞めるなと親方は言ったのだろうと解釈し、基源は自室へ下がると言い付け通り荷造りをした。


 慣れ親しんだ景色が目の前へ広がり、敷地の入り口へ出迎えに出て来てくれたらしいかえでさんとアイリーの姿を見つけた途端、涙が溢れて来た。

 どうしてあんな真似をしたんだろう。どうしてその公平性さえ分析しないまま自らの言い分を通そうとしたんだろう。どうして大事な人の気持ちを優先できなかっただろう。どうして耳を傾ける心のゆとりを失っていたんだろう。どうして―私は踏み外したんだろう―

 後悔していた。これまでずっと考えない様にして、脳の片隅へ押しやり日常でカモフラージュして来たけれど、あの日の自分の選択を、基源はずっと後悔していた。生み出されてから今日まで、後ろを振り返らずに生きて来て、それは周囲の環境に恵まれる幸運も無関係ではないけれど、意思決定に迷いはなく、何をどう選んで進むにしても自分の意思が働いていると自信さえ持って歩んで来た。だから苦境に立たされても崩れるとは思わなかった。笑顔を振りまく事で乗り越えられるものも多分にあった。明るく快活で、容易にはブレない芯の強い基源という像は、自らの作り上げた理想像に近付くものであり、また同時に社会が望んだ、心を持った人工知能ロボットのあるべき姿でもあった。そういう自分の延長上だと思い込んで突き進んだ結果、気付けば道を壊してしまっていた。信用を失っていた。どれ程の損失だか、図り様も無い。というより、図ったところで同じだった。

 私は全て台無しにしたのだ。

 懐かしい姿を瞳に映した瞬間、自分の喪失感と激しい後悔をとうとう自覚して、否が応でも向き合う事になった。その現実が目尻を伝って零れ落ちたのだ。服の袖で目元を拭って車から降りると、鮮やかに染まった山の紅葉が見渡す限りに広がった。からりと乾いた秋風が吹いて辺りへ葉を散らした。

「基源、おかえり。こっちは街よりもう寒いだろう」
「かえでさん・・ごめんなさい」
「基源、おかえりの後は、ちがうよ。それじゃない」
「アイリー、日本語上手だね」
「そうよ、もう誤魔化し出来ないからね。おかえりの後は?」
「・・・ただいま」

 かえでさんとアイリーが笑った。ここまで送り届けてくれた矢留世と三河に礼を述べて見送ると、基源はぐるり辺りを見回した。一人姿が見えないままだ。

「おじいは畑に居るよ」

 かえでさんに教えられて、基源も早速畑に向かった。森の住人へ傘として貸してあげられそうな程大きく育っていた里芋の葉が、畑の四方へ茎を傾げ枯れ始めている。里芋は霜が降りる前に収穫する。今まさに収穫期を迎え、おじいは葉っぱにまみれて黙々作業中だ。長靴を履いた基源が土を踏むと、湿った大地と草花の匂いが鼻腔へ一気に迫って来た。命の匂いがした。基源の気配などとうに気が付いている筈だが、おじいは何とも言って寄越さない。大きな里芋の株を一つずつ掘り出しては畝の傍へ寝かせて隣へ移動し、また同じ事を繰り返す。畝はまだ何本も残っている。普段ならばアイリーが一緒に掘り出して、掘り出した里芋を外してはかごへ入れるのがかえでさんだろうか。中にはミミズもくっついていて、いきなり太陽を浴びせられ何事かと慌てているものだけど、みんな慣れたもので黙って畑へ返していく。かつてその生態に驚かされ動揺した自分を思い出して可笑おかしい。


第七十二回に続くー


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