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「KIGEN」第五十一回
「喧嘩両成敗だ。処分は妥当だった。だが俺自身が角界に残る事を許さなかった。人を喜ばせるためにあった手で、人を傷つけたんだからな。相撲道に反する行為だ。許される訳が無い――もう古い話だ」
いちごうは頭の中であらゆる言葉を想像した。胸の内に沢山の言葉を浮かばせた。だがどれも簡単に出て行かなかった。全て語ってくれた源三郎に届けたい言葉はこんなものじゃないと、自身の中に在る言葉の箱をいくら漁ってもまだ見つからなかった。全く、AIであるのを忘却しているとしか思えなかった。自分の知能を活かして今の源三郎に最も相応しい言葉を見つけ出す能力が備わっている事を忘れている。それとも使いたくなかったのかもしれない。ただ黙々と話を聞いて、相槌代わりに頷いて、一つ一つ飲み込んだ。
「いちごう」
カエデさんが呼んだ。
「あんたの親方の名前は?なんだった?」
「垣内親方です」
「それじゃ現役時代の四股名は?」
「源海です・・・あっ」
源三郎が守った弟弟子玄海は、騒動の直後に四股名を源海に改名した。周囲の声は賛同と軽蔑と様々だったが、源海はその後みるみる番付を上げて、横綱にまで上り詰めた。そして引退後、垣内部屋を引き継ぎ年寄垣内親方を襲名した。
「・・・親方は兄弟子の想いを汲んで、見事に相撲道を歩み切ったんですね。そうして今も脈々と続く相撲部屋があり、私のような新しい弟子が入門していく」
「そうだよ」
「凄いです。おじい、いえ師匠!やっぱりあなたは凄い人だっ!」
「狭い部屋で大声出すな」
唾飛ばす勢いで源三郎がいちごうを叱りつける。カエデさんは変わらず微笑んでいる。いちごうは謝りながらお膳の上の麦茶に気付いて一気飲みする。
「ああ美味しい。カエデさんお代わりを下さい」
「こら、早く帰らんか。走って帰れ」
「え、今から走って帰るんですか」
「走って来たんだ、走って帰るのが当然だろう」
「そんなあ」
三人が言い合っている間に、ヘッドライトが窓の外へ貼り付いて、玄関前のアスファルトを擦るタイヤの音が聞こえて来た。いちごうが急に居なくなったと連絡を受けた奏が、父渉と共にGPSを利用して駆け付けたのだ。玄関のチャイムを鳴らす前に、源三郎の居室の窓から顔出したいちごうが奏を呼ぶ。
「いちごう!みんな心配してるよ!?」
「ごめん!急ぎ用事があったから」
いちごうの無事を確認して、すぐさま垣内部屋と矢留世に連絡を入れた。奏は源三郎とカエデさんへの挨拶もそこそこに、いちごうを連れて早々帰ると言う。
「待ってよ、まだアイリーの顔見てないんだから」
「アイリーは今晩集会所へ行ってるからいないよ」
「ええーそんなあ」
アイリーは週に一、二回日本語を教わりに通い続けている。文字もどんどん上達して、近所の者が訪ねて来た時も簡単な会話が出来るようになってきた。
「元気だったよって伝えておくから、今晩は大人しく帰りな。周囲に心配かけたらいけないよ」
「・・はい。でもあと一つだけ」
と言っていちごうは源三郎の元へ駆け寄る。おじい。と呼ぶとなんだ、と返される。
「新弟子検査に合格したら四股名を付けて下さい」
「親方に付けて貰え」
「私はおじいに付けて欲しいです。親方にも許しをお願いします。頭を下げてお願いします」
「生意気な口を利く。気が早過ぎる。受かってからの話だ」
「新序出世披露でしょう。土俵上でおじいの付けてくれた四股名でお客さんに紹介してもらう。私の相撲人生の一歩です。そして勝つ」
ふんといって源三郎は家の中へ引っ込んだ。会話を見守った奏が不意に空を見上げると、降り注ぐ程の星空が広がっていた。この星のどれかに、いちごうと同じ力を秘めた仲間があるかも知れない。そう思うと肉眼では見えないのが惜しまれた。後でいちごうに星座を結んで貰おう。奏はいちごうに向かって帰るよと呼び掛けた。
帰りの車中で、奏や矢留世たちが既に源三郎の騒動について知っている事をいちごうは知った。
「黙っててごめんね。どんな風に説明したらいいか、難題だったんだ。当時の記事は残されていても、それがすべて真実とは限らないから。それに僕も、出会えた今のおじいを信用していたかったから」
「うん大丈夫、御蔭で直接話を聞く事が出来たから」
「だけどいちごう、随分大胆な冒険だったね。体力的には問題ないんだろうけど、黙って飛び出すとみんな心配するからね、次はやっちゃ駄目だよ」
渉に穏やかに諭されて、いちごうは本日二度目の神妙を持ち出した。
中学校卒業の春が来た。卒業式と同時期に三月場所の新弟子検査があり、いちごうは中学校卒業見込み者として垣内部屋から受験する。授業はオンラインで、同級生と接する機会こそ得られなかったものの、いちごうはAIロボで史上初めての中学卒業者となるのだ。そして卒業と同時に垣内部屋へも正式に入門する。二〇二四年の三月は、人類にとっても歴史に刻まれる年となった。
垣内親方とおかみさんに挟まれて、いちごうは記念撮影に収まる。黒色のまわし一丁で溌剌とした笑みを浮かべるいちごう。入門時のいちごうの体重は九六キロ、身長は一七五センチ、奇麗な坊主頭である。髪の毛が生えたと騒いだあの日以来、毛髪はいちごうの頭部を覆い、どうやら問題ないとの見解を医師からもらうと、他の弟子たちと同じように頭を丸めた。坊主じゃなくてもいいよとバリカンを手に兄弟子が言ってくれたが、いちごうにとり坊主頭は一度は経験したい、いわば憧れだった。前から撫でても後ろから撫でても触れた手の平がちくちくする。鏡の前へ立ったいちごうはだらしなく頬を崩して自分の頭部を好きなだけ撫で回した。
第五十二回に続くー
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