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短編「サンタクロースの言い分」

 十二月がやって来た。年々軋みの酷くなる床板を踏みしめる度、寒さが身に染みる。私の自室には暖房が無い。いや、正確には在るのだけれど、もう何十年も使っていない。妻が、「エアコン使うの止めよう」って言ったから。今はカミツレの並んだ淡いブルーの生地で作った妻お手製のカバーで覆われている。冷え切った室内は、まるで銀製のナイフで空気を滑らかにのばしたようで、そんな朝に身を起こすのが、私には一番億劫な瞬間である。ふかふかの羽毛をいっぱいに詰めて作られた布団の中へ、いつまでも包まれていられたらどんなにかいいだろうと思う。

 三回ようしと気合を入れて、それでやっと重たい体を起き上がらせた。窓には霜が張り付いて、外の様子がまだ良く見えない。けれども私が着替えて、彼等へ挨拶に行く頃には、太陽もそろそろ顔を出すに違いない。昨日はしんしんと、それはよく降ったものだけど、どんなに寒くとも、凍えそうな夜が来ても、天から純白の贈り物が届けられると、私は嬉しくなってしまうのだ。たとえ仕事中だったとしても、私はつい上を見上げて、真っ赤な手を差し出して、綺麗なその結晶を受け取りたくなるのだ。おや、今笑ったね。年甲斐もなくあなたって人はって。いいだろう、幾つになっても、嬉しいものは、嬉しいんだから。

 リビングへ行くと、薪のくべられた暖炉が私を出迎えてくれる。あったかい珈琲と、ベーコンと卵の載った厚切りの食パン。それを綺麗に平らげると、さあ今日も頑張ろうと、漸く思う。私はさむがりだから、服をたくさん着込んで、帽子も二つ被って、準備万端整えてから外へ出て行く。家を出てすぐ隣に小屋があるけれど、そこが私の長年の相棒たちの住まいだ。彼らを一応紹介しておこう。「ルーク」と「サブ」だ。名前はずっと無かったけれど、いつだったか或る国を訪れた時、家の外に小さな小屋の在るのを見つけて、近付いて見ると犬が一匹居たんだけれど、その小屋には名札が付いていてね、「サブ」と書いてあった。私はその響きが面白くて、早速そりの先に居る彼らに聞いたんだ。どうだ?お前たちも名が欲しいかって。そうしたら欲しいと云う物だから、その場で一頭はサブに決まった。そうしてもう一頭は次の家の屋根に佇んでいたねずみに付けて貰ったよ。私は御礼にマフラーをプレゼントしたかな。

 丁寧にブラッシングしてやると、彼等は喜んで目を細める。今年も出番に向けて、しっかり体調を整えておかなくてはな。朝ご飯をきちんと貰ったことを確認して、私は次の小屋へ向かう。

 次の小屋では、いまだ誰にも任せたことの無い、そりのワックスがけをしなくちゃならないのだ。長年走らせて来て、もう随分草臥れてきた様子だが、あともう少し、頑張って貰わなくてはならない。隅から隅まで木製で出来ていて、椅子の部分は、座り続けた私のお尻に何よりもしっくりとくるクッションが付いていて、手綱の部分だけ、本革で出来ているんだ。特に注意して磨くのが裏側の部分だね。何しろ飛行場のように長い滑走路があるわけじゃないから。屋根の上にすっと降り立ち、また静かに屋根を離れないといけないだろう。技術も、彼等との呼吸も、そりの潤滑具合も、全ての要素が欠かせないんだ。マンションの場合は少しだけありがたいね。

 手入れを全て終えて家に戻る頃には、あれ程着込んだのに手は悴んで、耳朶は真っ赤、足の指先はじんじんとして、霜焼けが痒くなる。暖炉の前で冷えた体を温めていると、ああ、どうして自分はこの生き方を選んだろうと思うね。けれど壁に掛かる真っ赤の衣装を見るとね、これしかなかったかなとも思う訳でね。

 この頃になると午後には決まってトラックがやって来る。荷台に大量の贈り物を積んでいる。全て私の家に下ろして、帰りは空っぽにしていくんだ。私の午後はそれを一つずつ点検していくことに費やされている。殆どは来る日に届けるべき人へ送り届ける物だけれど、中には私宛の物も混ざっているから、一つ一つ確認しないといけない。今日は焼き立てのクッキーが届いていた。折角なので一つすぐにつまみ食いをした。確かにほんのり温かいね。これはありがたかった。

 年々お届け物が増えていくようだ。我々の数は減りつつあるのに、届けたいものが増えていく。頭を悩ます問題だ。けれど届けたい気持ちは変わらない。喜んで欲しいからね。だから辞めないでいられるのかな。それにだ、我々の数は減っていくけれど、手伝ってくれる者が世界中に何百万、何千万といるのだ。もっとかも知れない。これは本当にありがたいことだ。この先も、手伝ってくれる者が延々と続いてくことを私は願う。

 そして、私には去年から弟子が出来た。彼は働き者で、私に教わりながら作ったそりを、毎日丁寧に磨いている。今年の冬が無事に終われば、一緒に彼の相棒を探しに行く約束をしてあるのだ。彼が一人前になったら、私は・・・いや、これは本当に彼が一人前になった時、口に出すとしよう。

 もうじき一年で一番輝かしい夜がやって来る。私は大忙しになる。その日だけは寝坊も、見たいドラマも、昼寝も、三時のおやつも、郵便受けをのぞく楽しみも、一番風呂も、夕日を浴びるのも、お隣さんとの晩酌も、全部我慢して、世界中を走らなくてはならないのだ。それでも私は、袋にありったけの贈り物を詰め込んで、全部お届けするよ。そして代わりに、君の悲しみを詰めて帰るからな。明日の朝、目が覚めた時には、枕元の包み紙にとびきり喜んで、そうしたら、もう泣くなよ。

 君や、あの人この人の喜ぶ顔が、弾ける笑い声が、私にはどうやら一番の贈り物だからな。約束だぞ。それじゃあ、メリークリスマス。

お読み頂きありがとうございます。「あなたに届け物語」お楽しみ頂けたなら幸いにございます。