見出し画像

「一枚のポテトチップスが私の口に入る迄」


 私事で恐縮だが、ポテチと云えばカルビーのポテトチップスを贔屓にしている。今では滅多に食べなくなったけれど、あのパリッとした食感と絶妙な塩味、或いはコンソメ味が無性に食べたくなる時がある。因みに子ども時代に誕生したピザポテトは贅沢品だった。大人になってから存在を知った堅あげポテトブラックペッパーの虜になった。私はきょうだいが多く、お菓子は器へ分けて入れるのが当たり前であったから、スナックの袋菓子をばりっと開けて、袋へ直接手を入れ、一人で抱えて食べても良いと知ったのは、かなり大きくなってからの事である。

 今年の一月、見るからに贅沢なポテトチップスを店頭で見かけた。クラフトパッケージに興味を抱き思わず手に取った私は、袋の裏を目にした途端、胸に様々な思いが込み上げて来た。表紙の写真に注目して頂きたい。


「農家さん」

 私はカルビーのこう云う処が好きである。農家さんと、自然へのリスペクト。手を取り合ってみんなで世界の食を支えていくんだ。その心意気がかっこいい上、実行し続けている事へ、心から尊敬の念を抱く。

 二〇一六年の夏、台風が珍しい進路をとっては北海道へ相次いで上陸し、じゃがいも農家をはじめ、多くの農家が甚大な被害を被った。当時はポテトチップスを製造する大手三社だけで、九割以上を北海道産のじゃが芋に頼っていた。その為、九月の収穫目前の災害によって、各社のポテトチップスは販売休止や製造終了を余儀なくされた。その内の一社がカルビーであったのは言うまでもない。スーパー、コンビニ、駅の売店、町の商店。何処へ行っても当たり前の様にあったカルビーのポテトチップスが店頭から消えた時、人々は当たり前なんかこの世に無い事を噛み締めたのである。

 それから迎えた春と秋と、年に二回収穫時期を迎えるじゃが芋への感謝の大きさよ。新じゃが芋のお目見えする日の喜びよ。ようやく再会した子どもの頃から馴染んだ塩味の、この上なく美味しい事よ。とりわけ販売休止となっていたピザポテトと再会した日の感慨を、自分は長く忘れないだろう。

 自然に抗う事はできない。だが猛威を振るうには訳がある。我々は自己を省みなければならないのである。自然を蔑ろにしてこなかったか、地球を粗末に扱わなかったか、胸に手を当てて、考えなければならないのである。  我々人類が生かされているのは、地球という、人類が生きるために必要な環境の整った、奇跡の土台があってこそである事を、決して忘れてはならないのである。

 たかがお菓子と侮るなかれ。老若男女問わず人々のおやつタイムに長く寄り添ってきたポテトチップス、その一枚の向こうには、どんな困難にもめげず土を耕し続けてくれる農家さんが居る事。そう云う農家さんと我々消費者を繋いでくれる企業のたゆまぬ努力があると云う事。そこから生まれた商品を昼夜問わず全国へ運び続けてくれる物流の人々が居ると云う事。そう云う商品を安心して手にできるよう市場を維持してくれる商店が在ると云う事。何一つ欠かせないものであり、全くもって感謝の念に堪えない。


 生きる上で欠かせない「食」。それは人々の手と、知恵と、地球という星の恵みによって、人々の生活の中で、深く繋がっているのである。
 さて、今日の私は久し振りに、ポテトチップスを買って帰ろうと思う。一人でお気に入りの一袋を抱えて、じっくり噛み締めて味わおうと思っている。

                           いち



画像2
画像2

ポテトチップスを買って帰ったので、撮影忘れていたパッケージの表を追加するのである。


この記事が参加している募集

熟成下書き

お読み頂きありがとうございます。「あなたに届け物語」お楽しみ頂けたなら幸いにございます。