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短編「眠れぬ聖夜の男の子」3


 はじめのご飯の後、トウジは一人散歩へ出掛けた。祖母が語ったペコン山の秋を眺め見て来ようと思い立っての外出だったはずが、気が付くとペコン山の麓を外れて、他のお山の裾を辿っていた。それは村を囲うお山の中でも一番大きなガラン山であった。故に麓はガラン番地である。此処はお山が大き過ぎて蔭をうんと蔓延はびこらせるものだから、それでなくとも少ない日照時間が更に短い。その為家も少なくたった二軒であった。トウジは自分がいつの間にか沢山歩いた事に気が付いて、途端にニット帽の下へ熱が籠るのを感じた。顔を上げると、お山の葉が揺れている。高い緑の木々はもみの木だ。山毛欅の木の群生も見える。あの辺りへ行くと今はもうそこら中山毛欅の実が落ちている事だろう。大人たちの話だと今年は豊作らしいから、りすたちもさぞかし喜んでいるだろうと思い馳せてみる。自分も拾いに行けば楽しいと思うが、今日は気分が乗って来ない。


 山の緑へ目が慣れると、紅葉したメープルや、ヨーロピアンホーリーの真っ赤な実が見つけられた。鮮やかに色付いて、まるでお山の装飾である。トウジは移り行くお山の自然を眺め見て、その大地へ分け入っては肌に感じる事が好きであった。そう云った楽しみは祖母の趣味の影響であったけれど、大工の家にとり、お山をはじめとする自然との関係はとても密接であり、とても重要であった。きこりを生業とする家とも連携を取って、村全体で共存の道を守り続けているのである。トウジもそう云う家の子どもとして、一応の心構えを持っていた。


 ふう、と息を吐き、トウジは道の真中まなかで立ち止まった。陽だまりである。見上げれば、羊雲の群れ、北西の風に乗って村の上空を悠々横断中である。大きいの小さいの、ぎゅうぎゅう詰まって、中には少し遅れて行くのが或る。あんまり楽し気で、目が回る程見上げていたトウジは、頭がくらんとして後ろへ数歩よろけた。
「危ないなあ」
 後ろで突然声がして、トウジは足元の枯れ葉踏みつけながらくるり振り返った。するとそこへ、自分と同じくらいの背丈の子どもが立っていた。モスグリーンのニット帽の下で目がつり上がっている。殆ど隠れているが、この村では珍しい真っ黒の髪の毛の男の子だった。
「あ、ごめんね、驚かせて。でも僕は大丈夫だよ。ちょっと空を見上げていて、よろけちゃっただけだから」
「そうじゃないよ。こんな道の真ん中でぼうっと突っ立ってちゃ邪魔だろって言ってんの」
「何だ、よろけた事を心配してくれたのかと思った」
「どうして俺がそんな事」
 ふん、と男の子は思い切り鼻で笑った。トウジは思わずムッとした。だが確かに道をふさいでしまった負い目もあって、言い返せなかった。
「ねえ、どっちか寄ってくれない?」
 男の子は両手に大きな鞄を提げており、その上リュックも背負って大荷物であった。トウジが道の端へ避けなければ確かに通れそうにない。トウジは慌てて謝り道を譲った。すれ違う時、自分より小さいのだと漸く気が付いた。


「ねえ、君幾つ?ガラン番地の子なの?」
「だったら何?ガランに用事なの?それとも迷子とか?」
「違うよ、さ・ん・ぽ中なの」
「ふうん」
「ねえ、幾つ?九歳だったりする?」
「ハチ」
 トウジはそう聞いて肩を落とした。もしも同い年であったら、試験の話を聞いてみたいと思ったのだが、やっぱり年下であった。
「俺今仕事の途中なんだよね、もう行っていいかなあ」
「あ、ごめん引き留めて」
 男の子は派手に息を落として道を歩き始めた。ところが、ほんの数歩でごとんと音を立てて思わず立ち止まった。トウジの目の前で、左側の鞄の中身がなかば零れて地面へ落ちた。どうも手提げ部分が壊れた様子であった。ああ、もう!と男の子は怒りを遠慮なく外へ出す。トウジはその勇ましいのに内心冷や冷やしながらも、急いで鞄の中身を拾う手伝いをと近付いた。
「大丈夫?」
「・・・」
「じゃないよね。とにかく全部拾おう。急いでほこり払えば、屹度無事だよ」
「土埃が付いた新品の服なんて誰が買うんだよ」
「これ全部売り物だったのか。君は服を売りに行く途中なの?」
「―そうだよ」


 ガラン番地の男の子の家は衣料品店である。ガラン山からの水がこの界隈かいわいで一番清らかで、また水量も十分に在った為、染め物するにも都合が良かったからだ。だが家の隣へ建つ店へ商品を並べているだけでは、村民の家から遠過ぎて中々売れなかった。その為、家族が順番に商品を持っては売りに出歩いているのだ。


 男の子は手芸が好きで、手袋やマフラーを編んでは、家族の作った衣料と一緒に売り歩いていた。その道すがらでトウジと出会い、使い古した手持ち鞄が運悪く壊れてしまったのだった。


 商い中なのに仏頂面だなあ、と思った。けれど、大事な商品を両手だけでは足りず、背中にまで背負っていたのなら、その気負いから自分だって屹度きっと同じような顔するだろうと気が付いて、途端に目の前の男の子を尊敬した。
「僕が買うよ」
 トウジの突然の提案に、男の子は驚いて眉を持ち上げた。だが又ぐに元のつり目に戻る。
「いやだね、売らない」
「どうして?折角買うっていうのに」
「うるせえ、俺の作った物は俺が売りたい客にしか売らないんだ」
「でもそれ、一回落ちちゃったじゃない。僕は洗えば何ともないと思うし、家族のお土産にすればみんな喜ぶと思うんだけど」
「いいんだ、同情なんてしてくれなくても。一度持ち帰ってみんなに謝る。奇麗にして、出直すから」
「そんな、僕にも見せてよっ」
「余計な事―」
 と少年がトウジを突っぱねようとした時、トウジが「たたたた」と足元へうずくまった。少年は驚いて鞄から手を離しトウジの傍へ近寄る。
「どうした?大丈夫か?」
「ううん。ごめん、僕お腹が弱いんだ。汗が少し冷えちゃったみたい」
 トウジはお腹を押さえながら呻いて、然しどうにか立ち上がると、前屈みのまま顔へ無理な笑顔作って、
「驚かせてごめんね、帰るね」と云った。
 今度は男の子がトウジを引き留める番だった。
「そのまま帰るのは良くない。ガランじゃないだろ?」
「ペコン」
 男の子は遠いと思った。急いで鞄を両手に持ち直すと、と云って一つは持ち手が壊れてしまったから腕に抱えて、
「付いて来て」
 と云うなり歩き始めた。トウジは訳が分からないまま、然しお腹がキリキリして仕方が無いので云われた通り彼の後ろを付いて行った。途中男の子が自分の上着を肩に掛けてくれた。トウジはまた引き攣った様な笑顔でありがとうと云った。


続く―


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