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短編「眠れぬ聖夜の男の子」2


 兄の云う通り、トウジはまだまだうっかりする事も多く、背丈もあまり伸びていない為に、一人でそりへ乗せるには心配が残った。だがトウジは練習用のそりを上手に操ったし、トナカイたちとコミュニケーションをとる能力にも優れた物を持っていた。父等大工の作業小屋では、自分に与えられる新品のそりも着々と作られている筈で、村長から贈られる二頭の新しい仲間を迎い入れて、共に雪上駆ける日を心待ちにしているのだ。母もそう云うトウジの気持ちをよく心得ているものだから、落ち込む息子と顔合わせると、にこりと笑って見せた。

「大丈夫」と云われた気がした。
 トウジは母の笑顔を見るといつでも安心できた。何度でも勇気付けて貰える気がした。気を取り直して、彼も食事の用意を手伝おうと食器棚へ手を伸ばした。お腹がもうペコペコであった。

 今朝は同じペコン番地の家へそりの修繕に出掛けたので、祖父も父もはじめの食事の時間に間に合って、全員の顔が揃った。万が一間に合わない日は、出掛けた先の家で御馳走になってから帰宅するので心配はらない。この村ではそれが互いの礼儀であると同時、相手への心尽くしであるのだ。どうして何処の家を訪ねてもそんな心遣いが暗黙のうちに通用するのか、それはもう先刻さっき述べたから云わない。モクモク、モクモク、美味しい煙が立ち昇る。

「おばあちゃん、今朝は何処まで散歩へ出掛けたの?」
「ペコン山の秋を見て来たよ」
「へえーどうだった?」
「木の実がうんと成っていたねえ。それに紅葉している木もあったよ。もうじき終わりらしいけれどね、奇麗だった」
 木の実集めの好きなトウジは、山の短い秋を想像して頬を綻ばした。
「僕も後で行ってみようかな」
「そうするといいよ、あっと云う間に今年も冬が来るからね」
 トウジがうんと頷いておかわりの白パンへ手を伸ばした時、父がテーブルの向かいで顔を上げた。
「そう云えばトウジ、後三月で十歳だろう」
「うん」
「お前、一人前になる為には、試験があるのを知ってるか?」
「試験?」
 十歳の誕生日さえ迎えれば誰でも一人前になると思い込んでいたトウジは驚いた様に目を見開いた。或る遠い島国ではこう云う時「寝耳に水」とか云うらしい。
「みんなも受けたの?」
「ああ、勿論さ」
 食卓をぐるり見渡すと、自分以外の全員がにこにこと目元に微笑浮かべて頷いてゆく。トウジは急に心細い様な、置き去りにされたような気持がした。試験が在る等と、これまで誰一人口にして来なかったから、突然目の前へ大きな煉瓦れんが組み立てられた様な気がした。一体全体どんな試験を受けるのだろう、やっぱりそりにまつわる試験かしらと考えてみる。掴んだ白パンを口へ運ぶことさえ忘れて、頭の中は「試験」の二字へ占領されてしまった。その上不安であった。トウジは昔から、何か決まったルールに従って行動しようとするとお腹が痛くなる体質で、テストだとか試験だとか制限時間だとか云われると、身も心も委縮してしまうのであった。そんな自分が試験なんて真面に受けられるのだろうかと、既に不安ばかりが先へ立つ。顔色のみるみる悪くなったトウジを見て、父はゆったりと声を掛けた。


「難しく考える事はないんだよ。この村で一人前になるにはな、自分が心から届けたいと思う物を、心から届けたい人へ無事に送り届けられるか、ずはそれを試す必要があるんだ。それが一人前になる前の、たった一つの試験なんだ」
「そんな、預かった贈り物をきちんと届けられればいいんじゃないの?僕はもう、そりを上手く繰ることができるよ。トナカイたちと、きちんと会話する事が出来るよ」
「技術だけでは駄目なんだ。彼等と力を合わせるだけでもまだ足りない。いいかい、贈り物をする人の気持ち。これが分からないと、そりへ載せた沢山の人達の大切な気持ちを、無事に運ぶことは出来ないんだよ。一つ一つ、丁寧に、送り主の真心ごときちんと届ける為に、我々は贈り物をする人と同じ気持ちを味わう事が大事なんだ。もしも自分の想いを相手へ無事に届ける事が出来たら、この先もずっと、ずうっと、誰かの想いを大切に届ける事が出来るだろう。
 これはね、村長さんのお考えなんだ。村長さんが、この村の住人と、それに世界中の人々の為にと考え抜いたものなんだ。そして、我々みんなもその意見に賛同した。だからこの試験が誕生したんだよ」

 父親に懇々こんこんと諭されて、トウジも腹を決めなければいけないと思った。何より自分も村長さんの気持ちに賛成だと思った。だが、どうすれば自分が心から贈りたい相手と贈り物を見つけられるだろう。そう考えると、中々難題であると思った。お腹がチクチクした。おかわりの白パンは少し後で食べることに決めて、山ぶどうの紅茶を飲んだ。

 どうやら世界中の雪空を駆け巡り、大きなお役を担うらしいこの村の人々であるけれど、村人たちは寒い冬をものともせずに、活き活きと暮らしているようである。さあてこのゆとりは、全体何処からやって来るのだろう。それは、どうでも村長の弛まぬ努力の賜物であるらしかった。

 この村の村長は、村の働き盛りの大人たちと歳も大して変わらない。トウジの父親と比べても、六つか五つ程上だろうか。しかし村人達からは随分と信頼を得ている様子である。実は村長、大の読書家で、村長と云う大役を引き受けるに当たって、お手本とした人物があった。それは遠い大陸のとある暑い国の、元・大統領であった。


 村の本屋の店主は、毎年からになったそりへ世界中から本を買い集めては満杯にして帰宅する。それを村の本屋へ並べて売っている。村長はその本屋でかの人物を知った。そして、その偉大な生き方にいたく感銘を受けたのだった。元大統領の、自らがどれだけ偉くなろうとも、庶民的生活と国民目線を貫いた飾らない思想。これは大いに手本に致すべきと思った。自分もそうである様、心に決めて暮らそうと思った。更には、この村の為になるよう自分の頭でもよく考えて、一層工夫を凝らすように心掛けた。その内の一つが村のやくそくごとであった。あれは村長さんが就任早々に発案したものである。新しい取り組みにはいつだって議論や反発、相互理解が必要であったけれど、住民とこつこつ歩んできた。結果、村人たちは仲良く、分け合って暮らすことを、この厳しい寒さの続く村での生活の基盤とすることが出来たのだ。

 村長が中心となって決まった一人前になる為の試験。村の一員として、一人の男として、トウジはどうにか試験を合格しなければならないと気負っていた。


続く―


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