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「KIGEN」第十五回



「いちごう、そんなに体ごと動かなくても曲がれるんだって」
「だって体が勝手に動くんだもん。ああー!今何か撃ったでしょう!」

 いちごうのカートがくるくる回ってハンドルが一時利かなくなる。

「だってレースだもん。勝ち負けがあるんだから仕方ないでしょう」
「ちょっとは、手加減、してよっ」
「あ」
「おおー!何これスター!?きらきらしてる、最強ー!!」

 下位を走っていたいちごうのカートがスターを得て、次々他のカートを追い越し、トップを走る奏のカートを射程圏内に捉えた。レースは終盤に入り、最終コーナーで奏といちごうの二台が混戦模様となった。

「狡いぞいちごう、いつまでも星付けて!」
「今度こそ勝つ」

 二人の絶叫と、軽快な音楽と、キャラクター達の発する御機嫌な声がもつれて、全部で転がり込む様にフィニッシュした。

「勝った!!初めて勝ったー!!」

 いちごうは立ち上がって喜びを爆発させる。競争相手であった奏にも起立を求め、ハイタッチ交わそうと迫る。だがこの時、ソファの前に置かれたローテーブルの縁へ、いちごうはがつんと思い切り膝をぶつけた。

「痛っ」

 途端に蹲って膝を抱える。いきなり仰々しくて、奏は笑いながら彼の前へしゃがみ込んだ。人ならまだしも、いちごうのような強靭なロボットがあの程度で痛い訳が無く、完全に冗談だと思った。

「何だよいちごう、人の真似でもしてるの?」

 いちごうは答えない。代わりに苦悶の表情を浮かべた顔を上げる。奏がキッチンの椅子で小指をぶつけた時、智恵美が冷蔵庫へ肘をぶつけてぴりっと電気が走った時と同じ顔をしていた。奏はそれでもまだ半信半疑に問い掛けた。

「本当に?ほんとに痛がってるの」

 いちごうはしっかり頷いた。ぶつけた膝を抱えたままである。奏はいちごうの膝から手を剥がすと患部を確認した。膝関節もシリコンだから内出血などしない。ところがいちごうの痛がった膝の辺りは、打ち身と同じく青あざが出来つつあった。それは内側で出血したという事実を端的に示している。奏は血の気が引いた。何が起こっているのか、思考が付いて行かない。ロボットの内部に血液がある筈がないのだ。だがある筈の無いものがあると主張されている目の前の事実がある。体が小刻みに震えた。どの位そうしていたかわからない。しかし身構える奏の居る一方で、純粋なる奏の人間性が彼の足を動かし、いちごうの手当てに取り掛からせた。自分のよりも大きな膝頭へ添えた彼の手の方が、断然冷たかった。


 幸い大事にはならず、二人は一旦ソファに並んで落ち着いた。動揺した自分の血がどうにか正常なリズムを思い出した処で、奏はいちごうの話を聞いた。

 最近水だけでは空腹を覚える様になった事。奏に黙って貰う三倍の水を飲んでいること。その分トイレに行く事。暑さ寒さを感じる事。眠たいと思う時間が増えた事。体に痛みを感じたのはこれが初めてでは無い事。

 思いがけない事実が幾つも明るみへ出されて、驚くべきか、窘めるべきか、途方に暮れるべきではないと思いながらも、感情の運び方が不明だった。

「――ちゃんと教えてよ」

 絞り出せたのは平凡な愚痴だった。いちごうは人工知能へ立ち返る。

「すみません。その都度記録は残していますが、異常が検知されないのでデータだけ集めていました。直ぐに閲覧できるよう対象データを呼び出します」
「うん分かった。ごめんね」
「なにがですか」
「もっと早くに気が付けなくて」
「奏・・・」

 沈黙はエネルギーの消費だ。それもこの場合は無駄遣いになる。沈黙が有効に働くのは敵方に捕まったスパイ位のものだ。離婚訴訟では不利になる。食卓上では誤解を招く。学級会では風向き次第。厄介な感染症には有効だろう。友人同士なら第一手には向かない。黙り込む二人の隙を衝いて、外で蝉が鳴こうかと翅を震わせたと同時、いちごうが口を開いた。

「あまり深刻にならないで。大丈夫だから」

 その頭脳にどの程度の不安を持ち得るか見当もつかないが、未知の気配を漂わす不穏に直面しているいちごう自身に元気づけられた。笑った顔が夏色を帯びている。ように見えた。その一瞬を受け取って、奏は途端に勇気付いた。勇ましく眉毛を持ち上げると、よし、と両膝を叩いて立ち上がった。いちごう、と呼ぶ。

「ゲームの続きはまた今度だよ。研究所へ行かなくちゃ」
「え、ええー」

 いいぞ、もっとやれ

 電線伝う蝉しぐれが、二人にはそう聞こえた。


 渉が帰宅すると、奏は早速研究所へ父を引っ張った。心配性の智恵美には聞かせられない。当然ながら渉にも予想だにしない話には違いなかったが、案外落ち着いていて、腕を組み、唸りながらいちごうをじっくり見た。

「言われてみれば、頬の色が少しずつ違うようだね。まるで血が巡っているようだよ」


第十六回に続くー



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